竹宮惠子さんと萩尾望都さん
「少年の名はジルベール」「一度きりの大泉の話」を読んで
思うところがあったので書いておく。
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少年ジャンプ、少年マガジン、りぼん、なかよし、花とゆめ、ちゃお、別冊フレンド、マーガレット、ぶーけなどなど、いろんな週刊漫画誌や月刊漫画誌がある中、小学生の私は全部購読するなんて事は出来るはずもなく、たくさんの漫画誌の中から「りぼん」を愛読し、なかよし派の友達と漫画の貸し借りをよくしていた。
2歳年下の弟はコロコロコミックを愛読しており、友達から少年ジャンプや少年マガジンを借りてくるので、それも読ませてもらっていた。
中学生になると、りぼんやなかよしを卒業してぶーけやマーガレットや別フレに移行する人、花ゆめやガロなどに傾倒していく人など、貸し借りする漫画のジャンルも広がり、節操なく読みまくった。
中学・高校生になってもりぼんっ子だった私は、好きな作家さんはりぼんの作家さんがメインでしたが、貸し借りによって更に幅広いジャンルの作家さんを知り、ねこぢる、岡野史佳、小沢真理など、好きな作家さんの層が広がっていった。
けれど、好きな作家さんの全ての作品が好きか?というと、違う。
竹宮惠子さんと萩尾望都さんを知ったのは高校生になってから。
高校生になると同人誌やコミケだの、自分の知らない世界を同級生から教わり、少年愛とか男性同士の恋愛モノに萌える人もいるんだぁ、そういう世界もあるんだぁ、と思ったくらいで否定も肯定もなく、相変わらず勧められるがまま節操なくいろんなジャンル、いろんな作家さんの作品を読みまくった。
「風と木の詩」「トーマの心臓」など、同級生が熱弁してくれるものの、正直その良さが全くわからず、ほとんどの作品に興味が持てなかった私ですが「ポーの一族」だけはすごく好きな作品になった。
気に入った作品は自分でも単行本を買うのですが
萩尾望都さんの作品は「ポーの一族」しか持っていない。
あれからウン10年。
千葉雄大さんがアラン役でポーの一族のミュージカルに出ると言うニュースを見て、千葉雄大のアランは観たい!と思ったけれどコロナが怖いのでモヤモヤしていたらDVDが発売されるって事で、さっそくDVDを予約購入。
7月7日の七夕の朝、購入したことすらすっかり忘れていたDVD到着。
在宅勤務であることをいいことに、さっそくDVD鑑賞。
明日海りおさんをまったく存じ上げなかったのですが、エドガーの世界観そのもので、惚れ惚れしながら鑑賞。欲を言えば、エドガーに扮している時は、カーテンコール後の舞台挨拶までエドガーに徹してほしかったけれど、それは置いといて…
DVD観賞後、あれ?大老ポーって漫画では死んでないよね?と、久しぶりにポーの一族の漫画を読み直そうとしたら、漫画が無い!
数年前、誰かに貸した記憶はあるけれど、誰に貸したのか覚えていない!
アホ過ぎる!
熱が冷めやまぬうちに、今すぐ読みたい!ってなことで
仕方なく電子版で再購入ポチっとな👛
うん、改めて読み返すとやっぱり好きだわ。ええわぁ。と、似たような感想を持っている人はいないかなとTwitterで検索したところ、竹宮惠子さんと確執があるという事実を知ってビックリ!
