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「コケ」の優れた吸収力と将来の機能材料としての可能性: 元教授、定年退職176日目

京都北部の大原に位置する三千院は、幾度となく友人を案内した私のお気に入りの寺院です。最後に訪れた際には、アメリカ人とイギリス人の友人を車で連れて行きました。彼らとは、三千院での写経で騒ぎすぎて住職にたしなめられたことや、狭い居酒屋で日本の伝統的な納豆、梅干し、肉じゃがなどを楽しむなど、懐かしく楽しい思い出がたくさんあります。しかしその時、私にとって最も印象に残っているのは、緑が美しい季節に訪れたため、苔むした庭園全体が夢のような緑の景色だったことです。


ということで、今回は「コケ」についてお話しします。NHK Eテレ「サイエンスZERO」で「小さなコケのミラクルパワー」という特集が放送されました(タイトル写真:注1)。この番組によれば、コケは地球上の様々な環境に適応し、高山や砂漠、南極などの極限状態でも生息しています。また、4億7千万年前に一部の藻類が進化して地上に進出したのがコケの起源で、現在では約2万4千種類が確認されており、日本は世界有数のコケ王国だそうです。


日本のコケの絶景として、尾瀬国立公園が挙げられます。この公園には1800もの池や沼が存在し、独特の生態系が構築されています。可憐な花々が目を引きますが、その下にはコケが湿原を埋め尽くし、影の主役となっています。主にミズゴケが生育しており、このコケは地表面からの水分蒸発を抑え、多様な植物に潤いを与えています(下写真)。(尾瀬には何度か行ったことがありますが、コケには全く目がいっていませんでした)

尾瀬国立公園(注1)
下にはコケが湿原を埋め尽くしている(注1)

ミズゴケは優れた保水能力を持ち、自重の10倍以上の水を吸収できます(<追記1> 参照)。この特性が他の植物にとっての水源となり、広大な湿原を支えています。例えば、1平方メートルのコケは一度の降雨で2.5リットルの水を吸収するそうです。顕微鏡で観察すると、光合成を行う緑色の網目細胞と水を吸収する透明な細胞が確認できます(下写真では、水を吸収して膨らんでいる様子がわかります)。番組内では、エゾスナゴケに水をかけると、瞬時に葉が開く様子が紹介されました。

緑色の網目細胞と水を吸収する透明な細胞(注1)
横から見ると、水を吸収して膨潤している様子がわかります(注1)
コケに水をかけると、瞬時に葉が開く(注1)

<追記1> 通常の植物と異なり、コケは表面のクチクラ層が発達していません。そのため、根だけではなく表面全体から水を吸収することができます。また、ミズゴケには止血性や抗菌性もあり、かつてはガーゼとして利用されていたこともあるそうです。


ミズゴケの下には、植物が分解されずに堆積した厚い泥炭層が存在します(下写真:尾瀬では約6メートル)。これは尾瀬の低温環境とコケが分泌する酸によって微生物の活動(分解)が抑制されているためです。この泥炭層は環境調整機能において重要であり、炭素の貯蔵庫として大気バランスを保っています(通常の植物の分解過程では二酸化炭素を排出しますが、この系では分解が進まないため、泥炭中に炭素を固定することになります。ちなみに、世界中の泥炭層には、大気中の二酸化炭素に含まれる炭素総量とほぼ同量の、600ギガトンもの炭素が蓄えられているといいます)。

尾瀬の厚い泥炭層(注1)
植物が分解されずに堆積した厚い泥炭層の模式図(注1)


コケでの金の回収 

コケは水だけでなく、金属も吸収することができます。番組では、ヒョウタンゴケの原糸体による金の吸着実験が紹介されました。下写真に示すように、金イオンを含む溶液にコケを入れると、わずか5分でコケの色が変化し、金の結晶が形成される様子が観察されました(<追記2> 参照)。反射顕微鏡で観ると、金が細胞内で成長し、細胞を突き破っていました。従来の方法の28倍の金が回収でき、環境への負荷も低減できるため、金回収用の吸着材として期待されています。(下写真もどうぞ)

5分でコケの色が変化(注1)
ヒョウタンゴケの原糸体(注1)
金が細胞内で成長し、細胞を突き破っている(注1)

<追記2> コケの内部はマイナスに帯電しており、金のプラスイオンが吸着する仕組みです。特に、ヒョウタンゴケの原糸体は表面のクチクラ層がないため、金イオンが容易に細胞内に吸収されるようです(下図)。

一般の植物(左)とコケの原糸体(右)の違いの模式図(注1)


宇宙で暮らすための土壌として

国際宇宙ステーションでは、ヒメツリガネコケを使った様々な実験が行われており、他の植物のモデルとして研究に活用されています(下写真)。また、月面基地や火星での植物栽培に向けて、コケを利用した土壌開発の研究も進められています。

国際宇宙ステーションでの実験の様子(注1)


小さくも力強いコケは、地球環境の保全、金の回収、そして宇宙空間での生活など、未来を拓く機能材料として、今後も精力的に研究が進められていくでしょう。私も大変勉強になりました。では、また。


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注1:NHK Eテレ番組「サイエンスZERO:小さなコケのミラクルパワー」より

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