我々電車組は、窓の方を向いて座って待機
出所まで686日(金曜日)
ついに大刑から旅立つ日。本来であれば1ヶ月前には移送になってる予定だったが、コロナのせいで ここまで延びるとは…。にしても僕より先輩の班で、まだ移送待ちの人もたくさんいるみたいなので、僕は運がよかったかもしれない。朝食後 すぐにバス移送組が呼ばれたので、神拘から一緒だったバディと別れのあいさつを交わした。その後 我々電車組は、窓の方を向いて座って待機させられ(それも交談禁止で)、30分くらいしてからやっと出室。
行った先の部屋で シャバの服(僕は上下黒のスウェット)に着替える。さすがに囚人服で電車は乗れないしね。ちなみにこのシャバ服は 原則私物から選ぶのだが、長袖長ズボン以外NGらしい。刺青入ってる人もいるからなのだろうか。着替え中にオヤジから「着替え終わったら移送先の告知があって ○○刑務所って教えてもらえるから。あ、○○社会復帰促進センターもあるわ。」と言われ、心の中で「それってもう後者ってことじゃん?」。
着替え終わったて5分後くらいにお偉いさんが来たので整列。「これから君たちを美祢社会復帰促進センターに移送する。移送中は交談禁止なので気をつけるように。」と告げられた。俗に言う民間刑務所ってやつだ!!面接官がそれっぽいと匂わせていたので予想はしていたのだが、いい刑務所に割り当てられた。分センで頑張ってよかったと思うと同時に、推してくれた先生方の期待を裏切らないようにせねばと身が引き締まる。
告知の後は 今のうちにとトイレに行かされ、戻ったら久々の手錠。 何もイレギュラーがなければ、これが人生最後の手錠だ!! 移送は僕1人だけではなく他にも何人かいるため、連結手錠となった。「新幹線でトイレ行きたくなったら 皆で連なって行かなきゃいけないんだから、今か新大阪駅のどちらかで行っとけよ!」と釘を刺される。んでついに移送。その場にいた大刑のオヤジたちに「お世話になりました」と挨拶をして車に乗り込む。
約3ヶ月半いた大刑とおさらばだ! 40分くらいで新大阪駅に到着し、鉄道警察の詰所? 的なところで一旦待機。「そっか裏口から乗るのかー」と思ってたら、そこから外に出て フツーに駅の入口から入って改札を通っていく。シャバの服着て 手錠は布で隠されているとはいえ、男数人が 腰縄でつながれて歩く、見るからに怪しい集団だ。意外と気づかない人も多かったが、やっぱり違和感に気づく人は「え…?」といった顔で ジロジロ見てくるので本当に恥ずかしい…。公開処刑すぎる…。このSNS全盛の時代、写真をUPしたりされないか…。
そんな感じでフツーに駅のホームを歩いて新幹線に乗車。指定席ではあったが、まわりは一般客だらけ。通路をはさんで反対側の席に 露出の多いギャル2人組が座っていて、生身の若い女性を長らく拝めていなかった我々懲役は バレないように横目でチラチラ見ていた。
新山口駅で下りて、そこからまた車に載せられる。ちょっと行ったらポツンと一軒屋がありそうな田舎道を1時間弱ひたすら進み、ついに僕の懲役生活における終の住みか、美祢社会復帰促進センターに到着。
確かに塀ではなく見通しのいい柵で囲われていたし、入口付近に保育園っぽいものも見えたし、門の警備はセコムが担当してたし、普通の刑務所とは雰囲気が全然違う。ここが受刑者にとって楽園と呼ばれる場所か。車を下りて身体検査をして領置調べ。領置調べもセコムの職員が行っていて違和感がすごい。舎房着もあの緑のダサくてゴワゴワなものじゃなくて、肌触りのいい黄色のポロシャツとクリーム色のチノパン。噂によるとユニクロ製らしい。
領置調べの間に軽くシャワーを浴びて遅めの昼食。金曜だからかドライカレーだったんだけど、これがめちゃくちゃうまい!!フツーにシャバの味だったし、麦シャリも もちもちしてて美味しい。お茶も臭みがなくて飲みやすい。ここの食事なら毎食残さずいけそうだよ!
