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えんぶれむっ! ~学苑紋刀録・士道ノ壱~


イラスト:島村鰐

 ……ガリガリガリガリガリガリ

「お、おいなんの音だ?」

「どっかで工事か?」

「ちょ、やだ……あれ見て……」

ガリガリガリガリガリガリ

「あれ……なに引き摺ってんの」

「もしかして……刀か?」

「あの音からして超重たそうなんだけど……」

ガリガリガリガリガリガリ

「どんな奴があんなでかい刀持ってんだ」

「いや、それが刀身よりも背の低い……」

「あの制服って、もしかして……」

「ということは、アレって……紋刀!?」



――國営機関 帝國紋刀認定所 『士道学苑』

 厚い銅板に深く掘られた明朝体の文字。

 その背丈は、どんな人間も見上げられるように高く据え付けられた。

『士魂(しこん)なきもの、この門をくぐるべからず』

 この門をくぐる者の覚悟を試すように、大きな和紙に力強く書かれた筆文字。

 余程の心得を持つ者が書いたのだろう。

 士道精神を体現するかのような、雄々しい字体。

 銅の看板とは対にある門の柱に、その書が大きく掲げられていた。

 さらに、その門のすぐ背後には大きな鳥居が聳え立ち、

『入苑式』

 とこれまた巨大な看板が掲げられている。



 雄々しく、巨大で、どんな人間をも見下ろす門。

 それを見上げ睨み返す一人の少年がそこにいた。

 ……少年は想う、この門をくぐり先に抜ければ、更に巨大な学苑が待ち、更に更に巨大ななにかが自分を待ち受けるのだと。

 少年は震えた。

 だがそれは恐れや怯えの震えではない。

 士道を志す者ならば誰しも覚える震え。

 ――武者震いである。

 震えを全身で感じながら、少年はゆっくりと一歩……また一歩と歩み始めた。

「えんとーさいさま!」

 聞き馴染みのない言葉を発する少女の声。

 その声が少年の歩みを止めた。



「なんだ!」

 神聖な瞬間を邪魔された少年は、不機嫌に油を塗らず背後にぶん投げた。

「……千代?」

 振り返ったその視界に少女はいない。

 少年はその少女の名を呼ぶが、視界に少女が現れることはなかった。

「こっちですよ、えんとーさいさま!」

「あ?」

 再び正面に向き直ると、さきほどまでいなかったはずの少女が仁王立ちで待ち構えていた。

「……千代。なんでお前がそこにいんだ」

 もう一度この少年を表現する言葉を言おう。

 不機嫌……である。



「何を仰っておられるのですか、えんとーさいさま! 

本日よりわたくし『神楽 煙千代(かぐら ちよ←煙は発音しない)』は、主人である3代目炎灯齊様と共に『大帝國士道学苑』にて、勉学と士道に励むのではないですか! 

お忘れですか? お忘れですか!」

 鼻息を荒くして『えんとーさい』と呼ぶ少年に説くように叫ぶその少女は、可憐とはいいがたいが、幼さの残る小柄な体に長い髪を後ろに束ねてそれを上げている。

 大きな瞳と、大きな口、桜色の頬が彼女に可愛らしさを加味し、はつらつなイメージをこちらに浴びせている。 

 見る者の先入観を裏切らない元気な声で、少年に向かって叫ぶ彼女を見て悪意を持つ者はまずいないであろう。

「あー分かった分かった!

 お前の言うことはいちいち長いんだよ! それに俺が言っているのはそういう意味じゃない。

 お前がここにいる理由じゃなく、“なんで俺より先にこの場にいるんだ?”という意味だ」

 待ってましたと言わんばかりに千代は、太いまゆをVの字にして強気な表情を作ると、「えんとうさい」という少年に対し少しばかり高圧的に言った。

「よくぞお聞きになりました! えんとーさいさま!

