書評:『Creative Selection Apple 創造を生む力』(ケン・コシエンダ, 二木 夢子)
iPhoneを使っている人は多い。Appleが好きだという人も多かった。Steve Jobsを好きな人も多い。Appleみたいな製品を作りたいという人は多い。Steve Jobsのような仕事をしたいと思っている人も多い。でも、Appleが実際どのようにプロダクトを作り出しているかを知っている人は少ない。そして、Steve Jobs時代のAppleと同じような仕事の仕方をしている人は、ほとんどいない。
「俺は、スティーブ・ジョブスより先にiPhoneを考えた」と言い張る人は多い。次に来るのは、「でも、会社が認めなかった」である。飽きるほど、この手の愚痴は聞いてきた(私は、この愚痴を聞くと雑魚認定し、この手の人間とは付き合わないようにしている)。作って実装した人と考えただけの人では雲泥の差がある。
この本は、Steve Jobs時代のAppleがどのような仕事の仕方で、iPhoneを生み出してきたのかが詳しく書いてある。著者のケン氏は、Appleのソフトウェア・エンジニアで、iPhoneやiPadのコアとなる部分のソースコードを生み出してきた人である。そのケン氏が、「AppleではどのようにiPhoneを作り出してきたのか」を生々しく書いているのがこの本である。
そこにはSteve Jobsの天才的な閃きなどは皆無である。あるのは、正しい戦略と地道な努力であった。
イノベーションに取り組む私が最も嫌いな言葉の一つに「非連続の成長」というのがある。迂闊な傍観者の目からすれば非連続に見えるのかもしれないが、作っている側の創造側からすると、連続ではない事などなく、全ては繋がっているのであり、螺旋状に積み上がった事柄においてのみ、良いソフトウェアはできる。この本を読むと、iPhoneもiPadも極めて連続的な取り組みにより作られてきたことがよくわかる。
その具体的な方法は、ぜひこの本を読んで見て欲しいのであるが、簡単にいうと「デモを繰り返す」の一点である。具体的なアイデアを実装して、試してみる。そして、それを数層のリーダーがチェックをした上で、Steve Jobsが責任を持って判断を下す。これだけである。
このデモのサイクルは短く、デモを作るチームは小さい。
補足的に言えば、製品ごとのKPIは絞られている。例えば、SafariのブラウザのKPIは速さであり、それ以外は見ていない。マネジャーレベルでKPIは、総合的な速さテストの方法が定められ、厳密に計測される。KPI一本やりかというと、そうでもなくて、これに感覚が付加されている。Appleのプロダクトは、人が使うものだから、人の感覚は大事にされている。直感的に使えるのか、というHuman Interfaceの概念がしっかり反映されており、ここは感性を否定していない。そういうartな部分と、エンジニアリング(ここでは「速さ」)が融合して、Appleのデモは評価され、それが随時製品に組み込まれているのである。
アイデアを動くように実装してみて(イメージFlashでまず実装)、それをデモにして評価する。Jobsが認めればその方向でソフトウェアの実装が進み、実物のデモが続く。細かく分けられたチームは、強固なNDAで守られ、全体を知る人は、一部の重役に限られる。一つ一つのチームも小さい。だからこそ、統合された製品ができ、使いやすいUser Interfaceができているのである(つまりは、アジャイル開発だ!)。
「自称アップル通」の素人によくある間違いが、「Appleのハードウェアは素晴らしい」というものである。Appleはハードウェアの設計はするが、製造はしない。製造業者ではなく、デザイナーなのである。そして、この本にも書かれているが、「Appleは最高のソフトウェアを作る会社」なのであって、ハードウェアの会社ではない。アニメーションこそ、Appleなのである。意味がわかるだろうか?
iPhoneの慣性スクロール一つにしても、凝ったギミックのアニメーションが施されている。高度なアニメーションこそ、Appleの価値を作り出しているのだ。
Steve Jobsは、自ら招いた砂糖水を売っていたCEOにApple社を追い出されている。そのあと、Next Computerを作って、ハードウェア事業を売ってNext Stepにして、さらに、Cars, Toy Storyを作ったPixarを設立している(現在は、Walt Disney社に売却された世界最大にて最高のアニメーション映画の会社である)。OSのNext Stepを見たことがあるだろうか。コンピューターの性能が高くない時代に、感覚的な操作のために、恐ろしいほど品質の高いアニメーションをOSレベルに組み込み、CPUを無駄遣いしていたUNIX製品である。UNIXの堅牢性と基本性能の良さを使って、アニメーションにリソースをつぎ込んでもちゃんと動いた近代的なOSである。これが、今のiOSやMacOS Xの元になっているのは、Next Stepを使ったことがある人ならすぐわかる。
ついで言っておくと、JobsのAppleは、部品のオリジナルには全くこだわりがない。Safariもオープンソース系のプロジェクトから取ってきているし、OSだって、Unixがベースだ。統合されたHuman InterfaceやUser Interfaceで勝負しているのであって、ハードウェアであろうが、ソフトウェアであろうがオリジナル部品などにはこだわっていないのである。どこぞの儲からないメーカーのおっさんが「アップル製品で使っているのは、他者の部品ばかり。技術がない」と言っているのをよく聞くが、この人は、Apple社の生み出している価値を全く理解していない。部品なんぞで勝負していないのである。Appleは完成品のメーカーであり、UIで勝負しているのであって、部品などあるものを使うだけである。
と、熱くなってしまった。この本を読んで、自らが考えていたアップルの姿に近いことがよくわかり、世の中の間違ったApple像を正すのに役立つと思うので、熱くなってしまうのだ。
私が個人的に知らなくて感心したのは、Steve Jobsのプレゼンである。彼は、なんと1ヶ月かけて、プレゼンの練習をしていたのである。見事なプレゼンであるが、1ヶ月である。社内の重役をデモをちゃんと動くように侍らせて、何度も何度も1ヶ月も現場のホールで練習するのである。プレゼンに関して、Steve Jobsは世界で一番の努力家であろう。
自らのプレゼンを反省するところである。Steve Jobsを見習って、もう少し、努力をしようと思う。