一人称を巡る問題 その1
幼稚園の頃、ふと一人称に気がついた。
園内のお友だちは皆んな、ぼく、おれ、わたし、或いは自分の名前を名乗っていた。
それに気づくまでの自分が何を名乗っていたのかは記憶にないが、
自分はなんて言ったらいいんだろう、、
と、4歳の僕は突如として決断を迫られた。一度名乗ったら死ぬまでその一人称を使い続けなければならない、それくらい重要なことのように感じられた。人生で初めての重大な決断である。慎重に考える必要があった。
"おれ"はサッカーをやってる格好いいお友だち(タッちゃんとか)が使う呼び名のように思えたから自分の柄に合わない。
かと言って"ぼく"は誰でも使ってるし、なんだか弱々しいイメージがあった。
自分の名前を呼ぶなんてさらに最悪。幼稚の極みである。
八方塞がりの僕はオリジナルの一人称を考えることにした。どのような思案があったかは今となっては定かではないが、一つ最高の閃きをした。
"ボクシング"である。
"ぼく"と格闘技のボクシングを掛け合わせた、当時の僕としては最高にクールで唯一無二の一人称に思えた。
翌日"ボクシング"を使うチャンスは早々に訪れた。僕の一生が決まる緊張の時。だから今でも鮮明に覚えている。
教室のロッカーの前でタッちゃんと立ち話をしている最中にこう言った。
「ボクシングね!昨日ドンキーコングのデッカい蜂倒したんだー!」
完璧だった。
まるで以前からそう名乗っていたかのように、会話の自然な流れの中でボクシングと言えた。
それは70年代の名ボクサー、モハメド・アリの名言「蝶のように舞い、蜂のように刺す」を見事に体現していた。(←ボクシングだけに)
蝶のようにユラユラと揺れる無軌道な会話の中で、ここぞ!というタイミングを見抜き蜂のように刺したのだ。
「ボクシング?」
とタッちゃんは疑問符をつけた。ボクシングはさらに蜂のように言葉を刺した
「ボクシングね!今日からボクシングのことボクシングって呼ぶことにしたんだ!」
ボクシングはK・Oを勝ち取ったモハメド・アリのごとく胸を張った。
すると
「ボクシングってスポーツじゃん!変なのー!!」
タッちゃんはボクシングを指差して大笑いした。ボクシングは戸惑った。
「だ、だよねぇ〜、、!変でしょ〜!」
ボクシングは引きつり笑った。冗談にしないと、この先の人生がパァーになる気がした。
うむ、どうやらボクシングは馬鹿にされるらしい。
即刻却下。やっぱナシッ!
そこから思案を重ねた結果、"ワス"を思いついた。
こち亀の両津勘吉の"ワシ"をマイナーチェンジしたハイセンスな一人称である。
無事にワスは馬鹿にされることはなく、幼稚園児の皆んなに理解された。
かくしてワスはワスのことをワスと呼ぶことになった。
そしてワスは中学入学までのおよそ八年間、名乗り続けることになるのだった。
つづく
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