 その問いに千代がお答え致します!」

「なんだよ」

 千代は右手を主である「えんとうさい」に人差し指を突きつけると、大見得を切るかのように答えた。



「えんとーさい様は、遅刻なのです!!」

 

「……」

「……」

 ……あ、これは沈黙である。

「遅刻か」

「ええ、大遅刻です!」

「今、入苑式の最中か」

「ええ、最中ですとも!」

「そうか。……それならそうと……」

「……?」

「はよ言わんかああああああああ!!!!」

「えんとーさいさま! どちらへ!? あ~~れぇ~~~!」

 千代の脇を全力のダッシュで駆け抜けてゆく「えんとうさい」。

 それを後生の別れかのように手を伸ばし倒れこむ千代。 

そして、巨大な刀を引き摺るあの音。

ガリガリガリガリガリガリ……



 ~学苑紋刀録 えんぶれむっ!~


     

  神威遊



「一、  武士道とは、死ぬことと見つけたり」

『武士道とは死ぬことと見つけたり』

「一、  修羅道とは、倒すことと見つけたり」

『修羅道とは、倒すことと見つけたり』

「一、  士道とは、活かすことと見つけたり」

『士道とは、活かすことと見つけたり』

 大きな武道館である。

 天井が高く、檀上も高い。

 その中央の上座に立つ人間は、余程良い気分で聴衆を眺め見下ろすことが出来るのではないだろうか。



 200余名が整列し、上座の人間の言葉を全員が反芻する。

 その光景は圧巻であり、ある種の美しさをも発していた。

 200名並ぶ大半の生徒は、その瞳をギラギラと輝かせ、檀上に立つその人物を見つめている。

 その眼光の意味は憧れであり、目標でもあり、そしていずれ自分の行く手を遮る敵にもなる男に対する敵意にも似た嫉妬でもあった。

 檀上で、士の心得を詠う男。この男の名は、【百虎】風馬 神雷という。

 日本帝國(ひのもとていこく)、国技である士道というスポーツに於いて、実力と人気ともに備えた国民的スター。

 全ての士道を志す士(さむらい)の頂点に立つ男である。

「あー……ご苦労。そんな感じで気合いと根性で立派な士になってくれ」

 士の心得を詠った神雷は、少し気だるそうに右手の掌をかざすと檀上から降りた。

 彼の人気の理由の一つに、その性格がある。

 強いのにも関わらず、さっぱりとした人柄であり、興味のないものには素っ気ない態度が目立ち、普段はボーっとした雰囲気なのにも関わらず、いざ士道の仕合(試合)になると人が変わったように好戦的になるのだ。

 そのギャップが士道を志す男子だけでなく、女性の心をも鷲掴みにしている、というわけだ。



「えーそれでは、次に学苑長のお言葉を賜ります」

 コート姿にトレードマークのマフラーを翻し、一見すれば妙な出で立ちである神雷。

 彼と入れ替わりに、頭頂がかなり寂しいことになっている学苑長が檀上にあがった。

「学苑長の東 東(ひがし あずま)です。皆さん、初めまして」

 言葉で聞くと違和感はないが、字で読むとかなり違和感のある学苑長の挨拶が始まる。

「まず、皆さん……入苑おめでとう。心から祝福しますよ! 学苑での生活は、厳しいとは思いますが、それだけではありません。ここでは士道のこと以外でも、大切なことを幾つも学ぶことが……」

 学苑長が祝辞を述べている時だった。

 ガリガリガリガリガリガリ

「ん? なんの音でしょう」

 ガリガリガリガリガリガリ

『えんとーさいさま! お待ちください!』

『ええい待てるか! お前、臣下の癖によく俺を放って先に学苑に来られたな!』

 ガリガリガリガリガリガリ



 館内はその近づいてくる妙な音と声にざわつき始めた。

「……どうやら、遅れてきた生徒がいるようですね。皆さん、ここはひとつ彼が到着するまで待ってみようではありませんか。

 こんな重要な日に、大騒ぎで遅刻の出来る……よく言えば“肝の据わった奴”を迎えてみましょう!」

 東学苑長がそう言うと、声と音の近づく扉を全生徒が注目した。

 万が一の時にそなえ、士道の資格を有する教師たち数人がその扉を包囲する。

『なにを申されますかえんとーさいさま! 家臣である私が主であるえんとーさいさまの先にお待ちするのは、至極当然のこと!』

『ええーい! やかましいわ! あれか、あれが会場か!』

 バタン!

