知らずに通った寺が煎茶文化の発祥地だった: 黄檗山萬福寺と私 (元教授、定年退職254日目)
大学時代の黄檗の合宿所の記憶
大学生時代、体育会のクラブに所属し、後に監督も務めていた(1年だけですが)頃の思い出を以前 note でご紹介しました。当時、年に1,2度、京阪沿線の黄檗(おうばく)駅から徒歩 20 分ほどの大学合宿所に行っていました。2つ隣には平等院で有名な宇治駅があり、様々な観光名所や食事処がたくさんあるのに、この辺りは寂しい場所だなと思っていました。
真夏の合宿は過酷を極めました。気温 40℃ 近い炎天下、日陰のない広大なグラウンドでの厳しい練習。まだ「練習中に水を飲むな!」が当たり前だった時代、新入生は立っているだけでふらつきました(先輩たちは器用にサボっていましたが)。夜は食事後のミーティングがあり、その後大きな浴槽に皆で浸かるのが唯一の楽しみでした。その後は、疲れて寝るだけなのですが(廊下や押し入れで寝ていた者もいました)、先輩から何らかの用事で走り回ることも少なくありませんでした。当時に戻りたくはありませんが(笑)、懐かしい思い出です。5年ほど前、50 周年記念の OB 会があり(私は仕事があり、2次会からの参加でしたが)、久しぶりに先輩や同級生、後輩に会い、気持ちだけはあっという間に当時に戻りました。
黄檗山萬福寺の驚きの歴史
その合宿所への行き来で、近道として萬福寺の前を通っていました。当時は歴史に全く疎く、大きな古い寺という認識しかありませんでした。訳もわからず、何度かはお参りにも連れて行かれました。先日、何気なく NHK Eテレ 番組「美の壺:煎じて味わう 日本のお茶」を見ていたところ、途中からこの黄檗山萬福寺の話題になり驚きました(下写真)。江戸時代に中国から来て、煎茶の淹れ方を初めて日本に伝えた 隠元隆琦 禅師 が 1661 年に萬福寺を創建したそうです(下写真)。煎茶道の基礎が築かれた由緒ある寺だったのです。(タイトル写真:注2もどうぞ)
現在も毎年5月には「全国煎茶道大会」が開催され、全国から約 30 の煎茶道流派が参加する一大イベントとなっています。また、「普茶料理」もここが発祥と聞きました(追記1参照)。つまり、黄檗山萬福寺は日本の煎茶文化において非常に重要な役割を果たしており、その伝統と技術は今もなお受け継がれています。
茶の道、心の道
番組では、座禅に専念する修行「摂心」を終えた後のひととき、しばし心身を和らげる場として、お茶をたしなむ様子が紹介されていました。今回は特別に、儀式の一部の撮影が許されました。萬福寺では、重要な行事の前後など、節目節目にこうした茶礼を行い、指導役も含め一緒に茶を喫する(「喫」は、こういう風に使うのですね)ことで、敬い、感謝、和合などの気持ちを分かち合っていました。(下写真もどうぞ)
また、家元の教室も紹介されました。おもてなしのために「喫茶去」という掛け軸が紹介され、「お茶でもいかがですか」「お茶でも飲んでいかれませんか」という一期一会の精神を表現していました(下写真)。興味深かったのは煎茶の淹れ方で、急須を直に火にかけ沸騰するまでお湯を沸かし、その熱湯の中にお茶の葉を一気に入れる方法でした(追記2参照)。少なくとも、普通に家で淹れるのとは逆で、抹茶とも全然違いました。抽出される成分も変わるのでしょうか、今度ゆっくりと考えてみます。
この番組を観て思い出したのですが、実は10年ほど前、家電メーカーのシャープから出た「茶葉に含まれる栄養成分をまるごと含んだお茶がいれられる」という謳い文句の『ヘルシオお茶プレッソ』という機械(下写真)を購入しました。そして、2,3年ほどですが茶道に興味を持っていた時期を思い出しました。また機会があれば、お茶にまつわる様々な体験をご紹介したいと思います。それでは、また。
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注1:「黄檗山萬福寺」ホームページより
https://www.obakusan.or.jp/see/
注2:NHK Eテレ 番組「美の壺:煎じて味わう 日本のお茶」より
注3:「シャープ」ホームページよりhttps://corporate.jp.sharp/news/140327-a.html