『戦車将軍グデーリアン 「電撃戦」を演出した男』 大木 毅

あまり第二次世界大戦というものに興味がないのだが、戦略好きとしてはこういう文献に目を通してしまう。そして、面白かった。

私は戦史に疎いので、グデーリアンという人を初めて知った。電撃戦という言葉は聞いたことがあるが、なるほど、インチキであることがわかった。電撃戦などというものはなかった。

グデーリアンはいいところに生まれた坊ちゃんで、お父さんが軍人で、まあまあえらい。これからは通信の時代じゃないかということでそっちの教育を受けさせた。第一次世界大戦が勃発し、散発的な戦車戦が初めて行われる中、ドイツは戦争に負ける。賠償金がガツンととなれる中、ナチスドイツの台頭を許す。

その間にもドイツの自動車の研究は進む。当時、自動車といえば新しいもので、その使い方は補給だけであった。兵站に押し込まれたグデーリアンは左遷かと疑うが、そこから、自動車が前線で使えるという当時の研究に目をつける。WWIの敗北で、戦車を表立って持てないドイツは、ハリボテの戦車を持った戦車部隊を作り、ソ連と密約を結んで、ソ連で戦車を作ってということを始める。戦車の戦略・戦術研究を机上で進めることになる。

やがて時代は、ヒットラーの時代となり、軍備は拡大。オーストリア・ハンガリー・ポーランドと広がる。ここで、フランス・英国の参戦を招く。

西部戦線が広がるときに、グデーリアンが活躍する。戦線の中央を戦車隊が突っ切って、英国の陸軍主力を壊滅まで後一歩まで追いつけるが、上層部の愚策で、トドメを刺せない。その後、あえなく、フランス軍を分断させて、1ヶ月でフランスを降伏させた。

その後、ソ連との戦線を開くが、こちらはうまくいかない。ロシアから続く縦深陣をひかれ、そのうち、クビに。西側からは連合軍の上陸を許し、グデーリアンは陸軍参謀になるが、参謀の能力もなく、あえなく撃沈。捕虜になる。その後に、生活に困って、『電撃戦』などの本を書いたとさ、という内容。

『電撃戦』が三国志演義並みの物語であるのに対して、この本は、昨今のグデーリアン研究の結果を反映して書いてくれているらしいので、より現実に起きたことには近いだろうと思う。色々、知らないことがあったので、様々な感想を持って読んだので、面白かった。


まず第1点目は、西部戦線である。実は、フランスの戦車の方がドイツの戦車より多くて、それぞれの戦車も強かったという点。戦力で勝るフランスが、戦略・戦術のまずさで、大敗を喫するところが面白い。戦車という新戦力を旧来依然とした戦略・戦術で組み込んだフランスと、戦車・自動車という新たな機器に応じて戦略・戦術をしっかり研究して運用したドイツ軍の戦いなのである。そして、その戦車・自動車ベースの研究を進めてきたのがグデーリアンなのである。

やったことは、戦車と自動車歩兵を集中運用したということである。

戦略レベルではなんのことはない。戦車と自動車部隊というのは、歩兵や騎兵に比べ、機動力が大きい、すなわち、移動する速度と距離が大きいのである。軍団の運用をするときに、軍団内のスピードを合わすのは戦略の基本であるが(じゃないと戦力が分散するから)、それを真面目にちゃんとやって、運用できたのが、WWIIのドイツ戦車軍団だったのである。戦車だけでなく、補給の自動車部隊も持っていたから、戦車で戦線を突破し、突き抜けた上で、後から自動車で歩兵がきて、占領し、そして、補給も自動車でできた。独立した軍団として運用できる。

であるから、西部戦線真ん中の森を突っ切って、そのまま突き抜けて、英仏海峡まで行き、後一歩で英国陸軍主力を壊滅させるまで行くことができた。上部の指揮がまずくて、英国陸軍を壊滅し損ねたけれども、その戦車の運用能力はずば抜けていた。

その後、フランスを縦に突き抜け、フランス陸軍を壊滅させて、パリを降伏に陥れる。これも400kmぐらい突き抜けるのだけれども、自動車だから早い。補給も自動車だから、機動力が歩兵、砲兵、騎兵に比べて半端なかったということである。新兵器の運用がうまかったのである。

私は、戦車は第一次世界大戦より組織的に使われていたと思っていたのだが、それは間違いで、戦車戦も、飛行機による攻撃も戦争に本格的に使われたのは、WWIIだということを知った。そして、それまで、歩兵→馬車→騎兵→砲兵ときた流れに、→装甲兵→航空 という流れが加わったのにすぎない。

砲兵の運用の天才だったナポレオンも然り、戦車戦に強かったのグデーリアンという話である。新しい道具は、新しい戦略・戦術をもとに使わないと意味がないということが、よくよくわかる本で面白かった。

こういう兵器のパラダイムシフトがあるときに、旧来兵器の司令官をつけてはいけない。何をするかというと、旧来戦力の歩兵の援護に戦車を分散してつけてしまう。それでは、戦車と自動車の機動力が生きない。


次に面白いのは、ロシア・ソ連の強さである。

戦車軍団(正確にいうと装甲自動車たる戦車と自動車に乗った歩兵の連合軍だん)の強さの秘訣は、スピードにある。自動車だから、移動速度が早い。しかし、そのスピードは道路あっての移動速度であって、モスクワへの道は雪でドロドロになるので、動きが取れないのである。ソ連は、足元を悪くし、縦深陣を引いて、戦車の良さを殺し、高い生産力でドイツを削って行く。そのうちに、米国の参戦を促し、左右から挟み撃ちをして、東欧は占領するというソ連の戦争のうまさである。かくなる広大な領土を持つ国は、大規模な戦略を描くことできるし、戦車という機動力に富む新兵器も、戦略の前には無力である。古来からロシアやソ連は、戦略的に戦うのに長けている。


グデーリアンに対する批判は戦略構想力の無さである。本にも書かれているが、戦略レベルの力は全くないと言っても良いぐらい。装甲兵に対する依怙贔屓もひどく、何を達成すれば戦争が勝てるのかという戦略眼が皆無である。戦力をどのように配賦するのが最適かという構想も、考え方もない。

一方、作戦と作戦における運用能力は高い。戦車で戦線を突破させるならこれという人物である。

前線の指揮官として、正しい戦略のもとに使えばものすごく活躍する人であるし、自動車を戦争に活用するという意味でイノベーションを生み出した人ではあるが、陸軍全てを率いるというわけには行かない人である。

ともあれ、面白い本だった。

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