咲いたら散る
子どもが小学校を卒業した。
ただ嬉しいとも寂しいともつかぬ気持ちにどんな名前をつけようかと考えながら散歩していた。
「時間の重み」を感じている。
日常の中でカレンダーの数字と卒業、入学という言葉でスケジュールを管理しているが、気持ちはその時の流れを実感してはいない。
ただ目の前のなすべき事をするだけ。
そして、式典や装いなどで改めて過ごしてきた時間とか、変化を少しずつ受け入れていく。
結婚式とか、葬儀とか、儀式は時間の経過や変化を受け入れ難い人の心を納得させるためにあるものだと改めて思う。
経過に気づいた時、それを良いとするか、悪いとするかは、経過した時間をどのようにすごしたかで変わってくる。
ひとまずは限られた時間を後悔のないように。
とくに名前のつくような思想は持っていない。
悲観的に聞こえるかもしれないが、生まれてしまったら、成長して、あとは老いていくだけ。
2週間近く早く咲いてしまった桜を見ながら思う。
桜の花が人の身体の一生だとすると、桜の木は、魂のようなものかと思う。
子供の頃一度生まれてしまったら、いつかは死ななくてはならないと、気づいて怖くなったことがある。
そのくらい儚く、短く、美しいものかと思う。
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