「……あり?」

 全生徒と全講師に注目される中、入苑式に到着した「えんとうさい」。

 その一瞬の沈黙ののち、一拍子遅れて千代が入ってきた。

「こ、これは……!」

 その妙な空気に千代も黙る。

 

「……さすが、えんとーさいさま。この千代めは、迂闊でした」

「……は?」

 徐々に状況を理解し始め、冷や汗が出始めた「えんとうさい」は、千代のいう言葉の意味が理解できなかった。だがそれとは逆に千代は爛々とした瞳でもって表情を輝かせてゆく。

「後は、この千代にお任せください! えんとーさいさま!」


 そう「えんとうさい」にだけ聞こえるように言った千代は、注目を浴びる彼の前に立った。

 そして、一つ大きな深呼吸をすると館内中に跳弾するような大声で……

「さあさあ皆様方、ご注目を!

 ここにいらっしゃいますは、かの名紋刀・炎灯齊を伝承された三代目炎灯齊こと“帆村 エンジ”様であらせられます!

 初代炎灯齊である帆村テイエン、そして伝説の士二代目炎灯齊の帆村センエツの士道史上最強の家系、最高の逸材として生まれたエンジ様は、生まれは如月、九つ目の朝!

 これを奇跡の日として、生涯お仕えをお約束したのがわたくし神楽の煙こと、神楽家八代目の臣下・煙千代であります!

 さあさ、皆様方、皆様方、もっと近うに、近うに寄られてこの三代目炎灯齊様の後光をば……」

「千代!!」

 歌舞伎の大見得のような立ち回りで、三代目炎灯齊……帆村エンジを紹介した千代を制止したのは、誰であろうその本人であるエンジだった。

「なんでございましょうか? これからがいいところ……」

「もう、もう……勘弁してください」

「えんとーさい……さま……?」

 千代は俯いたまま動かないエンジを見て、察した。

(えんとーさいさま……もしかして泣いておられる……?! もしかしてこの千代の見得に感銘を受けられたのでは……。この千代のえんとーさいさまを想った迫真の見得に、それほどまでに千代を想って頂いて……わたしは、わたしは……)

