ゴッホとゴーギャンのことを思い出したので感情をそのままに書いた文
ゴッホとゴーギャンの話、してもいい?
これは私の覚えてる範囲だし何も文献とか読まずに書いてるから誇張とか間違いがあると思う、でも上野でやってた「ゴッホとゴーギャン展」、あれは本当に胸がいっぱいになる展示だった。
ゴッホとゴーギャン展で見たものは二人の映画みたいな悲しい愛の話だった。音声ガイドが人気声優で、まあ要するに「そういう」関係性に重点を当てた売り方でやってたんだろうけど。まんまとそこに乗っかっちゃったわけだけど。でも、そういうことじゃなくない?本当の人間がそこにいたんだから。違うんだ…。いや、違わないな。こうやって人と人の関係を物語的に消費することの罪悪感は常に持っておいた方がいい。私はそうする。それにしてもこの二人の話はとにかくすごいからちょっと読んでほしい。
ゴッホは画家の人と共同生活がしたかった、お互いに創作の刺激になるし色々高めあえると思ったから。何人かに一緒に住もうよって誘うんだけど全員に断られる。それに答えてくれたのがゴーギャンだけ。ゴーギャンはまあ、いいよぐらいの気持ちだったけどゴッホは嬉しくて嬉しくて。二人ですむためにフランスのアルルっていう自然がいっぱいの綺麗な田舎に黄色い家を借りた。お金もあんまりないのにね。そしてゴーギャンが来る前に絵をたくさん描いた。部屋を絵で飾って歓迎した。
最初のうちは二人の絵のスタイルの違いとかが良い刺激になった。ゴッホは弟に、ゴーギャンは画家友達に、それぞれ「うまくいってる。いい暮らしだ」って手紙を書いてる。ゴッホの方が手紙のテンションは高い。熱いやつだから。弟への手紙でゴーギャンを絶賛する。二人は同じ風景を見に行ってそれを描いた。ゴーギャンはひまわりを描くゴッホのことを描いたりした。
ゴッホはゴーギャンの椅子を描いた。肘掛椅子の上には小説とロウソクの乗った燭台。彼は自分の椅子の絵も描いている。乗っているのは愛用のパイプ。椅子はゴーギャンのものに比べると質素な造り。多分友達にはいい方の椅子をあげたのかも。
でもしばらくたって、絵の描き方考え方の違いが大きくなってくる。ゴッホはより自然の風景を、自分の目で見たものを描くことに、ゴーギャンは自分の頭のなかにある空想や夢を描きたいと思うようになる。
(どちらかといえば写実的な絵はゴーギャンで、ゴッホの絵はあまり写実的じゃなく見えるけど。)二人が「描くべきものはこれである、絵画とはこうあるべき」という考え方が違ってきてぶつかることが増える。ゴッホはゴーギャンの絵を好きなあまり、色々口出しをする。それで喧嘩が増える。
この辺のすれ違いも、二人はゴッホの弟、テオへの手紙に書いている。ゴーギャンは「彼とは合わない、やっていけない、二人の制作のためにやめた方がいい」って手紙に書くんだけどゴッホは「彼はここの生活に、とりわけこの僕に嫌気がさしたんだと思う」って書く。ここでも二人の感じ方の違いが出ている、ゴッホはゴーギャンのことがまだ好きなんだろうな。
結局一年も持たず二人の共同生活は終わる。アルルの黄色い家を出て、一緒に美術館に行ってそこで見た絵について話し込む。二人はもう二度と会うことはなかった。
その同じ月にゴッホは精神を病んでしまい自分の耳を切り精神病院に収容される。何度も入退院を繰り返し、ゴーギャンから連絡もないし、甲斐甲斐しく世話をしていた弟のテオは結婚して忙しくなる。病気になってから「黄色い家」に戻ったことも何回かあった。でも正直この辺りは辛くて、私は展示の文字をあまり丁寧に読めなかった。友と兄弟を失って、絵が描けなくなって、そんなの耐えられない。誰もいないアルルの黄色い家で何を考えたんだろう。ゴーギャンと一緒に過ごした楽しい日のことをどんな風に思い出したんだろう、ダメだ涙が出てきちゃった。病気と闘いながらも絵を描いて(「星月夜」とかもこの頃)銃による自殺。(いろんな説があるらしいけど)
ゴッホが死んでからのゴーギャンはタヒチに滞在して、それまで否定していた写生の描き方で絵をたくさん描く。なんだかここまでの展示を見て私はただただゴッホがかわいそうで、ゴーギャンって薄情で嫌な奴だなって思った。友達が死にそうで苦しんでいるのに手紙しかくれないなんて。ゴッホがゴーギャンのことを大好きなだけで、ゴーギャンはそれを嫌だと思ってたんだろうか。そんなの辛すぎる…。って思いながら、壁に貼られた年表を見ていた。
でもゴーギャンは、タヒチに、遠いヨーロッパからわざわざ花の種を取り寄せる。
なんの花だと思いますか。
ひまわりです。ゴッホがモチーフとしてよく描いていたひまわり。アルルで二人がよく見ていたひまわり。
長かった展示の最後の部屋に飾ってあったのは、ゴーギャンが描いた、椅子の上に乗せられたたくさんのひまわりの絵。「ゴーギャンの椅子」に応えるような作品。
友達と一緒に来てることとか忘れて、その絵の前で本当に涙が出てしまった。
二人の日々は上手くいかなくて、悲しい結末を迎えたけど、ゴーギャンの中でもそれはちゃんと思い出として残っていたんだと思った。ゴッホだけの一方通行じゃなかったんだ。気持ちは通じていたんだ。
でもさあ、それをゴッホが死んだ後に描いてるんだよ…。なんでそう、そういうことするかなあ…。
でもそこまで含めて、本当によくできた物語だと感じてしまった。軽率に「熱い関係性〜」とか言ってられなかった。
それ以来私はゴッホのことが大好きです。
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