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書評:『決定版 大東亜戦争(上下)』(波多野澄雄, 赤木完爾 , 川島真, 戸部良一, & 3 その他) その1


天皇陛下が、「先の大戦」として振り返る戦争を大東亜戦争とすべきであると言うようなことを含めて、総合的に先の大戦を振り返っている本である。結論すごくよかったので、今回、全体の書評を書きつつ、詳細の部分も力が及ぶ限り書いてみようと思う。

最初に、先の大戦をこの書評上、大東亜戦争と呼ぶことにする。 Greater East Asia War と書けば、間違っていないことがわかるであろう。この解説自体も、この本の一つの章で書かれている。

この本は、一つのことが書かれているのではなく、色々な視点から大東亜戦争を振り返っている。日本万歳というわけでもなく、天皇万歳というわけでもなく、米国万歳というわけでもなく、あくまで事実に沿った研究をちゃんとまとめたのがこの本であり、すごく良いと思った。

書いてあるテーマをまず、あげていく。

まず、日本の作戦がどのようなものだったのか、どう破綻してきたのかを軍事面から振り返る。次に、英米ソから見た対日戦略。中国から見た大東亜戦争とその展開。大東亜会議とアジアの解放について。日中和平工作。財政と金融規律の崩壊と国民生活。日本の戦争指導体制を英国との比較で。続いて、米国の戦争指導体制について。戦争終結の道程。中国から見た「戦勝」。サンフランシスコ講和体制の形成と賠償問題。平成における天皇皇后両陛下と「慰霊の旅」。戦争呼称に関する問題。帝国日本の政軍関係とその教訓。

読み終えてみると、確かに我々日本人は、大東亜戦争を恐ろしいほど知らない。それは、勝てば官軍の米国軍がGHQを通じて自らに都合の良い歴史に書き換えて教育しているからに過ぎない。当時、米国によって都合の良かった歴史観も、米中が対立する中で最適でもなくなってきて、時代もすぎて、ちゃんとした右でも左でもない真ん中の、真実に基づいて歴史を振り返る運動になってきて、この本が出てきたのだと思う。

なので、先の大戦から何か教訓を引き出そうとするのであれば、この本のように総合的に、事実に基づいて色々やらないといけないと思う。

大まかに振り返ると

この本、ちゃんと構成がなされているし、そもそも出来が良いので、要旨とか振り返りなどをすること自体がちゃんちゃらおかしいので、ちゃんと買って読んで欲しいのであるが、私も忘れてしまうので、印象に残った章を通じて、要旨を振り返ってみようと思う。

やっぱり戦略がなかった日本

日本が大東亜戦争がどう集結すると思っていたのだが、戦略がなかった。戦争終結の具体的な目標を持ち得ていなかったのである。ただ、なんとなく、ドイツが英国を破れば、米国も諦めんだろう、程度であったことがわかる。

戦争を始めるときには戦略が必須だが、あまりにもお粗末だった。やはり、開戦した時点で、日本は戦略で負けが確定していた。

欧州が先。日本はその次

これを英米ソの視点から考えると、また違う絵が浮かんでくる。当時、ドイツとソ連は大戦争中。WW2というのは、ドイツとソ連の戦争のことを言うのである。ドイツは欧州+英国とも戦っていたので、二正面作戦であった。欧州+英国は、米国に欧州参戦を望んでいたけれども、日本が米国に攻め込んだことで、米国の欧州へのコミットメントが怪しくなった。で、欧州+米国のグランドストラテジー(大戦略)は、欧州優先、日本は後で。まずは、ドイツをぶっ殺してから、日本を叩くと言うのが一貫した大戦略であった。日本は、おまけぐらいにしか思われてなかったわけです。というお話。

日中戦争中の中国は太平洋戦争の開戦を歓迎し連合国入りしたが、いまいち役に立たなかった

日中戦争をしていた蒋介石からすると、日米開戦は待ち望んでいたもの。日本の戦力が中国だけでなく、海の方に向くので中国はそれを望んでいた。果たして中華民国は連合国入りしたのだが、いまいち力足らずで、連合国からは信頼されなかった。日本を引き止めておくはずが、その力が弱かったから。

大東亜会議と「アジアの解放」は、コンセプトがちゃちだった

アジアを解放する戦争だと言うのは後付けであって、欧米に対抗するために打ち出されたものであった。敵国には、「大西洋憲章」があったから、対抗するために民族自決(植民地じゃなくて、自分のことは自分でやろうねと言うやつ)を大義名分にするために大東亜構想ができた。でも、実態は、攻め込んだ国の資源を没収したり、強制労働をさせたりしたから、全く言っていることとやっていることが違って、現地の反感を買っただけと言う話。

