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バナナドッキリ

私は幼少期から現在に至るまでずっと「バナナ」の存在は「ドッキリ」ではないかと疑っている。疑っているというか、あえて心の底から信じないようにしている。バナナを真に受けないようにして生きている。もっと言ったら、フルーツ全般にやすやすとは信じがたいフィクション性というか、アイドルの演じる「像」を本気で受け取ったらいけないだろうといった、一線を引く気持ちを抱きつつ、生活に丸め込まれる形でなし崩し的にバナナ以外は受け入れている。バナナだけはちょっと、度を越してファンタジーがすぎるのではないかと思っている。

バナナとは、当然、あのスーパーで売っているひと房数百円程度の、向けばすぐに食べられる黄色い果実のことだ。老若男女に親しまれる極めてポピュラーな存在であるバナナが、私は嫌いである。バナナが嫌いな人間はほとんどいないので嫌いマイノリティーである。世間は「よかれ」と思ってすぐにいろんな隙間にバナナをねじ込んでくるので普段は肩身が狭い。
バナナを齧ると、歯の裏側にべったり粘りつく独特のねばつきと、すこし南国の雰囲気があるのに必ずしも南国ど真ん中とは言い切れない中途半端なトロピカル風味と、ヨーグルトに和三盆を入れてよく混ぜたような絶妙な甘さがトリプルで押し寄せてくる。どの要素も一つ一つはポジティブなのだが、全てが中途半端に「快」なせいで心がついていかないというか。どこに焦点を合わせたらいいのかわからないので、かえって猛烈に「不快」のスイッチが入る。なんというか、70点くらいの仕上がりのお世辞を20分言われ続けれ生じた「発狂したさ」を、不快と割り切ってしまうことでギリ精神を保っている。そういう感じがある。中途半端ななでられ方をしている猫ちゃんが、ある瞬間、感情を大爆発させるのと仕組みは大体同じだ。

私にとって、バナナは危険物である。危険物のわりには身の回りにありふれている。トロピカルジュースなど、特段の注釈なしでバナナが混入しているケースが多い。バナナは、空気中の成分で例えるならばトロピカルジュース界の窒素と考えて差し支えない。この世は飲み物に無断でバナナを混入させても構わないと考えるバナナ・ハラスメンターによって運営されている。
喫茶店のパフェに、サンプル写真にはなかったはずのバナナの輪切りが「ちょっと気が効くでしょう♪」といったムードでのっかっているのを見ると、クラスで一番嫌いな人が図書委員になってしまった時期の図書館みたいなしんどさを感じる。
そういう喫茶店に対しては「どうせ創業以来、一度もカーテンを洗ったことがないのだろう(デリカシーがない)」という偏見を勝手に抱いている。実際に、喫茶店で無断バナナが出る確率と、小学校の音楽室にありそうな、洋風なのに和室のムードを放つ、あつぼったいカーテンの設置率は無関係ではないと思う。

そんなバナナを、私は高く評価している。

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