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読書記録 / ぎょらん



ぎょらん 町田そのこ

町田さんの作品も好きでよく読みます。
今回のは、買ってから何故かしばらく気が向かなくて
今になってやっと読了した本。


多分ネタバレ有りなので
嫌な方は回れ右でお願いします。


後悔のない死はない。
だからこそ
あたたかな涙が止まらない。

帯のキャッチコピーに
とても惹かれて。

人が死ぬ瞬間に強く願ったことが
小さな赤い珠となってこの世に残る。
それは愛なのか、憎しみなのか。


身近な人が亡くなった経験は
二回だけ。
とても大切な二人だった。

もしその二人がぎょらんを残していたら。


ひとりはおばあちゃん。
いつも美味しいご飯を作ってくれて
何にもないよって言いながらも
冷蔵庫からはたくさんの作り置きが出てきて
何故だかいつも、最期まで照れ臭くて
仲良しってほどではなかったけど
祖母と孫のいい距離感だったと思っている。
勝手にそう思ってるだけだけど。

最期は何を思ってたんだろうか。
耐えきれなくて逃げ出してしまって、
まともに顔も見れなかったし
声も掛けてあげられなかった。
癌が発覚してから最期の時まで
一番側にいたわたしの母に
ぎょらんを残していたならば、
それはきっと
気持ちの良いほどの愛のぎょらん。


もうひとりは
自らその幕を引いた人。
全てが終わってから会いに行ったから
ぎょらんには出会えなかった。

何を思って、何を考えて、
どうしていなくなってしまったのか
いまだにわからない。
もう何年も経つのに。

いなくならないと思ってた。
いつもいると思ってた。
困った時はすぐ助けてくれる。
楽しいことは共有できる。
くだらない話も、悲しい話も、
自分に嫌気がさした時も、
いつも聞いてくれてた。

その気持ちは知っていたのに
それを利用してた。
その罰が、こんな形で来るとは。

この罪は、いつまでもわたしの中にあって
きっと最期の時まで忘れない。
大切だったのに
いなくなるまで気付けなかった。
いつも蔑ろにしてた。
なんでいなくなってから気がつくんだろう。

だからもし
彼がぎょらんを残していたなら、
それをわたしが見つけていたなら、
きっとそのぎょらんは
憎しみだと思う。

結局ぎょらんが
遺された人の気持ちだったならば、
彼の残したぎょらんは
わたしの罪の重さで。


なんでいなくなったの
なんで好きだなんて言ってくれたの
なんで夢の中でまで娘の心配をしてくれるの
なのになんで
わたしには会いに来てくれないの

いまでも惹かれる人は
どことなく
あなたと同じで
たくさん話を聞いてくれる人だよ。




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