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読書記録 / 神に愛されていた




神に愛されていた 木爾チレン


多分ネタバレ有りなので
嫌な方は回れ右でお願いします。



女にだけわかる、狂気。
過剰な嫉妬は、やがて強大な殺意へ…。

若くして小説家デビューを果たし、その美貌と才能で一躍人気作家となった東山冴理。
しかし冴理は人気絶頂のさなか、突然、筆を断った――。
やがて三十年の時が経ち、冴理のもとに、ひとりの女性編集者が執筆依頼に訪れる。
「私には書く権利がないの」そう断る冴理に、
「それは三十年前——白川天音先生が亡くなったことに関係があるのでしょうか」編集者は問う。
「あなたは、誰かを殺したいと思うほどの絶望を味わったことってあるかしら」
――そして、この時を待っていたというように、冴理は語り始める。
高校文芸部の後輩、白川天音が「天才小説家」として目の前に現れてから、
全ての運命の歯車が狂ってしまった過去と、その真実を……。

希望と絶望、 羨望と嫉妬……
これは、ふたりの女性作家が、才能を強く信じて生きた物語。

すべてを読み終えたあと、
あなたはタイトルに託された〝切ない意味〟を知り、
ぎゅっと、胸を締め付けられる。

出典:Amazon


木爾チレンさん、2作目でした。
結構前に読んだ作品はそこまで刺さるものではなかった気がして
でも最近よく名前を見かけるなあ、と
数年ぶりに読ませて頂きました。


読みやすかった。とても読みやすくてあっという間に読了。
でも、
タイトルの回収は余韻があったなあ。


神だと崇める人になりたくなることってあるけど
その人のためになんでもする程の狂気までは
流石に共感できなかった。
でも、気持ちはわかる。

神が神である理由。
それがなくなっても神は果たして神なのか。

私の中の神は
もう存在が神だから
何をしてても神なんだけど。
立ってるだけで神だから。
息をしてるだけで、生きてるだけで神。
神といまだに関われている事がもう幸せ。
そう思う人って誰にでも存在するのだろうか。


このお話の中では
小説を書いているからこその神であって
小説を書けなくなる原因は全て自分が排除してしまおうという
だいぶクレイジーだよね?
わからなくもないけど。

でもそれを素直に表現できなくて
すれ違って、誤解して、関係性は良くならなくて。

好きだと、ファンだと、真っ直ぐに伝えられていたら。
そう考えると悲しくなるなあ。
どうして素直になることってこんなにも難しいのかな。
関係性が拗れる前にそれに気づいて
素直に言えたらいいのにな。


最後に天音に渡した本、
「ずっと君を殺したかった」
もう直接すぎるタイトルよ、ほんと。
ここを読んだとき、思わず声が出ちゃったもんね。
どんな小説なのかとても気になる。

殺したかったというメッセージを抱いて亡くなる天音。
自分の存在が原因で神が小説を書けないのなら
自分の存在を消してしまう。
それって狂気。この子すごい。

からの最後に
「神に愛されていた」ってタイトル。
天音に読んでもらいたいなあ。
神自ら愛されていたって言ってくれるなんて
もうそれは世界が崩壊するほどの歓喜だよ。
天音だけじゃないんだろうけど
私はそう捉えるのがいい。


「神」だと思う人に少しでも近づきたくて
沢山のことを真似してたら
いつの間にかそれが自分になってて、
初めて存在を認識したのはもう何年前だろう。
存在を認識してもらえたのも何年前なのか。

今でも神は神だし
年に一度しか連絡を取ることがなかったとしても
覚えていてくれるだけで嬉しい。
神に呼ばれる自分の名前だけは特別。
普段はそこまで好きじゃない自分の名前も
神が呼んでくれる時だけ好きになる。

これからもずっと私の神は神のままでいるんだろうけど
小説の中の二人も
できれば共にいて欲しかったな。
誰も不幸にならないで、真っ直ぐ、正面から。


好きだということを素直に伝えることは
なんでこんなに難しいんだろう。



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