領地調べでは大刑で領置になったものがそのままスライドで領置にされてガックリ。ここで使えるやつも後日願箋を出して許可がでないと使えないらしい。どうやら大刑側があらかじめ書類上で違った登録の仕方をしてくれていれば こっちの入所時に仕分けして、使えるものは持ち込みできたようなのだが…。願箋出すのめんどいな…。んで また領地調べの合間に写真撮って、名前と写真がプリントされたICタグを渡された。これをポロシャツの胸にワイヤーでとりつけることで、センターなどで囚人の位置確認をとってるらしい。スゲーハイテク!領置調べが終わったら 舎房へ向かう。通路も開放的な感じで刑務所感はない。なんというか、オシャレな研修センターみたいな感じ?
舎房に到着し、舎房のオヤジ(フツーに国の刑務官)から当面の生活についてレクチャーを受ける。後々は開放房での生活になるのだが、「考査」という入所時の訓練に編入されるまでは「閉鎖」という閉居生活になるようだ。そして めちゃくちゃ驚いたのが、ここではオヤジの胸元には名札があること。オヤジが本名晒してるなんて、フツーの刑務所じゃありえない!!そういうこともあってか、ここでは刑務官のことを「オヤジ」と呼んではいけず、「○○先生」と呼ばねばならないらしい。まあ、元々神拘の頃からオヤジと面と向かって話すときは「先生」と呼んでたけどね。レクチャーの最後に「まあ君らも分かってる通り ここは特別な刑務所で、選ばれた人しか来れないんだけど、だからといって君たちはエリートではなくて、社会からみたら 只の犯罪者であることを忘れちゃいけないし、勘違いしちゃいけないよ」と厳しい言葉を頂いた。そりゃそうだ。恵まれた環境かもしれないが、自分が罪を犯したことを忘れずに、更生を目指して生活しなきゃ。その後は各自の居室へ。
居室はもちろん独居で、広さは神拘や大刑よりほんのちょっと横に広い感じ。床はリノリウム?で壁付けのデスク、オフィスの会議室にありそうなイス、デスクの上に棚、トイレ、洗面台、テレビ、そしてベットがある!!さすがにマットタイプではなく、フレームの上にプラスチックの畳があって、その上に布団を敷くタイプのものだが、全然いいよ!!もはや ちょっとしたホテルだよ。テレビはORION製16インチの小さなものだが、残念ながら閉鎖の間は観れないらしい。とりあえず荷物を整理して色々な書類を書く。相変わらず以前の施設で書いたものばかり。全施設統一されたフォーマットにして、一度書かせたものをPDF化して共有すりゃいいのに。
17時頃に夕食が配られ、食後は余暇時間。17時から FM山口のラジオ放送が流れる。そして驚くべきなのが、消灯時間が21時ではなく なんと22時ということ!! 21時でラジオ・テレビの放送は終了するのだが、その後1時間も起きて本を読んだり自由にしていいらしい。すごすぎる。その1時間でどれだけできることがあるか。とはいっても今日はまだ私物の本は入ってないし、移送でだいぶ疲れたので、21時でフツーに眠りについた。
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note代理入力者考えを追記
刑事施設同士で個人情報データをデジタル化管理は、情報漏洩、ハッキングの危険性が高まり、コスト削減ができそうにみえて、セキュリティ面で莫大な費用が重なる。刑事施設内の情報は、反社会組織の欲しい商材となりうる可能性もある。世の中のため、そして刑事施設で生活する囚人の人権と、刑務官が重責を負うことを考えると、情報漏洩対策から考えても便利だからと安易に考えてはいけない。
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