書評:『昨日までの世界(上)』(ジャレド・ダイアモンド, 倉骨彰)その5:高齢者への対応
上巻最後は、高齢者について。部族社会を比較した高齢者に考察が面白い。
姥捨山の話
高齢者の定義は国によって違う。ニューギニアであれば、50歳は高齢者。半分死んでいる。平均寿命が低く、50歳でも高齢とされる。まあ、毒蛇とか事故で死亡率が高いだけなので、長生きする人はいて、70代、80代まで生きている老人もいる。
こういう高齢者が大事にされている社会もあれば、捨てられる社会もある。
伝統社会の中では、老人を捨てる社会がある。移動する民族や食料の乏しい社会において顕著。老人を置いてきぼりにしたり、殴って殺したり、一人で海に出ていくなどの緩慢な自殺というのもある。
姥捨山には事情があって、食料がギリギリである、移動する部族なんだけど、移動的ない老人を背負っていく余裕はないなど。
逆に、ちゃんと老人を介護する社会は、高齢者の使い用があるという。
高齢者の利用価値
伝統社会で高齢者が生き抜くためには、利用価値がなくてはならない。集団にとって落ちる運動能力が負担であるが、それを持ってなお、利用価値があるから生かされる。
60代でも小動物の狩をする狩猟採取民族もある。
1日7時間働いて、孫のためにハチミツや根菜、果物を採取する祖母たちもある。彼女らは、孫の子育てをする。祖母がいると子供の体重が増えるという統計もあるんだそうだ。
また、高齢者のものづくりサービスもある。高度な工芸品は経験がものを言うので、高齢者が質の良いものを作れる。
そして伝統社会のもっとも重要な高齢者の役割は、情報であった。大きな台風が来て、島の食料がなくなった時に何を食べるべきか、普段は食べないまずいものでも食べられるものは何か、過去の大きな台風をしる老人は知っている。現代社会では、インターネットで調べられるので、この分野の高齢者の利用価値は(残念ながら)下がっている。
伝統社会にとって、情報が大事な社会では老人は大切にされる。サービスの利用価値が高い社会でも大事にされる。一方、アメリカのように、利用価値が低いと見なされれば、軽視され、老人ホームにぶち込まれ、誰も会いに行かない。
ファミリーと儒教と高齢者の権力
高齢者を大事にするのは、イタリア・メキシコのゴットファーザーの世界のファミリーの世界。家の家長は高齢者で、構成員たる家族は、家のために忠誠を尽くす。このリーダーが高齢者だから大事。
儒教社会は高齢者を敬えなので、これも家長を大事にする発想。
この点で、アメリカは核家族化が進んでいるので、高齢者の位置付けが低い。また、英語の問題もある。移民が多いアメリカでは、アメリカ育ちの若年層は英語が喋れるが、移民の第一世代は英語が下手。英語が下手なのは軽蔑されるから、高齢者の地位が低い。
高齢者に有利な社会規範
伝統社会では、高齢者保護を社会規範に組み込んでいる部族もある。
アンテロープをとった時に一番美味しい肉はおじいちゃんにあげなくてはいけない。といった社会規範があり、若年層がしたがっていることが多い。累計は3つあるそうだ。
食のタブーが一つ。よくある大人しか食べちゃいけないよ、である。高齢者は食べていいけど、若年層はダメよと言うやつ。理屈はないが、社会規範としては成り立つ。アメリカ先住民オマハ族における骨髄、イバン族の鹿肉、チュクチ族では、トナカイの乳がそれに当たる。どれも美味しそうなのに、高齢者が独占である。
オーストラリアアランダ族の食のタブーが面白い。エミューの脂身を食べた若い男はペニスが奇形になる、オウムを食べた若い男は、頭のてっぺんに穴があき、顎にも穴ができる。ヤマネコを食べた若い男は、頭と首回りに臭くて痛い発疹ができる、といった具合だそうだ。虚構をうまく織り交ぜ、高齢者に利益誘導している。
若い女性に対する性的なタブーもある。40歳をすぎた男性は若い女性と結婚できるし複数の妻も持てるが、40歳未満はできない。爺さんが、10歳未満の娘を嫁にするのを予約していたりする社会もあるのだそうだ。
この二つについては、「自分もいずれ高齢者になる」と言うことによって、若年層の反乱が抑えられているとのこと(ほんとか)。
もう一個は相続。財産がある場合、高齢者は家をはじめとした財産を自分の名義にしておく。面倒見ないと財産を相続させてあげないもんね。と言うので、若年層をコントロールする。家畜などを持つ牧畜社会で強い。先ほどの家長制とも重なってくる部分である。
高齢者への対応はどうあるべきか
この辺、自分がまだ高齢者じゃないので実感が湧かないので、あっさりとまとめる。
1:孫の面倒を見る
2:パラダイムシフトに関して知恵を貸す
3:学際的な分野に取り組む
2:パラダイムシフトに関して知恵を貸す
こちらは、年寄りはパラダイムシフトを経験しているから、ここに対しての知恵がつけられる。世の中は変わると言うことを知っているから、予期せぬことへの対処のアドバイスができると言う話。
3:学際的な分野に取り組む
複数分野の学問を編んでいくような学際分野で活躍できると言う話。まあ、ジャレドダイアモンドさんがその代表だろう。
と言うこところで、上巻が終わる。
感想
私のおじいちゃん、おばあちゃんは全て優しくて、孫である私の面倒をよく見てくれた。だから、私は、全ての祖父母が大好きであるし、世話できることがあれば、世話しようと思う。
寿命も長くなる時代であるから、やはり子守と言うのは高齢者の価値だろうと思う。子供に怒ることもないだろうし、体力的なもの以外は、うまく対処できる。
高齢者の利用価値における情報というのの推移が、情報化社会で劣化しているのが、高齢者への批判、世代間闘争が起きる理由であろう。なんと言っても、インターネットがそれを加速した。ここは高齢者にとって辛いトレンド。
社会規範のところは、高齢者が若年層から搾り取るための悪巧みに近い。セルフで保険をかけた感じだろう。食のタブーなどは、虚構をうまく使って、若者を情報で脅し、うまいところをゲットする浅知恵である。悪知恵の元として役に立つが、うーんという感じかな。
結局、歳をとったら、子供の面倒を見なきゃならんというのと、学際的な領域に活路を儲けるというところと、財産の残して子供を従わせるということになるんだろうと思う。まあ、そうなるだろうねという結論であるだけに正しいのだと思う。
新たな時代は、子供は友達のような存在になるような気もするのだが、それはまだ私の子供が小さいからなんだという気もしてならない。インターネット時代の家族について考えさせられる章であった。