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22. 医療は「病気」ではなく「人」を診るのだ。

この世界に10年もいるとそんなニュアンスの言葉を何度も見たことがあります。

なぜそんな言葉が医療業界で発されるのか。
それはきっと病気を診るようになってしまう、医者の、または人間の性質がある所以だからでしょう。


その患者さんは90代男性、歯肉がんが見つかりました。
歯肉がんは遠隔転移はしていませんでしたが、局所での浸潤が進んでいました。
90代と高齢であり、また1日のうち半分はベッドの中での生活となっていることから、前医の判断で根治的な治療は困難と判断されました。

在宅での緩和医療のため当院紹介となりました。


当院介入時も、基本的にはベッド上の生活でした。認知機能低下のため幻覚の訴えがあり、また日時の感覚も曖昧となっていました。

当院介入とともに、セカンドオピニオンという改めて治療方針を他高度医療機関に意見を聞きに行くことになっていました。

こちらとしてはどちらにせよ治療は厳しく、幸い癌による症状もなかったことから住み慣れた自宅でゆっくりと最期を迎えるように支援していくつもりではありました。

しかしセカンドオピニオンでは、まさかの治療に対する意見というだけに終わらず、そこで緩和的な放射線治療する流れになってしまいました。

本人、家族が納得した上での方針だったため特に異議を唱えることはなく我々は見守りました。
入院後ご家族から進捗状況をお聞きしていました。


最初は食事が十分に取れないからと、胃管と呼ばれる管が鼻から入り、栄養剤投与が始まりました。
しかし認知機能低下もあり、毎日その鼻から入った管を自分で抜いては、再度挿入を繰り返していました。
入院から2週間ほど経過して、治療の間に自宅への一旦退院が検討されました。


退院前日に奥さんが面会に行ったところ、本人は辛そうで家に帰りたそうにしていたようです。
本人に「家に帰ろうね」と言葉をかけたようです。


しかしその日の夜に急変し亡くなってしまいました。


我々は義務教育で培った思考から、明確な解答のある問題は得意です。
きっと問題集でこの病気に対する治療法はという問いがあれば、放射線治療の選択は正解なのでしょう。


しかし目の前の医療はそんな簡単なものではないのです。

特に緩和医療、終末期医療においては特にその傾向が強いと感じます。

その人それぞれの身体の状態があり、生き方があり、考えがあり、価値観があり、家族がある。

だからこそ同じ問い同じ疾患であっても、それに対する答え、治療法は異なるのでしょう。


今回の患者さんの年齢や体力、認知機能を考えた時には間違った選択肢だったのかもしれない。
それとも我々が知り得ない要因の為に正しい選択だったのかもしれない。


どちらにせよ我々は「病気でなく、人を診るのだ。」という言葉を自戒の念として胸に刻んでおきたい。

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緩和医 烏賊ルガ
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