「わたしは幸せです!」



「んごっ」

 千代が勘違いでコーティングした言葉を言い終える前に、エンジの鉄拳が千代の左頬にクリーンヒットした。

「あ、ありがとうございます!」

 何故かお礼をいう千代に、エンジは千代の背後を指差し(見てみろ)と意思表示した。

「うしろ……ですか?」

 ざわつく聴衆と、二人を睨みつける講師達。

「あ……あれれ……」

 今更ながら冷や汗をかき始める千代。桜色の頬はコバルトブルーになっていた。



『君のことはよぉ~~~くわかったよ。“帆村 エンジ”君。これからの活躍がひじょ~~~に! ……楽しみだねぇ』

 学苑長が皮肉たっぷりに二人をからかった。

「あは、あはは……」

 引きつった笑いで固まる二人を、般若の形相で講師が列の最後尾に連れてゆく。

 生徒たちはそれを目で追いつつもひそひそと彼らを笑った。

トゲトゲに立った髪、ギザギザの眉、何かを企んでいそうな笑みを含む口元。

 そしてやや小柄な体格に、なによりもそんな彼の体を軽く凌駕する巨大な刀。

 その日を境に、アッとゆう間にエンジは苑内の有名人になった。

「神雷さん……あの生徒の持っている紋刀……」

「……ええ、“伝承十二本刀”……ですね」

 檀上で学苑長が挨拶の続きを話す袖で、講師と神雷が耳打ちで話していた。

神雷の切れ長の眼が、列の最後尾でヘコむエンジを見つめていた――。



 ――入苑式後・苑内

 苑内・1年校舎のとある教室で、エンジは早速人気者になっていた。

 同じ学びの仲間となる生徒に質問攻めを浴びているが、本人は面倒臭そうにしている。

「すっげー! すっげぇなこれ、これって継紋刀?」

「ああ、まぁな……」

「ねぇねぇ、この紋刀ってどうなってんの」

「さあ……抜いたことねぇから知らねーな」

 エンジの返事に一瞬教室内がどよめく。

「え!? 抜いたことないって、どういうこと?」

「そのまんまの意味だよ。俺はこいつを抜いたことがねぇ」

 エンジの「抜いたことがない」という発言に教室内は更にどよめいた。

「継紋刀で、抜いたことないって……?」



 さて、ここで説明が必要であろう。

 エンジの持つ紋刀と呼ばれる刀は、誰でも持っている刀ではない。

 血族により代々受け継がれていた刀であり、後に登場する刀を抜くための技術『紋句』によって抜刀する。

 この日本帝國では、刀剣を所持するのは違法ではなく、きちんとした申請と許可があれば帯刀することが認められているのだ。

 だが、それにより無防備な国民同士での無益な争い、刀による事件を抑制する為に帝國のシステムにより、抜刀が制限されている。

制限の方法として、『紋句』という絶対的なシステムが存在し、“抜刀するために必要な言葉(紋句)と、所持登録されている刀剣所持者本人の声紋認証システム”を詠唱することでしか抜刀を許されていない。

 

 更に、紋句さえ詠唱すれば誰でも抜刀できるというものではなく、それを所持・保有する条件として指定の指導校にて、指定されたカリキュラムを消化、国家で設定された試験に数回に渡り、全行程を合格、認定資格を取得することでようやく抜刀や所持するための権限を得ることが出来る。

 

 ただし、エンジの持つ紋刀はそんな継紋刀の中でも更に特殊なものではあるが、それについての説明は後述としよう。舞台となっているこの『士道学苑』は、その認定資格を取得する国家指定の訓練校というわけだ。

 さて、教室でエンジが物珍しげに生徒たちに注目されているのは、なにもその大きな刀身だけではない。

 もう一つの理由は、“継紋刀”であるということである。



 紋刀には、2種類あり、“新紋刀”と“継紋刀”がある。

 新紋刀とは、血族によって受け継がれた“継紋刀”を持たない国民が、紋刀を取得できる唯一の機関であるこの士道学苑にてその資格を取得し、新しく“自分だけの紋刀”を作れる制度であり、そのものでもある。

 士道学苑に入苑希望する大半がこの新紋刀が目的であり、継紋刀を取得している生徒は実に全体の3分の1ほどにとどまる。

 新紋刀を目指すものとして、継紋刀を持っているのはある種羨望の的でもある。

 

 そういった背景もあり、継紋刀を持つエンジは注目されているのだ。

 そして、もう一つ知っておいてもらいたいことがある。

 抜刀条件である『紋句』は、新紋刀を目指すものに関しては好きな言葉を任意に設定できるが(例:「抜刀しろ」「刀を抜くぜ」など抜刀意思が込められた言葉が一般的)、継紋刀に関しては最初にその紋刀を手にした士が設定した紋句を代々血族で継いでゆくため、変更が出来ない。

 つまり、ここでエンジが生徒たちからおかしな目で見られているのは、『継紋刀を持っているのに、何故抜刀したことがないのか』という疑問からきているのである。


「継紋刀所持者ってさ、学苑に入苑するときに“抜刀紋句を伝承していること”が絶対的な条件だって聞いたんだけど……」

 一人の生徒が他の生徒たちの疑問を代弁した。

「知るか」

「えー! 知るかって、抜刀も出来ない奴とこれから一緒にやるのかよ!」

 疑問の次は不満が飛び出した。初日から注目されるというのは、いいことばかりではないようだ。

「別に俺と一緒にやるのが嫌ならやらなくていいんじゃねぇのか。俺は俺で勝手にやる」

「抜刀出来ないってことは、紋句知らないってこと? それとも紋刀自体に問題があるってこと?」

「っちゅうかどっちも問題じゃなーい? そのどっちだとしても学苑になにしにきたんだって感じぃ」

 イライライライラ

 おや、なにか聞こえはしまいか?

 どうやら、音の主はエンジからのようだ。

「ぼぼ、僕なんてお母さんの反対を押し切ってまで士道と紋刀を教えてもらいにきたのに、きき、キミみたいないい加減なのがいるとモチベーション下がるよ」



プチン

「だあああああああっっっっっっっ! ぅぅうううるせぇぇぇえええ!!」

「うわー炎灯齊が暴れたぞー!」

 教室内で炎灯齊を振り回して暴れるエンジ。

 あたりを取り巻いていた生徒たちは雲の子を散らすようにわーわーキャーキャーと悲鳴を上げながらエンジから離れた。

「あーそうだよ! 俺は来たくてこんな学校に来たんじゃねぇ!

