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『perfect days』役所広司のパーフェクト加減

とうとうクレアおばさんが煮込み終わったのか、といった方面の感慨があった。
『perfect days』を劇場で観たら、役所広司が普段以上に向こう側に行っているように感じた。向こう側とは、人々がうっすら信じてはいるが、特に信用はしていないまま運用されている「善意・善人」の向こう側のことだ。ベルマークを集めているときの漠然とした失望、お台場で開催されているイベントにあらかじめ漂っている「素直に騙されておいた方が楽ですよ」といったムード、朝のニュース番組で放送されているエンタメコーナーで紹介されるいろんなものが、出会う前から世の中全体に走馬灯のようにうすぼんやりと広がって漂っているような感じ。全体として「誰も真に受けてないけどそう思っておいた方が便利」である消極的にポジティブな態度が役所の放っている表情に代表されているというか。

役所広司ってしみじみイヤだ。映画館のスクリーンに、あるいはテレビの画面に役所広司の顔を見るとき、こちら側には自分の好きな役所広司を見る自由がないように思う。ちょうどいい役所広司を見る努力をがんばらなければならない気持ちになって、つかれる。やりたくない塗り絵をやっている感覚が少しある。

そういった、任意ではない役所の顔を見ていると、近所に住んでいるあんまり知らないけど感じは良さそうなおばあちゃんが、カルト系団体の勧誘を受けていい対応をしている様子を目の当たりにしたようなイヤさが一瞬脳をよぎる。黒沢清の映画に出ている役所広司は「この人を信じてはいけないかもしれないが、現実的にはこのような人もまた信じることでしか成り立っていかない生活の全般」が生々しく描画されているような気分に浸れるので納得できる。でも、それ以外の役所はずっと腑に落ちない。そしてまた、この腑に落ちなさは「インチキおじさん」などのシンプルな言葉では片付けられない、もっと複雑な問題であるように思える。役所自身ではなく役所を見てしまうこちら側の視線に問題があるんじゃないか。

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