こだわりをもつのは自由だけど
人にはそれぞれ少なからず「こだわり」みたいなものがあるかと思います。
こだわりをもつことが自分が自分であるが所以であるとも言えるかも知れません。
そんな自分自身のこだわりを他人にも共有しようとする人をちらほら見かける事があります。
しかもそれを共有.あるいは押し付けようとしてくる人は、自分がこだわりを持っている事柄が全ての人にとって大切であり.こだわるべき事であると思い込んでいるようです。
こだわりとは「ちょっとしたことを必要以上に気にする」という意味だそうです。
そしてこの「ちょっとしたこと」と言うのは他人から見た場合を指しています。
つまり当人がどんなにこだわりを持って取り組んでいることも.他人からしたらとるに足らない些末なことであるということです。
にもかかわらずそれを理解できずに他人に対して自分のこだわりを押し付けようとするのは.宗教の布教活動のようなものです。
人は自分が信じていることでも.他人が見向きもしなければ不安を感じ、信じる心が揺らいでいきます。
自分が信じているものは間違っているのではないか、と感じ始めるのです。
しかし今までそれらに費やしてきた時間や.場合によってはお金なんかが全くの無駄になってしまうのが怖いため、自分が間違っているとは思いたくないものです。
そこで自分が正しいのであると証明するために人は布教によってそれらを広めようとします。
それらが如何に素晴らしく信じるに値するものであるかを積極的に他人に説くようになるのです。
そして思想を同じくする同志が増える程にやはり自分は正しかったのだと自信を回復させ.安心する事ができる訳です。
自分のこだわりを他人にまで強要しようとする人は.その布教活動と同じ事をしているのではないでしょうか。
自分がずっとこだわりを持って取り組んでいた事が.どうやら周りを見てみるとみんなはそれ程気に留めていないことに気が付き.不安を感じ始める。
しかしそれを認める訳にはいかないので.周りの人達を自分と同じようにこだわりを持って取り組ませることで.自分は間違っていないと信じたいのではないでしょうか。
こだわりを他人に押し付ける人は自分に自信がないと考える事ができます。
しかしこだわりとは「(他人からしたら)ちょっとしたことを必要以上に気にする」ということであるなら周りが些末であると感じる事にリソースを割く事こそがこだわりであると言えるので.他人からの共感を求めること自体が間違っているとも言えます。
みんながみんな大切であると感じる事は「こだわり」ではなく「当たり前」になってしまいます。
つまりこだわりとは.自分自身だけにとって大切であり価値のあることなので.他人に理解を求める必要がそもそもないのです。
だから自分のこだわりは自分だけのこだわりだし.他人のこだわりは自分には関係がないし.それらに言及する必要もされる筋合いもないと思います。
たとえ自分1人しかこだわりを持っていない事柄であっても不安に感じる必要なんてないし.自信を取り戻す為に布教活動みたいな事をする必要もないし.自分に自信をもって大いにちょっとしたことを必要以上に気にしたらいいと思います。
だからこだわりを押し付けてこないでね。
以上でーす。