 お前ら知ってるか? この炎灯齊はなぁ、“伝承十二本刀”なんだよ!!

 国が“伝承を持つ家系は士道学苑受講が義務”ってんだよ!

 残念ながら俺は一人っ子だ! 悪いか!」

 ギャーやキャー、うわーにひぃーといった色とりどりの悲鳴を上げながら生徒たちは右往左往と逃げ惑う。


「そう。だから、彼の入苑は<特例>扱いになっている」

「うおっ!?」

 乱暴に暴れまわっていた炎灯齊が次の瞬間、ピタリと止まった。そして、エンジの振り回す炎灯齊を片手で受け止めたその人影は、エンジの代わりに解答した。

「百虎だ」

「風馬神雷よ……」

「うわぁー本物だ!」

 炎灯齊を片手で止められ、動かせないでいるエンジは神雷からなんとか炎灯齊を離そうと押したり引いたりした。

 だが、炎灯齊はビクともしなかった。


「てんっめぇ~、離せよ!」

「ん、ああ、すまない」

 エンジが動かない炎灯齊を全力で引いたと同時に、神雷は手を離した。

 不意に制御する力を失った炎灯齊はエンジと一緒に教室の机と椅子へと吹き飛ぶ。

「わあっ!」

 エンジが吹き飛んだタイミングで、ジュースを両手に抱えた金髪の少年が教室に入ってきた。なにが起こったのかは理解出来ない金髪の少年だったが、目の前に飛んできたエンジに手を貸そうと駆け寄る。

「大丈夫? つかまって」

「あ、ああ、すまねぇ」

 エンジはその少年の手を掴み立ち上がる。



 そして、少年は次に倒れた炎灯齊を持ち上げようと手をかけた。

「んっ! ……な、なんだこれ」

 だが、彼が取ろうとした巨大な紋刀・炎灯齊はびくともしない。

「ああ、丁度いい。お前たちも見ておけ……そこのお前、彼を手伝ってやれ」

 騒然とする生徒の中から適当に一人を指差し、金髪の少年の手伝いをするように指示した。

「え、刀を拾うのに手伝いって」

「いいからやってみろ」

「はい……んしょ、あ、あれ」



「なんだ二人でも無理なのか、じゃあお前も手伝ってやれ」

「は、はい」

 さらにもう一人生徒を手伝わせ、ようやく炎灯齊を起こすことができた。

 その光景に生徒たちは言葉一つ発することはなくただ静かに見守るしかできなかったのだ。

「もうわかるだろう。そういうことだ」

 生徒たちの目の前でエンジは、軽々と炎灯齊をひったくった。

「生徒3人がかりでやっと起こすことの出来る重さの、巨大な刀をこいつは鞘ごとではあるが簡単に振り回す。紋句を知らないことは問題なのかもしれないが、実力としては申し分ないとは思えないか」

 神雷のその問いに誰も答えられる者はいない。

「……まさか、こうも伝承使いが入苑するとはね。何年振りかな、同じ伝承使いとして歓迎するよ。三代目炎灯齊くん」



 神雷はそういうとエンジに握手を求めた。

 

