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野茂選手と大谷選手の挑戦: 元教授、定年退職81日目

1993〜94 年のアメリカ滞在中、私が MLB を観戦できたのは、前回書いたボストンだけでした。その後、無事に日本へ帰国し、平穏な(いや、前にも増して忙しい)日々が戻ってきました。

翌年、衝撃的なニュースが飛び込んできました。野茂選手が MLB に挑戦するというのです。当初、彼の契約はマイナー契約で破格の低年俸だったと聞いています。「お金じゃない、挑戦だ!」という強い意思を感じました。曲がりなりにも、私たちも1年間ではありましたが、アメリカにガッツリ挑戦していたので、同じ日本人として、野茂選手にはぜひとも頑張ってほしいと願っていました。彼のデビューのジャイアンツ戦を見たときは、テレビの前に正座する気持ちで(実際はソファーでしたが)、一球一球に歓声を上げながら見ていました。初勝利こそなりませんでしたが、素晴らしいピッチングでした。

皆さんご存知のように、その後、野茂選手は日本人初のノーヒットノーランを二度達成するなど、大活躍を遂げました。アメリカ中に多くの「ノモ・マニア」が生まれ、MLB 全体の救世主とまで呼ばれるようになりました(注1)。


野茂選手に続き、イチロー選手、松井(秀)選手、松坂選手、田中(将)選手、といった日本を代表するスター選手が次々とMLB に挑戦し、素晴らしい成績を残しました。そして現在では、さらに多くの日本人選手が海を渡っています。前田選手、ダルビッシュ選手、菊池選手、千賀選手、鈴木(誠)選手など、枚挙にいとまがないです(藤浪選手も頑張ってほしいですね!)。今年も新しく、今永選手、山本選手、松井(裕)選手らが頑張っています。最近では、日本で活躍すると数年後には MLB に行く感じすらあります。これもすべて、野茂選手の挑戦と成功があったからこそでしょう。


さて、こうした成功の数々もかすむほどの活躍を見せているのが、大谷選手です。今日もホームランを放ったようです(これで、4年連続 20 号です!)。私が初めて大谷選手の姿を見たのは、彼が高校時代に日本選抜に選ばれた世界大会でした(その時のエースは、前述の藤浪選手でした)。大谷選手はその頃からすでに、打者としても投手としても活躍する「二刀流」でした。

日本ハム時代も大谷選手は活躍しましたが、「MLB で二刀流は難しいのでは?」という評論家の意見がある中、MLB でも二刀流を貫き通しています。これは、野茂選手に続く「第二の挑戦」と私は思っています。ただ、最初は思うような活躍ができませんでした。そんな中、2018 年に私は訪米の機会が(しかも西海岸に)あり、もちろん喜んでエンジェルス球場(下写真)に大谷選手を見に行きました。彼は、周りのアメリカ人選手と比べても背が高くスマート(今は体も大きくなりましたが)で(下写真)、その日はヒットこそ出ませんでしたが、トラウト選手とのコンビは印象的でした。素人の私の目には、他の選手と比べて、大谷選手だけが別格の野球センスを持っているように映りました(贔屓目かもしれませんw)。

エンジェルススタジアムの入り口
大谷選手 @エンジェルススタジアム

実はその年、私はまた別の出張で、今度はヒューストンで再び大谷選手の試合を観戦することができました。しかしその日は、ヒューストン・アストロズが地区優勝を決めた翌日で、しかもエースのバーランダーが先発していたので、大谷選手は静かに影を潜めていました(下写真。追記参照)。

ヒューストンで再び大谷選手の試合を観戦


<追記> その日のヒューストンの球場(ミニッツメイド球場)はお祭り騒ぎで、観客の99 % がアストロズファンで埋め尽くされ、その熱狂ぶりは凄まじいものでした(タイトル写真)。私は少し危険を感じ、急遽アストロズの T シャツを購入して、その場で着替えてファンを装いましたw・・・(下写真)。

急遽アストロズの T シャツに着替える

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注1:1994〜95 年の MLB のストライキでアメリカの野球ファンは愛想をつかし、球場を離れてしまった。そんな時、野茂選手の活躍が「ファンの信頼を失った MLB を救った」と米メディアが伝えた。


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