元教授、雪道に挑む: ワシントンDCからの帰還劇 (定年退職209日目)
前回、ハロウィン翌朝の雪に驚いた話をしましたが、今回もその続きです。私が滞在していたアップステートNY は雪が多く、30 年前のアメリカ滞在中に体験した雪や極寒のエピソードを思い出しましたので、少し書かせてください。ちなみに、私も奥様も日本では北国育ちではなかったため、雪には全く慣れていませんでした。
アメリカ滞在中、ひどい大雪が降ったのは3月のことでした。しかし、雪で最も苦労したのは、正月休みにワシントンDC を訪れた時の出来事でした。研究室の仲間たちは皆クリスマス休暇を取っていましたが、私はクリスマスには研究室に行き、正月に少し休暇を取りました。
天気予報は雪でしたが、アップステートNY で頻繁に雪を経験しており、雪に強い愛車ジープ・チェロキーでの移動でしたので、それほど心配していませんでした。ただ、ワシントンに入ると少し雪が積もっていて、雪で立ち往生した車が何台も放置されている光景に驚きました(州の法律でチェーンが禁止されていました)。その時は「都会の人は雪に弱いなぁ」と思い、この時はまだ余裕がありました。
ワシントンでは、FBI 本部の訪問とスミソニアン博物館群巡りを計画していました。その前にホワイトハウスにも立ち寄りましたが、パンプス姿で雪に悪戦苦闘する観光の日本人女性たちを見て、雪用の靴を履いてきた私たちは内心苦笑していました。FBI とスミソニアン博物館群はとても感激しましたので、またいつかそのお話しをしましょう。(下写真をどうぞ)
ワシントンDC からの大雪ドライブ体験
ワシントンを満喫し、いよいよ帰路につく日が来ました。400km 弱の道のりでしたが、長距離ドライブにも雪道にも慣れているので、不安はありませんでした。しかし、出発前にテレビで雪によるエマージェンシー(大雪警報)が出ていることを知り、少し不安がよぎりました。それでも、「遅くとも夜には自宅に戻れるだろう」と楽観的に考えていました。
ワシントン近郊では小雪程度でしたが、高速道路に乗ってしばらくすると状況が一変します。最初は車の少なさに「走りやすい」と感じていたのですが、雪がひどくなるにつれ、さらに車が減りました。何よりも、雪で道の境界線が見えにくいのです。(下写真をどうぞ)
アメリカの高速道路は日本とは違い、両側に壁がありません。開放的である一方、雪が降ると道の境界線がわからなくなります。そこで仕方なく、私は大型トラックの後ろをついて走ることにしました(本来は非常に危険ですが、他に選択肢がありませんでした)。トラックの運転手が急ブレーキをかけないことを祈りつつ、運転を続けました。ただ、ホワイトアウトには遭わなかったことは幸運でした。(下写真をどうぞ)
しばらく進んだスクラントンという街で高速を降りて休憩しようとしましたが、街はほとんどクローズ状態。仕方なく高速に戻り、再び雪がひどくなると大型トラックの後ろをついて行きました。研究室のポスドクたちのアドバイスで、毛布や非常食を車に積んでいましたが、無事に家まで戻れるのか不安が高まりました。
アップステートNY に近づくにつれて雪は弱まり、夕方にようやく自宅にたどり着くことができました。しかしホッとする間もなく、駐車場は雪で埋まっており、車を停めるためにスコップで雪かきをしなければなりませんでした(タイトル写真)。いやはや、最後まで大変な1日でした。
天気予報の重要性と極寒の経験
この経験から、私は天気予報の重要性を改めて認識しました。同時期に西海岸に留学していた友人は、一度も天気予報を見たことがなかったそうです(涙)。確かに、全国の天気予報では「西海岸は、今日も晴れで 90°F(32℃)です」と毎日のように言っていました。
この地域では一番寒い時期には −20℃ 以下になることもあり、風が強い日には体感温度はさらに下がります。スクールバスを待つ子どもたちにとっては低温で危険との理由で「小学校から高校までは全て休校」と、ラジオで何度も聞きました。残念なことに「ただし、大学は開いています」といつも付け加えられていました(笑)。
毎日があまりに寒く、私はパジャマの上にそのまま服を着て大学へ行っていました。自宅も大学もセントラルヒーティングで 25℃ になっていたので、外との温度差は 50℃ 近くになり、とんでもない状況でした(大学ではパジャマは脱ぎ、帰りにまた中に着て帰るというスタイルでした)。
次回もアメリカでの極寒の話を続けます。