4℃の問題とは
毎年クリスマスの時期になると4℃問題というものが浮上しますが、一体何が「問題」とされているのか。感覚的な拒否感が叫ばれるばかりで実情の問題点に言及した意見というものが余り見られません。これでは批判される対象のメーカーも大変気の毒です。そこで、私なりに考える4℃がなぜ問題を引き起こすのかその理由について考察してみました。
【そもそも、アクセサリーとは何か】
近年に至るまで私自身よくわかっていませんでした。
なぜ装着するのか、何のためにあるのか。
もっとも大いなる疑問は「婚約指輪への需要」でした。
婚約指輪は給料三ヶ月分のダイヤモンドがあしらわれたシルバー、もしくはプラチナ製のリングという形式が一般的ですが、個人的には欲しい理由がない。
なぜなら
・かなり高価なダイヤモンドの割にサイズが小さ過ぎて対費用効果が悪い
・すぐに無くしそう
・普段使いはしない(普段はより安価な結婚指輪を装着するのが一般的だそうです)のならばなぜそんなことに投資をするのか不明
などの疑問があったからです。
配偶者が死亡するなどの緊急時に売却して急場を凌ぐという意味があると聞いたこともありますが、もし目的がそうであるならば金の延べ棒を購入して保管しておくべきであって、売却時に価値が暴落するダイヤモンドのリングは全く適していません。無いと思いますが、もし自分がもらうという事態が発生した場合は速やかに一刻も早く返却すると思います。無くしたら確実に怒られそうな感じがするのでそんなものを持っていたく無いからです。
幼少期には「大人になったら欲しくなる」と言われていましたが、現状欲しい兆しは生じておりません。それよりは、ドラゴンや勾玉の方がいいなという感想。これは小学生時から変化していません。
ではなぜドラゴンや勾玉は理解できるのか。
それは、カッコいいからです。ここに何がしかのヒントが隠されているような気がしていたのですが、2年ほど前、唐突にアクセサリーとは何か、理解しました。
【要するにアクセサリーとは】
私自身の見解を率直に申し上げるとそれは
「硬質化した精神性」
です。
そもそも、ファッションには様々な役割がありますが、精神的な効果として大きくは
社会と個人の関わりの中で、あるいは個として、あるいは集団として連続的に存在する自我が、そのどちらかで孤立・疎外されないよう在り方としての態度や配慮を示しながら尊厳を担保する媒体
と考えられると思います。
ここで衣服というものは、より柔軟に時代背景や場のコードにアクセスして個人の在り方を示すもので、状況や世相に応じてより過激にスタイルが変化し続けます。
しかし、変化し続ける環境に呼応し続けるだけでは表現しきれない人間の側面というものもあり、そう言った時代が変化してもある程度普遍的にあり続ける個人の領域を担保するのがアクセサリーの役割では無いかと思うのです。
つまり、会社でスーツを着ている時も休みの日にブックカフェでコーヒーを飲んでいる時も慣れないセレモニーの場にいる時も常に硬質化した精神性を身に付けることによって担保される自己同一性、もちろんアクセサリーも状況やスタイルによって変わるので全く変化がないものではありませんが、衣服と比較してより長い射的距離の自己の信念や態度を祈りとして込めることができるのです。
私自身が市販されているものに全くピンとこないというのは当然で、自我や意思が人と比べて強固ですので、この場合市販されているアクセサリーに多く与えられている精神性としての
場に馴染む・和の尊重を前提とした個人の尊厳を獲得する
という目的に共感できなかったものであります。
興味を獲得した上でよく探したら全然ありました。
この場合私の言葉では
「幸福な生存のためにある時必要な透明な心へと至る精神性」
それは内心に抱く普遍的なモダニズム。タイムレスであること。場の空気に左右されず、しかしながら破壊的・破滅的な振る舞いでもなく静謐に意思を貫くと言い換えることもできます。
このような思想が内包されたものです。探せば全然ありました。
【では4℃の問題とは一体何だったのか】
この場合、上記の視点にもう一つレイヤーを付け加える必要があります。
それは「贈与」という性質です。
贈与は社会学的には「呪い」であるとも言われます。
何かを贈与される時我々は贈与に無形の返礼をしなければならないからです。
アクセサリーを贈与された場合、例え送り主にそういったつもりがなかったとしても
期待された(アクセサリーに込められた)態度に共振する
という呪いが課せられることになります。
4℃のデザインはある意味で非常に完成度が高く、どのシーンで着用していても問題が発生しませんし、悪い意味での高級感やとっつきづらさがなく、オフィス空間で考えるとコピーやお茶汲みを気軽に頼んでも差し支えがなさそうなイメージです。
それは、非常に悪い言葉に置き換えると家父長制を前提とした社会に対しての隷属的・模範的態度を示す精神性と言えます。
そもそもダサいとかオシャレとか以前に、そういった精神的態度を期待されてしまうことへの大きな失望感、それがクリスマスプレゼントという恋愛市場原理、つまりは何かの欠乏を埋めてくれる(市場原理的には)異性を対価の支払いによって獲得するという様式が現代でもっとも色濃く残留しているタイミングで発生することによってクローズアップされ拡大解釈される
という悲しすぎる悲劇が発生しているのです。
送り手の意図としては、状況を選ばず迷惑にならないものをプレゼントしたいという発想でしょうから実に残念です。しかもある程度義務的な感覚で選んでいると思われるのでかなり気の毒な感じがします。
しかし、送られる側としてはパートナーには「女性が常に隷属を期待されるプレッシャーをかけられている」という問題についてメタ認知していてほしいと考えるのもまた当然のことであり、全ての問題点はこのメッセージの誤読によって生じているのです。
しかし、4℃のデザインがある側面で非常に優れているということは間違いがありません。汎用的で対応範囲が広く、一つ持っていると困らないという点においては間違いがない。ただ、現代においてそれがプレゼントに適切であるかというとかなり難しいと言えます。それを購入するかどうかは本人の意思決定に任せるしかないセンシティブな領域です。
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