KEN ISHII『Möbius Strip』に寄せて
皆さん、こんにちは。
谷田です。
急に企画とか、演出とか、クリエイティブとかの話から離れます。僕は元々はVJという映像表現をやっていました。VJに関して書くととても長くなるし、さほどもう今は興味がないのでここでは割愛します。
今日の投稿は、僕の表現者としてのルーツであるこの「クラブミュージック」に関しての投稿となります。
最近、某芸能人の薬物使用に関わるニュースで「クラブミュージック界隈」のイメージは、「反社・悪の巣窟・違法薬物依存者の屯するところ」みたいなものになって、完全に地に落ちました。かつては大人の社交場。イケてる人たちが集まる場所だったのが、なんでこうなってしまったのか…
私は、それを否定するわけではありません。違法は違法ですので。ただ、変わらないのは「やる奴はどこにいてもやる。」ということだと思うので、この界隈がどうとかは全く関係ないとは思います。ただ、そういうのが蔓延りやすいのも事実。しかし、そんなことをここで書いていたら肝心なことが書けないので、ここで私が書くのはあくまでも「音楽」に関してです。
私と、とりわけ深い関わりのあるDJ、KEN ISHIIが13年ぶりとなるアルバムを先日リリースしました。今回はそんなこともあり”KEN ISHII 『Möbius Strip』に寄せて”を投稿します。
私とKEN ISHIIとの関係
皆さんはKEN ISHIIという音楽家をご存知でしょうか。
わかりやすく言うと「テクノ・ミュージック」と言う電子音楽の世界が主な活躍の場で「東洋のテクノ・ゴット」と称される音楽家・DJです。
数少ない世界を飛び回ることを許されたDJであり、「世界で日本人DJと言えば」という質問を投げた時に、必ずと言っても名前がが挙がる存在。
KEN ISHII (以下:KEN[愛を込めて(格好をつけて)私は敢えてこう呼ぶ])は私にとって、尊敬できる音楽家であり、表現者で、人生の先輩であり、友人でもあります。
今から20年ほど前に私がVJを始めた頃。もうすでにKENは世界的な評価を得るDJでした。彼はそのもっと前から活躍をしていて、私が頼まれもしていない自分の学校の学園祭のテーマ曲を作っていた頃、KENは長野オリンピックのテーマ曲を作っていました。私が強烈なインパクトを受けたのはDJなのにアメリカのNewsWeekの表紙を飾ったことでした。大学生だった私は、「日本人で、しかもDJなのにNewsWeekの表紙になれる人が居るんだ!」と思ったものです。
私が最もVJとして活動を盛んにしていたのは2004年〜2009年の5年間ですが、KENと初めてきちんと話したのは、2006年。アルバム"Sunriser"のプロモーションでした。大阪心斎橋のApple Storeでin store liveを行う際に私がVJを担当した時でした。ギャラは”iPod現物支給”でした。私はその後、そのiPodに”KEN POD”と名付け5年は使ったと思います。
最後は敢え無く犬に食べられましたが…
そこをきっかけにいわゆる顔見知りとなり、「世界を飛び回るスターDJ」と「馴れ馴れしく・声が大きく・デリカシーのない・痛いほど必死な大阪のVJ」との奇妙な関係が始まった。
当時を振り返りKENはこう言ったことがある。「とにかく熱い、暑苦しいくらい熱い奴。でも、いつか何かやるかもしれないから仲良くしておこうと思った」その後は「大阪にKENがきた時のVJは私」と言う状態でした。なので、数ヶ月に一度は顔を合わせる。そんな関係でした。
プロジェクトでの再会 「DJはKEN ISHIIさんです。」
2010年以降、私はVJへの情熱も失せてクラブミュージックの現場からは離れて、ビジネスシーンに活動の場を移していました。(情熱が失せた理由に関しては、私の心の傷が癒えた時に書きます。)しかし、それでもKENが新しいトラックや、リミックスをリリースすると、その度ダウンロードしチェックはしていました。
僕は”元VJ”としてビジネスシーンで色々な仕事をしたり、自身の映像ショー作品を作ったりしていました。KENは変わらず世界を飛び回って、それぞれがそれぞれで存在している関係でした。
ただ、僕が他の”元VJ"とは違うところがあるとすると、VJとしての活動はもうしていないが、KENのマネージャーである藤井氏とは常に連絡を取り合っていたことだと思います。
常にお互いに「何か一緒に出来ることはないか」とずっと考え、意見を交わし、お互いの状況を伝え合っていたことじゃないかと思います。
そしてそのタイミングは突然訪れました。
あるプロジェクトの打ち上げの時、あるプロデューサーに相談を受けました。「次のプロジェクトにおいては、とにかくカッコいい演出と言うものをクライアントが求めている。これまでの他の人がやっていた演出は全く評価されていない。なんとかならないか。」
すぐに僕の中にはKENが浮かんだので、そのまま夜中であるにも関わらず、居酒屋のトイレで用を足しながら藤井氏に電話し、世界を飛び回るKENを捕まえ、楽曲制作依頼とDJ出演を取り付けました。これがNintendo Switch Presentationのオープニングとなりました。
何より、超一流のゲームメーカーの中には、KEN ISHIIの作る音楽のファンと言う社員の方が多数いらっしゃったのも決定に至った大きな理由だと思いますが、それでも私はこう思いたい。
KEN ISHIIがずっと追い求めてきた理想の音楽。
その追い求める姿が、
そしてその追い求めた結果として生まれてきた音楽達が、
KEN ISHIIと様々な人を引き寄せている。
KENのオープニングDJは、全世界に配信され、数百万人が一人のDJに釘付けとなりました。この時、私たちはDJの名前を外に向けては伏せていました。しかし、ネットの盛り上がりは凄くて、伝説となったあのツイートが生まれました。
