文章を発信したくなるのはなぜだろう
わたしは五年くらい前から、自分の気持ちをどこかに発信したいという気持ちを持っていました。
いまはnoteをメインに使っていますが、ツイッターをしていた時期もあったし、ブログに挑戦していた時期もあったし、インスタにイラストエッセイを投稿していた時期もあったし。
わたしは常にぐるぐると思考を巡らせていて、もしそれを人に全部話したら相手がノイローゼになっちゃうくらい考えていて、でも全然中身はスカスカで、結局いつも自分の理想に近づくためにどうしていくべきかを探っている。
そんな人間です。
先日夫に「毎日投稿できるほど物事を考えていて、それを世界発信できる自信と勇気があるなんて尊敬する」と言われました。
ちなみに夫は嫌味を言うタイプではなく、純粋無垢な、善良な気持ちでこれを言っています。
しかしわたしは、これを一瞬嫌味なのか?と捉えてしまうほどに自分に自信がない、自分が好きではないと思っていたので、この発言にとても驚きました。
そこでわたしが発信をしたい理由を考えてみました。
○ 普段会話に入れられない分の思考の放出の場がほしい
○ 自分と同じ考えの人と出会い安心したい
こういう気持ちがあるのかなと思います。
「わたしは間違えてない!同じ考えの仲間もいる」みたいな気持ちがあるのかな。
でも、改めて自分が自分の考えに自信がないのか、見つめなおしてみました。
先日コーチングを受けたときに、自分の中の軸になっているような部分があることに気づきました。
わたしはまっすぐな人や、自分の中に軸がある人が好きです。
たとえ考え方が違っても、そういう人とはたくさん話してみたいと思うし、いろんなことを吸収したいと思うから。
そしてわたし自信もそうでありたいと願っています。
時々頑固と言われることもありますが、「芯がありますね」と言ってもらえることが多く、それはわたしが言われて嬉しい誉め言葉の一つです。
そして、わたしは武道一家で育ち、家庭でも道場でも武士道やら武道の教えを英才教育されてきました。😂
武道の考えは素晴らしいものが多いですが、なかなか現代に適応できるものが少なく、適応力低めのわたしにとってその教えを守りぬくのは厳しかったです。
ですが、心の奥のほうにいる自分は、小さいころからずっと、そういう立派な教えを守りたい、守れる自分でありたいと必死だったのかなと思います。
何が言いたいのかって、わたしの価値観は、武道や武士道の英才教育の上で作られたものが多いのです。
だから、それを正しいと教えられ、自分でもかっこいいな~と感じていたわたしは世間に対し無意識に「わたしは正しいのに、なぜこうもうまくいかないのだろう」そう思うことが多くなってしまったのかもしれません。
いまはそんなことは全くなくなりましたが、高校生くらいまでは特に、同級生のことを見下すような感情も持っていたと思います。
わたしは友達が少ない方だったし、それは気にしつつも、みんなと仲良くなるために自分の信念を曲げたくないタイプだったから、そりゃ馴染めなくて当然という感じなのですが…!
まあとにかく、自分自身に自信があるのかは置いておいて、わたしは自分の考えにはずっと自信があったのかなと、そう思ったのです。
同じく武道の影響で頭が凝り固まった人や生きづらさが身に付いた人はなかなか少ないかとは思いますが、でも、何かしらの理由で自分の考えや感覚には自信を持っている人は発信をする人には多いんじゃないかな?と思います。
自信をつける方法を常に探していたわたしですが、自信がある部分が見つかってよかった🤭
ただ、武道の教えはあまりにも古臭く現代に適応しないところも多いので、少しずつ自分の考えはアップデートしていけたら良いなと思います。
アップデートできてきたら、そのことについても記事にしようかな💐
うたたね🪻