モントリオールの寿司屋で驚いた出来事: 元教授、定年退職127日目
フェンシング競技の最終日、日本男子フルーレ団体がパリオリンピックで快挙です。ランキング1位と2位の頂上決戦でイタリアに見事に勝利し、金メダルを獲得しました。第7ゲームまで両者譲らず接戦が続きましたが、第8ゲームで両国ともリザーブ選手を投入。そこでピストに初めて立った 永野雄大 選手が5-0の完璧なパフォーマンスで、最後は個人4位の 飯村一輝 選手が冷静に試合を締めくくりました。リザーブの差が勝敗を分けましたが、これは永野選手が準備を怠らなかった結果だと思います。これでフェンシングは5つ目のメダル獲得となり、全てのメダルが「初」の肩書き付きでした(下写真)。また、男子ゴルフ競技では松山英樹選手が実力を発揮して銅メダルを獲得しました。おめでとうございます。
前回、Mr.ビーン(ローワン・アトキンソンさん)がタルタルステーキで悪戦苦闘する昔の映像について書きました。教えてくれた奥様に「なぜ今、Mr.ビーンなのか」と尋ねたところ、パリオリンピックの開会式前に、過去のオリンピック開会式の名場面集がテレビで放映され(追記)、ロンドンの時にMr.ビーンが登場した場面があったとのことでした。その映像を見てみると、彼が交響楽団の中に混じってピアノを弾いていて、簡単なパートなのに間違えて周囲が大騒ぎになるというものでした。
さて、今回はケベック・シティでタルタルステーキに戸惑った旅の続きです。あの夜はホテルに戻るとすぐに胃腸薬を飲みました。幸い、二人ともお腹をこわすことはなかったのですが、冷や汗ものでした。そして翌日、モントリオールへ向かいました。カナダ出身の大学院生によると「モントリオールまで西に進むと、フランス語が依然として強いものの英語が増え、さらにオタワまで行けば完全に英語圏になる」とのことだったので、少し安心していました。確かに英語が通じる場面が増えましたが、掲示などはフランス語の方が多かったように思います。
モントリオールに到着したことを実感したのは、オリンピックスタジアム(タイトル写真)が目に入った時でした(私がオリンピックを意識し始めたのは、1972年のミュンヘンからで、1976年のモントリオールはその次の大会でした)。モントリオール大会といえば、女子体操のナディア・コマネチ選手が史上初の10点満点を連発したことで有名です。ちなみに、日本の金メダル獲得数は9個で、体操・柔道・レスリング・女子バレーボールで獲得しました。
モントリオールでは、旧市街と近代的なビルが入り混じった街並みが印象的でした。モントリオール大学とマギル大学にも立ち寄りました(大学の博物館で、初めてミイラを見ました)。そして、モントリオールの食べ物で印象に残っているのは、クレープとお寿司です。
クレープはフランス料理のデザートとして知られていますが、日本では専用の巻紙に包んで食べるお菓子としてよく知られています。モントリオールでは、中にハムや卵、チーズなどを包んだ食事用のクレープも有名でした。実際にそれを食べてみると、見た目はデザートなのに味は食事というギャップに驚きましたが、味は絶品でした。
モントリオールは、セントローレンス川という大きな川沿いに位置し海にも近いため、新鮮な魚介類が豊富です。そこで、私たちはホテル近くの寿司屋を訪れました。久しぶりに食べた寿司は、ネタが新鮮で美味しく、特にマグロやサーモンは最高でした。面白かったのは、カウンターで寿司を握ってくれた板前さんは日本人ではなかったのですが、私たちに寿司を握りながら、自分も食べていたのです(隠すことなく)。その大らかさに驚き、思わず笑ってしまいました。よほど自分の握る寿司が美味しかったのでしょう。
その後、私たちは旅の最終目的地であるカナダの首都オタワへ向かい、サウザン・アイランドを経てニューヨーク州に戻りました。最後のエピソードは、また後日お話しします。お楽しみに!
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注1:NHK テレビより
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