私はクラブミュージック以外の世界をクラブミュージックと繋ぐことで、これまでにない価値のコンテンツを作ることができるんだと思ったことを覚えています。これは自身のメディア論でもある「何かと何かが出合う場所はメディアになる」と言う定義にも当てはまっています。
しかし、かなりの高い精度でやらなければ、良いコラボレーションにはならず、さほど良い結果は産めないことが多いけれど、ジャンルは違えど、一流が共に仕事をすることで超一流のことができる。私はその組み合わせを決めるお手伝いをする。そう思ったことを覚えています。
KEN ISHIIのDJが凄いところ。
そんな KEN の、13年ぶりのニューアルバム『Möbius Strip』の発売を記念した特別イベントで、KEN 同様に世界的に活躍する音楽家・DJでもあるJEFF MILLSとの対談があると聞き。昨夜、新生PARCOの9Fに移転し、新装したばかりの宇川直宏が主宰するDOMMUNEに行ってきました。
正直お目当てはKENのDJだったので、対談よりも22時からの2時間のDJプレイが聴きたかったので行きました。個人的に場所とか新しいDOMMUNEがどうとか、そう言うのは僕には興味がないので、昨日のイベントのことは特に触れません。しかし、イベントに行ったことで改めてKENのDJについて改めて考えてみるきっかけとなりました。
「DJって人が作った曲を流している人でしょ?」と言う人がいます。曲を作っているDJでも、自分の曲以外を流すこともあります。むしろ、その方が多いと思います。ではそんな中でもDJとしてKEN ISHIIの凄いところって一言で言えるかどうか。この難問に私はこう答えます。
KEN ISHIIのDJが凄いところ
それは「整音力」と「耳」です。
どう言うことかというと、一曲の同じ曲をKENとそれ以外のDJが流すと音が違うということです。これはスピリチャルな霊的なことなんかではなく、崇拝しているからどうこうと言うわけではありません。確実に違います。
KENのDJを見ているとわかるのですが、フェーダー(ボリューム)が上がっているチャンネルのEQをいじっているより、フェーダーが上がってないチャンネルのEQを触っていることの方が多いことに気づくと思います。
4つの縦のボリュームがフェーダーと言いますが、この4つのフェーダーがチャンネルです。これが上に上がっていないと音は外に出ません。ただし、DJは曲と曲を繋ぐためにフェーダーの上がっていないチャンネルの音を聞きながら次に流す曲を用意しているのです。そして、良いタイミングで徐々に混ぜていって、乗り変わって行かせて曲を繋いでいくのがDJなのですが、あまりにもKENがEQを触り過ぎるので「あれやってるフリじゃないの?」と素人は思ってしまうのです。
しかし、ここにKENのDJの凄さがあります。これはどう言うことか。
(ここからは私見でしかありませんが、聞いててやってください)
”KENが流すとKENの音になる”
他のアーティストが作った曲でもKENが流すとKENの音になる。つまり誰の曲であっても、KENには、KENの音にしてしまえるほどに整音する力があると言うことです。それは、それらの音楽を聞き分ける「耳」を持っていると言うことです。ぶっちゃけKENが流すと曲名とかどうてもよくなってしまうと言うのが最大の特徴です。なのでKENのDJにおいては「選曲が良かった」と言ってる輩は、本当のスゴさを分かっていないと言うことだと私は思っています。
整音力を最大限生かしたオーディエンスのテンション・コントロール
KENのDJを聞くと、驚くほど聴きやすいことに気付かされます。低音ボンボン小僧とは違い、随分と低音部に余裕を持たせているので長時間聴いても疲れないのです。しかし、絶妙のタイミングで余裕を持たせていた低音を解放して、観客を煽る。そしてまた引っ込める。これを現場でオーディエンスの反応を見ながらそのテンションをコントロールしているのです。文字通りオーディエンスは、KENに踊らされているわけです。
最高のタイミングで最高の食材を最高の状態で提供する。そのために見えない細やかな「仕事」をする寿司職人のようなDJをしているのです。
これを1年間のうち、半分くらい海外に出て行ってやってきているのがKEN ISHIIと言うことになります。そして、そんなことを25年以上続けてきたのがKEN ISHIIです。
最後の30分間のために
DJにとって最後の30分をどんな状態でむかえることができるか。これが鍵だと思っていて、構成、コントロールを駆使して最後の30分間をどんな空気で迎えさせるか。この時間のためにDJをしているって人も多いのではないだろうか。KENのDJで言うところの最後の30分は体が自然に踊ってしまう状態になっている。そういう風にできている。そうとしか思えない。それがKENのDJだと思います。そこに盛り上がりが来ることを計算してコントロールしていると思います。そして、25年間続けてきたこのキャリアの中でも、常にその瞬間の残り30分が最高の状態にする。そうなるように、その技を磨き続けてきたと言うこと。それがKEN ISHIIの25年間であったと思います。
『Möbius Strip』
この13年ぶりのアルバム。全曲を聴いて思ったことは、実にKEN ISHIIらしいと言うことでした。
音楽の趣味趣向は人それぞれですので、とやかく言うことはありませんが、私には、13年間かけて作っただけはあるアルバムになっていると思います。
KEN ISHIIは間違いなく私にとっては気になり続けるアーティストであるだろうし、自分の力量を正面向かって試せる相手であることは思っています。
皆さんも機会があれば。KEN ISHII 『Möbius Strip』をぜひ聴いてみてください。きっとクラブが好きな人。そうじゃない人でも楽しめる一枚になっていると僕は思います。
次からまた普通の投稿に戻ります。
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