一緒に暮らす人に必要なこと
斉藤環さん著 「ひきこもりはなぜ「治る」のか?」を読んで、
自身が勝手に思ったことである。
自分が今何の情報を必要としているのか、を考える指針として本屋に行く。
普段よりも長い年末の休暇に、広い本屋を周遊する機会があった。
そこで気持ちの赴くままに本棚を眺めて見つけたのがこの本だった。
タイトルと可愛らしい(表紙をみたとき「ひきこもり」とありながら、近くにひきこもりの人が居ない人にも「関係がありそう」と感じた。
具体的には、うちの中学生娘は「ひきこもり」ではないけど、日々の対応の仕方はこれでいいのだろうか?日々よく考える。
そのアンテナにひっかかったようだ。
本書は「ひきこもり」の治療や支援がどうのような考えに基づいて行われるのか、ラカン、コフート、クライン、ビオンの精神分析家の理論をもちいてわかりやすく解説する。また家族はどのように対応すればよいのか?を理論と臨床の現場から説明している。
精神医療に何の予備知識がなくても読み進められるほど、読みやすいので、
まさに「ひきこもり」についての情報が欲しい方はご一読をお勧めしたい。
本書の前半、先人の理論に関しては、初めて聞く精神分析家たちの名前にもかかわらず以下の文章には、実体験のレベルで共感した。
「欲望は他者の欲望である」Byラカン(欲望は勝手に沸くのではなく、他者から与えられるものという意味)
「集団というのは一つの心をもっている」ビオンの強調する理論
(個人の心理を重ねていったから集団になるわけではなく、集団には集団独特のものの考え方がある、特に無意識のレベルが重要)
自分や子供の人生において、欲求や欲望がどのように沸くのか、人の集団にへの憧れ(楽しそう)、嫌悪感(怖い、不自由)と感じる理由が、先人において理論とされていることにとても驚いた。
家族の「ひきこもり」への対応としては
「ひきこもり」が治るゴールを当事者が「どうすれば元気になるか」
ということを念頭に置き、
「正論より思いやりと共感」のある接し方を心掛けてほしいとあった。
これについて、
「ひきこもり」はもとより「いろいろ問題があったり、仲良くない家族」
を少し元気にするにもあてはまることではないかと思った。
自分は日ごろ家族に接するときに心掛けていることは「自分がされたくないことはしない」ということである。
テスト前にスマホばかり見ている中学生の子供を見ていてイライラする自分が注力したことは、まず自分自身がやるべきことを前にできなかった時の気持ちを思い出すことだった。
もちろん、最終的に勉強してもらうためにはいろいろと必要だけれど、人は自分がやりたくないこと、向き合えないことに対して「やれ」と言われたところでやりたくはない生き物だ。親は親で自身の感情を整理して、(子供にどうしてほしいのか、など自覚して)苦手なことに向き合えない気持ちに共感する必要がある。結局、頭を冷やした後で丁寧に話をして無限に時間を使うスマホを一時的に預かることにした。強制、ではなく、相談や対話ができるように「あなたのことが大事、気持ちはわかるよ」というメッセージを普段から発すること。
たとえ家族であっても、「そのままの存在を、思いを大切にしよう」という気持ちがなければ仲良くするのは難しいと感じている。
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