見出し画像

20.百文は一見にしかず

毎年私は年賀状という無味無臭な公害に毎年苦しまされていました‥

何か苦しいって、まずもってめんどくさい。

この忙しい師走の時期に。

自分でフォーマット作って印刷して、そのためにパソコンにソフト入れて、そのためにプリンター買って‥なんてできません。

だからここ数年最後に行き着いたのは、裏面がほどほどに綺麗な干支が印刷してある年賀状買って、住所と挨拶一言を書くというやり方。

私の無心を私が隠そうとしているのを最大に表したやり方です。

そんなこんなで毎年こなしてきました。

でもなにって、わたくし‥字が汚い。

習字は習っていた。というよりただやらされていた。
母が字は綺麗にかけるほうが良いからとの思いがあった。
でも親の心子知らず。
全く実にならない。
今は私の書字をみて母も妻も溜め息をつき言葉を無くすほどである。


医療関係者ならわかると思いますが、電子カルテになって本当によかった‥

でも年賀状の意義を見出せなかったことがなによりの私の問題だったのだと思います。

毎年年賀状だけのやり取り。
結婚しました、家族ができました、ついには会った事もない子供の毎年の成長報告。

そこには紙一枚、とても寂しく虚しい自己満足、義務的虚構を感じていました。

だから大変お世話になった大先生がもう年賀状はやめるからと言って頂いた一言と世の流れの年賀状離れを追い風に、去年で年賀状は卒業すると決めました。

今年は一切送らない!


それにしても故事はよくできたものである。
「親の心子知らず。」「百聞は一見にしかず。」

最期が迫った患者さんやご家族にに手紙を書きたい人や書いてもらいたい人がいますか、と聞く事はない。

会っておきたい人があれば早めに来てもらって会ってください、と伝える。

会うことで感じる相手の空気感、思い出される数々の記憶、言いたいこと聞きたいこと、が生まれるのでしょう。

「百文は一見にしかず」

きっと昔は交通網や通信が発達しておらず、そうそう簡単に文章のやり取りや人の行き来ができなかった。
だからこそ年賀状という文化が発展したのだろう。

でも今の時代で大事なのはリアルにその人に会って話し感じることだと思います。

無駄を省いて良い人生を送りたい。

年賀状書くくらいならその時間を旧友や憧れの人に会うことに使いたい。


今日は12/24です。
メリークリスマス。

親の心子知らず、とはよく言ったものだ‥


いいなと思ったら応援しよう!

緩和医 烏賊ルガ
見ていただきありがとうございました!よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!