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「洞窟」について 4:「ハンド・マーク」

2と3では神話やら古墳やらの話をしていましたが、一度「洞窟壁画」に戻りましょう。

洞窟壁画では、描かれているモチーフと言えるものは基本的に動物なのですが、他にも別の系統と呼べそうなものがあります。
ひとつは何らかの記号のようなもの。ある種の意味記号、つまり文字(の始まりとでも言えるもの)なのではないかという説もあったようですが……これについてはこの次でチラッとだけ触れましょう。
そしてもうひとつが、「ハンドマーク」です。

岩壁に手を当て、そこへ塗料を噴き付ける(口に含んで吹き出したのではないかと言われています)と、手の形がいわばステンシルのようにして残る、これがハンドマーク。または「ネガティブ・ハンド」とも呼ばれます(写真の「ネガ」と同じ意味合いの「ネガティブ」です)。

エル・カスティーヨ洞窟。岩壁に複数のハンドマークが残る(中央下部)
Gabinete de Prensa del Gobierno de Cantabria, CC BY 3.0 ES <https://creativecommons.org/licenses/by/3.0/es/deed.en>, via Wikimedia Commons

先日読んだ本に面白い文章がありました。

洞窟とは身体化された心である。

港 千尋『洞窟へ: 心とイメージのアルケオロジー』せりか書房 p.204

もしそうであるなら(※1)、 この手は"心"のふちに触れている手であり、 その痕跡としてのハンド・マークは、もしそれに触れられるならば(※2)太古の人々と手と手で/心と心で接触できることにもなりましょう。

※1:これは洞窟壁画に描き出された太古の人々の"心"が"残されている"ことそのものや、それらを私達が受け取ることができるという、その全体的な"運動"に関する比喩だとは思うのですが、それはそれとして……
※2:勿論ダメです! 遺跡は適切に保全されるべきものであり、もし洞窟遺跡へ入る機会に恵まれたとしても、管理者の指示に従い適切に行動しましょう。

Prehistoric negative hand print from Pech Merle Cave in Le Lot, France

ところで「ハンドマーク」には、 指が一部欠けている(ように見える)ものもあるそうです。
実際に欠損のある人の手によるものなのか(気候や環境の厳しさ、あるいは狩猟生活のゆえに、肉体の欠損は多く起こり得ただろうという考えと、そうであるからこそ指を失った人がそれほど多く生存していたとは考えにくい、あるいはそれにしても多すぎるだろうという意見とが対立していたようですが、一番最後の意見が最も説得力があるように思います)、 あるいは「ハンド・マーク」を作るとき、指を折り曲げた状態で手を当てて描いたのか、もし後者だとすると、それは何を示唆しているのか? 色々と議論があるようです。

おそらく人間が音声言語を手に入れるよりはるか以前に、ジェスチャーによる意思疎通は行なっていただろうと考えるのが自然でしょう。そういう意味で、おそらく"意味"はそこにこめられています。しかしながらおそらくもはや永遠に解凍不能の、そもそも言語で表現できるのかも分からない"意味"です。

洞窟壁画に限らず人が残したものを見るとき、私は基本的には「モチーフ」を見、「意味」を考えるのが好きなのですが、ハンド・マークについてはかなり例外的に惹かれるものがあります。
「意味」は、ものを描いた人々の"心"が"残されている"としたら、それに触れるための数少ない道筋のひとつだと思うのですが、しかし、もちろん、ものには「意味」以外の要素だってありえます。純粋に"運動"として、"快"として描く、ということです。

洞窟壁画が描かれたのはなぜか。一種の"純粋芸術"であるのか、何らかの当時の宗教のような意味があって描かれたのか……そのあたりはさまざまに議論されており、私が書くことは単なる思索でしかないのですが……もちろん「意味」はなかったはずはない、そうも思いますし、ある種の"快"として描かれた部分もあっただろうとも思います。岩壁に大量に残された「ハンド・マーク」は、もはやその意味は分からずとも、それを描いた"運動"そのものの痕跡としてそこにあります。

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