まあ、外交における敗北ですな。

日中和平工作は失敗

対米戦がヤバくなってきたので、日本は密かに中国と和平を結んでどうにかマシな形で終戦をしたかったらしい。お互いのスパイ合戦の中で終戦を模索した動きがあるが、ダメだったのよ、と言う話が書いてある

財政・金融規律の崩壊と国民生活は崩壊していたので、勝てる戦争ではなかった

戦争時の日本の財政と国民生活、つまりはマクロ経済についてが書いてある。私はこれが一番面白かった。「大博打 身ぐるみ脱いで すってんてん」と言う川柳があったらしいが、まさにそんな感じ。数字を見れば、戦争で日本の経済は崩壊し、経済面から継戦能力を失っていたことが小学生でもきっと分かる。日本は決してこの戦争を勝てなかったのだ。

鉱工業生産指数の推移。昭和13年が131で、昭和19年には86.1、昭和20年には28.5である。2割程度の生産力しかなくなれば負けるだろ。開戦時と比べて、昭和20年8月には、8.5%など落ち込んでいる。資源不足である。生産力が1割になっては戦争に勝てるわけがない。要するに、日本は兵站から破綻していたのである。

臨時軍事費成立予算額も面白い。昭和12年に1本9500万円程度だったものが、昭和19年には1本250億円、昭和20年には、1本850億円まで増えている。完全なるもの不足とインフレで財政が破綻している。

戦争どころではない経済、継戦能力なき日本に昭和19年になっていたことがここからでも分かる。ちなみに、その変節点は昭和17年。

戦争指導体制が英国に負けていた

日本の戦争指導体制はなっていなかった。陸軍と海軍を統合する指揮権がなく、内閣と独立したところに天皇の統帥権という名の軍隊があり、ガバナンスがなっていなかった。内閣と軍隊がバラバラ、陸軍と海軍がバラバラで、空軍はなく陸海それぞれが飛行機を持っているという戦力分散である。

一方、英国は、チャーチル首相の元に軍隊があり、ガバナンスが1本で指揮権が統一されていた。陸海空の3軍も統合的にチャーチル元で作戦を立てていた。

米国の戦争指導体制は英国に学び近代化され日本を凌駕した

この頃の英国の政治は大したもので、陸海空の3軍が整っていたのは英国だけだったと言っていいだろう。米国は陸海の2軍しかなかった。米国はその体制を英国に合わせ、陸海空軍の統合作戦を立てられるような組織にして、大統領が最高指揮官というのを確立している。

日本は、陸軍と海軍の連絡が悪く、臨時組織の大本営があるだけ。外交は内閣で、軍事は陸軍、海軍だから連携も弱い。と、米国と日本においてもガバナンスと指揮権で差がついていた。

日本は、終戦であって、敗戦ではなかった

戦争に負けてくると、日本国の目標は、「国体護持」になった。無条件降伏によっても、天皇は継続できると読んだ日本の天皇サイドが、戦争を終わらせたので、終戦である。ヒトラーが死んで全滅するまで戦ったドイツとは違うのである。

日米には開戦前に絆があり、日本を理解する人たちが米国にいたので、天皇制は維持するだろうと読んだ天皇・政府サイドの判断が光るものであった。

軍隊は一奥玉砕などと言っていたが、天皇サイドが調べて、もはや補給能力的に継戦能力なしと判断し、戦争を終わらせた。まさに、聖断だったのである。

沖縄などの奮戦で被害が膨らむ米国軍の計算と、「国体護持」まで戦略目標を妥協した政府サイドとの駆け引きが、終戦を産んだ。

日本に戦争で勝てなかった中国の戦勝はいかにも中途半端

中国は連合国側にいたので戦勝国になったけれども、中国は結局戦争で日本には勝てなかった。勝てないうちに、日本が米国に降伏してしまったものだから、なんとも微妙なことになってしまった。

ソ連がドイツを破り、日本を最後潰しにかかったような活躍をした。米国と英国はドイツをやっつけるのを手伝ったし、米国は日本をやっつけた。同じ連合国側ではあったけど、中国はあまり役に立たなかったので、戦後の取り分を決める会議からも外されていた。ヤルタ会談然りである。結局、ソ連と中国の領土争いもあって、中国は微妙なポジションになる。

そのうち、中国国民党ではなく、ソ連に応援された中国共産党に蝕まれて行ってしまい、戦勝国中国は美味しい思いができずに戦争が終わる。日本には勝てずに、ソ連に負けてしまったのである。

サンフランシスコ講和条約という片側講和

日本は賠償などを決めていくわけだが、紆余曲折色々あるうちに、米国とソ連の対立が大きくなっていく。最初はどうしようもない賠償をしていたのが、段々と日本を共産主義の防波堤に日本を位置付ける必要が出てきて、日本の有利な賠償条件に代わってきた様子がよく描かれている。

