捨てたいもの
性別に頓着しない子供だった。
私の顔や声、服装や髪型はどうやら中性的らしい。
今さら注釈するが私は女である。
女であることに疑念を抱いたことはほとんどない。男になりたいと思ったこともほとんどない。
そして、数え切れないほど男に間違われてきた経験がある。
私に青い服を着せてベビーカーを押していた母は「元気な男の子ですね」と声を掛けられたという。
小学生の時分、下級生が「なんで男子が女子トイレ掃除してるんだろうね」と話しているのを聞いたこともある。
見知らぬ保護者に「ここ女の子の列ですよ」と教えられ、「女です」と返した思い出がある。
「お兄ちゃんありがとうね」と言われた日には、「ありがとう」の部分に返事をするため前半は指摘しないことにした。
そしてそれらを私は「まぁそんなこともある」と受け流し続けていた。
一ミリも傷付くことなく。
私にとって性別は大した問題じゃなかった。
それより気になることの方が世の中には多かったからだ。
なぜ先生は男子に青い紙を、女子に赤い紙を配るのだろう。
この学校には黄色い紙はないのだろうか。私は黄色の方が好きなのにな。
そんなことを本気で考えていた。
私がピンクの自転車を走らせていた時、見知らぬ子達が「あいつ男なのにピンクの自転車乗ってる!」と指差した。
またしても性別を間違われ、挙げ句男性とピンク色はイコールにならないという謎の定説を押し付けられながらも、私の脳内は「ピンクと紫しかなかったからこっちにしたんだよ」と明後日の方を向いていた。
小学生の頃、あまりに間違われるから一人称を「俺」にしてみた。
この顔と声から発する一人称で一番適していると思ったからだ。
名残が未だに出てくることを除けば、ある程度成功だった。
高校生になって試しに恋愛対象を増やしてみた。
バイセクシャルになったら今までの倍好きになれる人が増えるからお得だな。
それくらいだった。でもなんだかしっくりきた。
捨てられないから、どっちも拾ってみたのだ。
性別は些細だ。
少なくとも私の中では。
私はどれでもない。
少なくとも私の中では。
人生は常にお試し期間。
別に答えを求めている訳ではないが、自分の中で行き場を無くした「性別」がいつか落ち着く場所に出会えるといいな、と思っている。
……最近は国籍を捨てたいと思い始めた。
出たよ。カテゴライズいやいや人間がこんなところにも。
私はそこらの若者の中では比較的まともに日本語を操り、日本の文化と歴史を愛するひとりの日本人だ。しかしふと気が付いた。
私は日本が大好きだが、日本人として好きなわけではない。
ファンネームにもハマりたくないし性別もいらないしあまつさえ国籍まで不要ときたもんだ。
この考えがひらめいてしまった時は流石に少し呆れた。
社会に溶け込みにくいな君は、と思った。
嫌いじゃないぞ、とも思った。
ともすれば生きづらいこの地球にいて、宇宙の前では国籍など誤差だ。
囚われないで生きていきたいね。
私も、あなたも。
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