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世界の謎 -第2弾- 最新研究で解き明かすイースター島のモアイ像: 元教授、定年退職207日目
小さい頃、「未解決の世界の謎」に関する記事を読んでワクワクした経験がある方も多いのではないでしょうか。私も例外ではなく、イギリスのミステリーサークルやネス湖の怪獣、ピラミッド、ムー大陸などに心躍らせました。約3週間前、その中の一つである「ナスカの地上絵」について、最新の科学技術を駆使した謎解明の進展をご紹介しました。今回は、世界の謎の第2弾として、イースター島のモアイ像に迫ります。
NHK の番組「FRONTIERS:最先端を切り開く者にしか見えない景色がある」の「モアイの真実:イースター島 繁栄と崩壊」を参考に(注1)、その前半部分をお伝えします。モアイ像が作られるようになったのは西暦 1200 年前後ですが、今回焦点を当てるのは、それが「どのように作られ、どう運ばれたのか」そして「なぜ作られたのか」に関してです(タイトル写真:注2)。
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イースター島はチリ領の火山島で、日本からは地球のほぼ反対側に位置します。伝統的な名称はラパ・ヌイ(「広い大地」の意味)、さらに古くはテ・ピト・オ・テ・ヘヌア(「世界のヘソ」の意味)と呼ばれていました。「イースター島」という名前は、オランダ人探検家ヤーコプ・ロッヘフェーンが 1722 年、イースター(復活祭)の日に上陸したことに由来します。彼は、島で出迎えた巨大な石像群に驚きを隠せなかったと言います。
モアイ像の製作と運搬方法について
地元の研究者と二人のアメリカ人考古学教授が、モアイ像の製作と運搬方法について、従来とは異なるストーリーを明かしていきます。それによると、モアイ像は島の東部のラノ・ララクという採石場(工房)で彫られ、斜面から降ろされて運ばれたようです(下写真)。この場所は共同で管理され、作りかけの像が今でも見られます。
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重さ何トン〜何十トンもある巨大な像を、最も遠いアフ・タハイ(採石場から 14 km)まで運んだ方法は、長い間謎とされてきました。その謎を解く鍵となったのは、倒れていた像の底が水平ではなく傾いている(前傾姿勢だった)ことでした。そして、綱を使ってモアイ像を傾けながら移動させる実験を行った結果、比較的少人数でも運べることがわかったのです(下写真と YouTube (注3))。興味深いことに、イースター島の伝承には「島を建国した王がモアイ像を歩かせた」という言い伝えが残っています。最新の研究成果は、島の伝承を裏付けることになるかもしれません。(下写真もどうぞ)
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<追記> モアイ像はユネスコの世界遺産に登録されています。日本にも、渋谷駅前や宮崎などにモアイ像のレプリカがありますが(下写真)、これはイースター島が正式に使用を認めたものです。過去に発生した地震の津波でモアイ像が被害を受けた際、日本は復旧に尽力しました。その功績が認められ、日本はモアイ像レプリカの製作を唯一認められた国となっています。
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モアイ像が作られた目的
研究者らは「モアイ像を宗教的なものとみなすのはわかりやすいが、これほど労力を使うだろうか?」と疑問を抱き、ドローンなどを駆使して、点在する約 900 体のモアイ像やアフ(土台のみ)の位置を系統的に調査しました。
調査の結果、モアイ像は魚や貝が取れる海沿いだけでなく、内陸部にも存在していることを発見しました。一方、イースター島は火山島であるため、川もなく、湧き水などの水源は限られています。そこで、研究チームが水源とモアイ像の位置の関連性を調べたところ、およそ 90 % のモアイ像が水源近くに建てられていることが判明したのです。このことから、モアイ像が重要な資源の近くに建てられていたことが示唆され、人々の生活に不可欠な場所を示すマーカーとしての役割があったと考えられます(他にも諸説あります)。
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今回、イースター島のモアイ像の解明の前半部分として、像の製作・運搬方法、そして建立の目的について解説しました。しかし、まだモアイ像のルーツやイースター国崩壊の理由、未解読文字など、多くの謎が残されています。また、機会を見つけてこれらの点についても掘り下げてみたいと思います。
次回は、間近に迫った「ハロウィン」について取り上げる予定です。お楽しみに!
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注1:NHK番組「FRONTIERS:モアイの真実:イースター島 繁栄と崩壊」より
注2:NHK「FRONTIERS」ホームページより
https://www.nhk.jp/p/frontiers/ts/PM34JL2L14/
注3:「モアイ像を傾けながら移動させる実験」のYouTube
https://youtu.be/yvvES47OdmY