ここで、吉田茂はやはり抜群の外交をしていて、米国の立場を使って、各国との賠償をどうにかしてしまう。あとは高度経済成長で有耶無耶にして、見事講和を成し遂げる。そんな講和になったのは、韓国や中国などにしてみれば、米国のせいなのだけど、米国に表立って文句も言えないので、日本に絡んでくるという構造になった。

と、そもそも講和しているのか怪しいソ連・中国・韓国と日本の問題が残る背景はわからんでもない。まあ、中国も韓国も平和条約結んで後で解決しているんですけどね。

平成における天皇皇后両陛下の慰霊の旅

いや、これは、本当に今の上皇陛下と上皇后陛下の凄さが分かる。象徴天皇制として、戦死者の慰霊をするのが日本の代表者である。

最後まで慰霊をしたのだから、すごいと思う。天皇家にしてみれば、天皇を残せたのは、大量の殉死者である。米国は軍の被害が大きいから天皇制を残して日本に終戦をさせた。そういう背景があるにせよ、慰霊の旅を続ける天皇両陛下は、象徴天皇としての形を示したのだと思う。

先の大戦は大東亜戦争と呼ぶべき

天皇陛下は、気をつけて話を聞いてみると、「先の大戦」という言葉を使っていることが多い。太平洋戦争では、日米戦が中心に捉えられるが、実際は日中戦争から始まる長い戦争なので、全体を示していない。大東亜構想があったので、大東亜というのにばつ印がついた面があるが、greater east asia warであるから、地理的には正しい。

ちなみに、第二次世界大戦というと、ソ連とドイツの戦いがメインだから、裏側でやっていたこっちの方の戦争の名称としてはピンとこない。

最後に兼原さんのいつもの話

安保の兼原さんが、歴史研究ではなく、論文を書いている。いつもの論である。ちょっとこの章だけ毛色が違う。

日本の統帥権を強く否定して、内閣総理大臣に軍を率いさせるべきである旨を書いている。まあ、各国そうなんだから、そうだろう。

というので、内容は終わる

感想

私を含めた日本人が、あまりにも大東亜戦争のことを知らないなと思った。まずは、正しく事実を振り返るところから始めたい。そして、その研究をしてた諸氏がまとめた本がこれであるから、素晴らしい本であると思う。

私は、我々が教科書で「太平洋戦争」として習ったものを「大東亜戦争」と呼ぶ人がいると右翼だと思ってきたが、そうではなかったことが分かる。拡大された東アジアにおける大戦だから、大東亜戦争である。

そして、それを総合的に眺めれば眺めるほど、日米戦は、日本にとっては勝てる戦いではなかったことが分かる。戦術的には「ミッドウェーで負けなければ」などがあったかもしれないが、経済と財政の破綻ぶりを見れば、日本が戦争に勝てなかったことは見えてくる。

続いて、政治的に見ても、陸海空の3軍が統合されている英国・米国に比べ、陸軍と海軍が対立している日本はいかにも弱かった。さらに、シビリアンコントロールが徹底し、首相や大統領が最高指揮官である英国・米国と、軍と内閣がバラバラ日本では政治体制としても勝負になっていない。

第二次世界大戦を、大戦略的にみると、主となるのは、ドイツが一人で西欧を全部ぶっ潰し、ソ連とドイツが大戦争をしている最中で、英国が米国を引き込んで粘り、ソ連と米国が連合を組んでドイツをやっつけた。そっちのメインディナーをやっているおまけに、太平洋での日本と米国の戦いがあったに過ぎない。ドイツが先で日本が後。だから、日本が粘れたとも取れる。

また、大戦略的に言えば、米国とソ連という大国に、当時地球を取り仕切っていた英国を加え、人口だけはたくさんいる中国も味方にされたドイツが、味方がイタリアでは勝てる戦いではない。

そして、戦争によって被害は大きかったが、軍事的貢献が限定的だったために、戦勝後に脇役に追いやられた中国。もっと意味のわからない形で、戦争もせずに独立を勝ち取った韓国という微妙なポジションを生み出してしまったという事実。

まあ、やるべきでない戦争を始めてしまったのは日本であるので、大人の国としては、もっと外交の勉強をしないといけないんでしょうね。あとは、権力の配置という意味でも政治も未熟であったし、この辺りをちゃんと継続的にキャッチアップしていかないと、黒船にやられてしまうわけですよ。

というわけで、この本を読んで良かったと私は思うし、特に政治家を目指す人がいれば、この本は熟読して欲しいなと思うわけでした。









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