ニセモノに憧れる

「ニセ」

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ってただの当事者よりもむしろある面深刻な切実さを抱えていて面白いから、ユニーク最優先で生きている自分としてはかなり好き。


なのだがファッションに関して私は驚くほどFAKEが似合わない。


例えば、女児アニメの変身願望を具現化したようなチラチラ光を放つプラアクセとかやけくそ気味に貼り付けられたスパンコールとか。(フェイクファーはもはや「フェイクファー」というマジとして機能しているのでFAKEではない)


資本主義で回収されようがない刹那的なキラキラ(素材の値段はチープかもしれないが、反射した瞬間の高揚感はエコノミカルなレイヤーよりもっと確実に実在するというエモさ)へと共鳴する時代性を背景にしながら、

自分が装着するとニセが「ニセ 」として正常に作動しない。逸脱し、脱走し、歪ななりそこないの「ニセでなし」。何度も失われてその度に失望して繰り返した。FAKEですらないチープなメッキ加工が施されたポリ塩化ビニルは時系列を逸脱して崩壊した現文明の残響が聴こえた。

ニセっていうのはニセの自覚があり、フィクションの方があるいは人間にとって真実味を帯びている(現実は嘘をつく)切実さを逆手に取った表現だけど、私が装着したプラアクセはニセの自覚を失って、その瞬間まとっていたニセとしての「けなげさ」のオーラが全部消え失せる。

ロマン優好さん(今Wikipediaを見て知ったけど、ミュージシャンの方なんだ…)が連載で「自分はあのギャルをやっている女の子に興味がある」というようなことを書いていて共感した。

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