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子供の頃の夢が広がる場所: スミソニアン航空宇宙博物館訪問記 (元教授、定年退職223日目)

『兼高かおるの世界の旅』との出会い

小学生時代の私にとって、日曜日の朝の楽しみは2つのテレビ番組でした。日本テレビの『ミユキ野球教室』と TBS の『兼高かおるの世界の旅』です。特に後者の番組では、兼高さんが紹介する世界各地の風景や文化がキラキラしていて、海外への夢を膨らませてくれました(この番組は、兼高さんの 73 時間世界一周という新記録の樹立をきっかけに始まったそうです)。


ナショナル・モール:憬れの博物館群

前回の note では、30 年前のアメリカ留学中、正月休みに訪れたワシントンDC の FBI 本部について書きました。あの訪問の数日前、実はナショナル・モールにあるスミソニアン博物館群にも足を運んでいました。今回は、その中でも特に印象深かった航空宇宙博物館での体験をお伝えしたいと思います。奥様に呆れられながらも、私は1日中この博物館で過ごしました。博物館内には、ライト兄弟の初飛行から現代までの旅客機や宇宙船、戦闘機まで、さまざまな展示が所狭しと並べられていました。

<追記1> ナショナル・モールには、10 を超える博物館があり、その多くはスミソニアン協会によって運営されています。航空宇宙博物館の他にも、ナショナルギャラリー、自然史博物館、芸術産業館(閉鎖中)、アメリカ歴史博物館など、魅力的な施設が無料で公開されています。さらに、2003 年には郊外に巨大な「ウドバー・ハジー・センター」が開館し、スペースシャトルをはじめとする大型展示も見られるようになりました(注1)。


旅客機の歴史を巡る

兼高かおるさんの世界一周を支えたのは、ダグラス社の DC-7C というプロペラ航空機でした。1960 年代になるとジェット旅客機が台頭しますが、その直前の時代を築いたのは「ダグラス DC-7 シリーズ」でした。高性能レシプロエンジンを搭載し、史上初の大陸間無着陸飛行が可能な航続距離を誇り、北欧から北極回りでアメリカ西海岸や日本への空路を開設しました。兼高さんはこの DC-7 シリーズを利用し、73時間世界一周の新記録を樹立したとのことです。<追記2>

<追記2> その後、北極回り以外でも、日本からハワイやアメリカ西海岸への路線も開設されました。そして 1970 年代に入ると、航空路線のジェット化が急速に進み、日本でも海外旅行ブームが巻き起こりました。


航空宇宙博物館では、その DC-7 の機体(胴体の前方部分)とコックピットを見学することができました。下写真に示すように、円形のクラシカルな操縦桿が印象的なコックピットを目の前に、私は少年時代に戻ったかのような興奮を覚えました。

円形のクラシカルな操縦桿が印象的な DC-7 のコックピット


月を目指したアポロ、そして惑星探査へ

1969 年、人類はアポロ 11 号によって月面着陸という偉業を成し遂げました。博物館ではアポロ計画で使用された宇宙船や宇宙服を間近に見ることができました。司令船内部の展示からは、限られた空間に詰め込まれた計器類の多さに驚きました。また、大気圏再突入時の激しい熱で焼け焦げた外壁が、月への挑戦が命がけの冒険であったことを再認識しました。さらに、月面探査機のモデルも展示されており、探査の様子を知ることができました。<追記3>

人類はアポロ11号で月面着陸
司令船内部に詰め込まれた計器類
大気圏再突入時の熱で焼け焦げた外壁
月面探査機のモデル

<追記3> 以前の note (8/25,26)で紹介したロサンゼルスのサイエンスセンターでも宇宙関連の展示がありました。特にスペースシャトルの実機展示は圧巻で、当時の市民の熱狂的な歓迎の様子を伝える写真と共に、ご覧いただきたいと思います。

現在の宇宙探査コーナーでは、火星探査機「キュリオシティ」や、小惑星探査機「はやぶさ」、深宇宙探査機「ボイジャー」など、最新の展示が充実しているとのことです(注1)。


スミソニアン航空宇宙博物館は、航空宇宙技術の進歩と人類の挑戦の歴史を後世に伝える重要な役割を担っています。一方で、第二次世界大戦時の各国の戦闘機のコーナーもあり、日本の Mitsubishi ZERO(零式艦上戦闘機、五二型)も展示されていました。航空技術の発展が戦争と密接に結びついていることを、この展示を通じて改めて実感させられました。


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注1:地球の歩き方『ワシントンDC、2023-24』参照

地球の歩き方:ワシントンDC、2023-24


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