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カナダ・ケベック州で体験したタルタルステーキの困惑: 元教授、定年退職126日目

パリオリンピックも後半戦に入りました。今日も団体戦で大きな躍進がありました。最新の結果では、フェンシングの女子サーブル団体で地元フランスとの3位決定戦に勝利し、銅メダルを獲得しました。最後は、パリ五輪日本選手団の旗手を務めた 江村美咲選手 が決めてくれました。これで、なんとフェンシング4つ目のメダルです。また、柔道団体では、同じく地元フランスとの決勝戦! 延長戦までもつれ込みましたが、惜しくも銀メダルでした。いずれも素晴らしい戦いとなりました。


前回、30年前のアメリカ滞在中に、休暇を利用しニューヨーク州から北上した旅の話を始めましたが、今回はその続きです。アメリカのメイン州から陸路でカナダに入国し、ケベック・シティに到着しました。予備知識もほとんどないまま訪れたケベックは、公用語がフランス語で、人々の生活や文化もフランス色が強い街でした。1995年にはケベック州が英語圏からの分離独立を目指す住民投票を行い、僅差で否決されたことがあるほど、カナダの中でも特異な州なのです(タイトル写真はケベック州の州旗(左上)とそれを掲げている店舗)。

ケベック・シティは、1608年に設立された北米内で最も古い歴史を持つ都市の一つです(下写真)。街には古典的で重厚な建築物が立ち並び、我々は中央広場でのカナダ衛兵交代式も楽しみました。黒い帽子に赤い制服を着た衛兵たちが広場を行進する姿が見られ、マスコットのヤギも登場しました。衛兵のスタイルは英国バッキンガム宮殿の衛兵に似ていますが、指令はフランス語で行われるなど、ケベックらしい様々な要素が混在した交代式でした(下写真)。

ケベック・シティの街並み 1
ケベック・シティの街並み 2
中央広場でのカナダ衛兵交代式


その後夕食を取ることにしましたが、奮発して高級レストランに入ったのが失敗の始まりでした。ご想像の通り、メニューが全てフランス語で書かれており、全く読めないのです(今ならグーグル翻訳(カメラ)で判読できるのでしょうが・・・)。その中で唯一読めたのが「タルタルステーキ(steak tartare)」でした。ステーキなら間違いはないだろう、きっと私たちが大好きなタルタルソースがかかっているに違いない、そう期待を込めて注文したのです。

しばらくすると、キッチン帽を被ったシェフがワゴンを引いてやってきました。ワゴン上の大きな銀のフタを開けると、中に生の牛肉と細かく刻まれた野菜が盛られていました。これは美味しそうなステーキになるぞと楽しみにしていると、目の前でそれらを混ぜ合わせ2本の包丁で叩き始めました。素晴らしい演出ですが、それが延々と続くのです。一体いつになったら焼き始めるのだろうと思っていると、シェフはフランス語で、おそらく「出来上がりました、どうぞお召し上がりください」と言ったようです。「あれ? 焼かないの?」私と奥様は顔を見合わせました。「そうか、タルタルって生の素材を細かく切って調理するという意味だったのか!」と気がついた時には既に遅く、シェフは満足げな顔をしてキッチンに戻っていきました。

確かにお肉自体は美味しそうだったのですが、生肉に慣れていなかった私たちは困り果てました。かといって、あれほど得意そうに料理してくれたシェフの手前、手をつけずに残すわけにもいきません。ただ、お腹をこわす方が怖いので、葛藤の末、半分ほどこわごわ食べ(美味しかったのですが)、「今日はお腹いっぱいだから」と苦し紛れの言い訳をして、そそくさと店を後にしました。知らないということの恐ろしさを、身をもって体験した夜でした。


これを思い出したのは、最近奥様が、イギリスの国民的コメディアン、Mr.ビーン(ローワン・アトキンソンさん)の昔のショートムービーで、同じ状況に陥るシーンを見て笑っていたからです。その映画では、Mr.ビーンも同様にタルタルステーキを知らずに頼んでしまい、困って料理を隠そうと悪戦苦闘する・・・オチは、折角うまく隠せたと思ったのに、最後にもう一皿提供されてしまうというものでした。まるで、あの時の私たちを見ているようでした(失笑)。


旅はその後、英語圏に少し近いモントリオール、そして完全に英語圏のオタワへと続きます。それらの街でのエピソードは、また後日お話しします。お楽しみに!




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