私がまだ学生だった30年前、NHK趣味百科「少女コミックを描く」のワンコーナーで里中満智子さんからインタビューを受けられていたお二人を見たのですが
竹宮惠子さんは明るく快活な印象、萩尾望都さんは暗く地味な印象を受けた事を思い出した。
野次馬根性丸出しでお二人の人生に興味を持ち、これまた電子版で、まずは「少年の名はジルベール」をポチって読了。
「意識高い系だなぁ」「常に高みを目指していてしんどそう」「増山さんみたいなタイプ苦手やわぁ」
そして、天才もやはりスランプがあったり悩む時期があったのね、萩尾さんの才能に嫉妬しちゃってたのね、という程度の気持ちで読み終えた。
その後すぐ時間を空けず「一度きりの大泉の話」を読了。
読んでいる間ずーっと闇だらけで、とにかく読むのがしんどい。
やっとこさ読み終えると、答え合わせをするかの如く「少年の名はジルベール」を、これまた時間を空けず再読。
読む順番で印象も感想もわかってきた。
「一度きりの大泉の話」を読んでから「少年の名はジルベール」を読むと、竹宮惠子さんの萩尾望都さんへの懺悔の気持ちがちょいちょい織り交ぜられていることに気付く。
事実、竹宮惠子さん側は謝罪文を添えてこの本を萩尾望都さんに送られたそうだ。
しかし、萩尾さんのマネージャーをされている、両者と交流のあった城章子さんがこの本と謝罪文を受け取り、読んで、その後返送されている。
萩尾さんが読むべき本では無いと、城さんが判断されたのであろう。
わかる。
「少年の名はジルベール」から竹宮さんが萩尾さんの才能に嫉妬した、嫉妬で自分も不安定になった言う事は伝わってきたけれど、きれいにまとめられた文章から、竹宮さんにとっては既に過去のことなんだろう。
「「距離を置きたい」という主旨のことを告げた。」
と1行、さらりと記載されているだけで、萩尾さんを一番傷つけた部分が全く書かれていない。
竹宮惠子さんが2〜3行でさらりと記載した部分に対し、萩尾望都さんは12万字。
闇だらけの「一度きりの大泉の話」では、萩尾さんは盗作疑惑をかけられた事でのトラウマをずっとずっと(言い方悪いけれど)しつこく引きずっている事がわかる。竹宮さんを褒めている記述があるものの、嫌味すら感じるほどに。
かたや、萩尾さんを褒めているとはいえ、きれいにまとめられた「少年の名はジルベール」は、未だ闇を抱え続ける萩尾さん側からすると読めないように思う。
心の平穏を保つために知らなくて良い情報はあえて知る必要ないと考える私は、私が城さんの立場だったら、城さんと同じように返送しちゃうわな。
とはいえ、お二人とも70代。
こんなこと言っちゃなんだけど、あと何年生きられるか。
「少年の名はジルベール」は、竹宮さんの終活の一部で、萩尾さんが許してくれなくても、過去の過ちを懺悔しておきたかったのかな?と勝手に想像。
「若い頃の思いには簡単に戻れて、辛くも楽しくもなれる」
「辛いことにさえ戻ることができるのは、そのことをまるっと自分の中で解決できているからかもしれない」
「何よりも大切だった若い日の炎の煌めきを傷つけたくないから強引に解決を試みた」
(竹宮惠子「少年の名はジルベール」より引用)
城さんも仲違いの原因とされた事に未だお怒りだし、竹宮さんはその部分にも全く触れられていないから、解決できていない側からすれば、こりゃイラついて読めないね。
社会においてもさまざまなタイプの人がいるけれど、マウントとりたいタイプの人って自分主体で、そうでない人の気持ちがわからないんだろうなと思うことが常々あるのだけど、竹宮さんもそのタイプなのかなぁ。
とはいえ「少年の名はジルベール」は、竹宮惠子という人間に興味を持った自分としては、竹宮さんの自伝として(買って)読んで良かったと思う。
私は意識低い系で自己評価も低く、努力根性忍耐とは縁遠く、常にショートカットを模索し、嫌な事されると向き合う事もしないで速攻シャッターを下ろし鍵をかけて逃げる、頑張らないタイプなので
側から見れば簡単に華やかな成功を手に入れたようみ見える竹宮惠子さんも、嫉妬に狂い、人を傷つけ、もがき苦しみながらも頑張ったからこそ今がある、的な話は、憧れの意味もありけっこう好きなので。
野次馬根性で両者の本を読みましたが
「陽」タイプの竹宮惠子さんは浄化
「陰」タイプの萩尾望都さんは闇再燃な印象。
*
竹宮さんの作品も、萩尾さんの作品も、どちらも読んでいる私の感想ですが
お二人の作品を「似ている」とか「盗作だ」と感じたことは一度もありません。
男子校、寄宿舎、河沿い、温室、バラと、同じシチュエーションじゃないか!と思ったことも一度もありません。
もしかしたら私が鈍いだけなのかもしれないけれど。
ウィーン少年合唱団の美しい歌声に感動はするものの、少年愛やBLには1ミリも興味がないからかもしれないけれど。
また、どちらが好き、どちらが悪い、どちらに共感なんて気持ちも無く
竹宮さんの嫉妬を分析したり、萩尾さんの闇を分析したりという事でも無く
価値観は人それぞれってこと。
とはいえ、萩尾望都さんは、竹宮惠子さんと増山法恵さんに出会わなければ「ポーの一族」は生まれなかったかもしれないだろうなぁと思ってみたり。
そして私は、ただ、「ポーの一族」という作品は 好きなのだ ということ。
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