自由も不自由も同じ事なのかな

自分自身は自由なのか不自由なのか。

それは自分自身の行いを自分自身で決定する機会がどれだけあるのか、に左右されると思います。

比較的自由にやっていると感じる人もいれば、全然自由なんてないと感じる人もいます。

そして僕の予想では自由ではないと感じる人の方が多いのではないかと思います。

中には自由ではない自分自身の現状に憂いている人もいるかも知れません。

しかし僕は.本当に自由な人なんてほぼ存在していないのではないかと考えていて.自由だと思い込んでいる人が存在しているだけなのではないかと思っています。

人は何かを自分で決めたり考えたりする事で自分は自由であると感じる事が多いようです。

ですが元を辿って考えてみると.そもそもその考え方や決定は自分が過去に出合った何かしらの判断の影響を必ず受けている訳です。

そしてそれは実際に人が考えているよりもはるかに多いです。

例えば推測でおおよその数字を答えるような問題が出された時に、その前に全く関係のない数字を示されると.関係のない数字であることを事前に説明されたにも係わらず問題の答えの数字が事前に示された数字の影響を受けて近い数字を答えてしまうのです。ちなみにこれをアンカリングと呼ぶそうです。

このように人は知らず知らずのうちにたくさんの事から影響を受けて物事を判断しているのですが、はたしてそれを自分自身の自由意思によって決定したと呼ぶのか否かという事になってきます。

自分自身が自由であると感じるタイプの人はそれでもなお、たくさんの影響を受けた自分自身も自分であって、その自分が下した判断なのだから自由意思によるものであると考え.自分は不自由であると感じる人は、他からの影響を受けている以上は自由意思による判断ではないと考えるというだけに過ぎないのかも知れません。

つまり自分自身が自由であると感じる人も不自由であると感じる人もどちらも置かれている状況にさほど違いはないのではないでしょうか。

そう考えると自分自身がどのように捉えるかによって自由にも不自由にもなり得るし.それによって自分自身の肯定感が高まったり人生の満足度があがったりするのなら.人は案外簡単に幸せを感じる事ができるのではないかと思いました。


以上でーす。

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