 強がりからか、それを無視するエンジ。

「そうか。……それもいい」

 出した手を納めると、神雷は教壇に立った。

「僕も実は伝承使いでね。みんなよろしく」

 教室にいた生徒の大半が(なにが実はだ!)と心の中で叫んだ。

 国民的スターである士、風馬神雷が伝承使いであるということは、彼を知る誰もが知ったことであったからだ。

「そういうわけでみんなよろしく。中には僕を知っている人もいるだろうけど、プロ士道の士をやっている風馬神雷だ。

 基本的にいつも忙しいので滅多に学苑には来られないが、毎年入苑式には来るようにしている。だから次に俺が来るときに、誰もリタイアしていないことを切に願うよ」

 神雷は全員が席につくのを待って次の言葉を言おうとしている。

「……なにしてる? 早く席について」

 神雷の視界に、一人うろうろとしている先ほどの金髪の少年が入った。

「あ、あの……僕の席がなくて」

「ん、おかしいな。生徒の数だけ用意していると聞いたが」

「す、すみません」

「しょうがないな、じゃあすまないが立っておくか」

「はい、……わかりました」



『ガタッ』

 神雷と金髪の少年のやり取りの途中で、一際大きな音が教室に響いた。

 全員がその音に注目する。その音の主はエンジだった。

 エンジは椅子を横に浅く座ると、少し余分に空いたスペースを指差して金髪の少年に言った。

「おい金髪、お前ここに座れ」

「え、でも」

「座れ!」

「う、うん……」

 一つの席にぎゅうぎゅうと狭そうに座る男子二人。

 その妙な光景に、誰もが声を殺して笑った。

 だが、その中で周囲の笑いとは明らかに種類の違う微笑みを浮かべていたのは、笑われている当事者である金髪の少年だった。彼が浮かべた笑みは喜びを含んだ優しい笑み。

「あ、ありがとう……僕、北川ハーレイって言うんだ。よろしく」

「ああ、俺は帆村エンジ。こっちこそ、さっきはサンキュな」

 エンジもニッカリと笑うとハーレイの肩を叩く。

 窓の外の茂みに、一組の机と椅子が捨てられていたことはもっと後になってから、清掃員が知ることとなる。



「んっだァァアアア!」

 入苑説明後の小休憩、とある教室の隅で男の暑苦しい雄叫びがこだました。

 その声を追ってみると、長い髪をカチューシャで留めた細見の男がやかましくがなっていた。

「ちょ、小太郎さん! 落ち着いてください!」

 今にも暴れだしそうに荒れている男を抑える何人かの生徒。

 そのどれもがパッとしない印象なので、余計に小太郎と呼ばれた男の端正な顔立ちが際立つ。

「くぉれが落ち着いてられっかァァア!」

 小太郎を抑える生徒を吹っ飛ばすと、刀を床にゴン、と音を鳴らして突き立てた。

 四股立ちで膝に掌を乗せ、肩で息をする小太郎は相当憤っているらしいことは、誰の目から見てもとれた。

「ぅ俺の名を言ってみろォ!」

「ケ、ケン……あ、いや、燕塾八代目頭首・佐々木小太郎様です!」

「違ァう!」

 小太郎は答えた生徒……いや、子分の頭を鞘のままの刀でこづいた。「ギャ」と短い悲鳴を上げ、子分は変な格好で倒れた。



「そォいうこと言ってんじゃねーんだ! 俺はな……」

 気絶して横たわる子分の背中に足を乗せて小太郎は言う。

「天下無双の大剣豪(予定)、佐々木小太郎なんだよ! 家の名前なんぞどーだっていい!」

 その様を大勢の生徒たちが注目していた。小太郎の手に握られた刀は紋刀・燕尾閃。

 佐々木家の家銘・燕塾頭首に代々伝承されてきた超長尺の業物である。

 つまり、すごく長いのだ。

「この“物干し竿”を持つこの俺サマよりも目立ったあいつぁなんだ!?」

 小太郎は燕尾閃を“物干し竿”と呼ぶ。自分の名があの有名な剣豪と似ているから勝手にそう呼んでいる。

「三代目炎灯齊、帆村エンジだそうで……」

 えっへっへ、と他の子分がゴマをすりすりしながら寄ってきた。

 ゴチン!

 ……予想通り一名様ご案内である。

「名前じゃねェんだ、あいつァ何様だって言ってんだ! 俺は俺サマだが、あいつは何様だァ!?」

 



 どうやら小太郎の怒りは、入苑式でエンジが目立っていたことが原因らしい。

「伝承使いだァ? 知るか! 俺よりエラい奴ァ、俺サマだけなんだよ!」

(なに言ってんだ……あいつ)

(燕塾の若頭って、頭悪そう)

(物干し竿だって……ダサくね?)

 残念ながら小太郎の地獄耳にはそれらのひそひそ話は全て聞こえていた。

「んだらァァァアアア!!!」

 そして暴走。

「わー! 先生呼べー!」



 入苑説明は、振り分けられたクラスごとに、各教室で行われる。

 入苑式と違い、入苑全生徒を一堂に集める形式ではなく、教室ごとに教師が振り分けられて説明が行われるのだ。

 この日の日程は、入苑式⇒入苑説明(三時限を消費)⇒解散となる。

 現在は、一度目の入苑説明が終了したところなので、あと二時間、時間の拘束があるということになる。

 エンジと千代は別のクラスに振り分けられた、先ほどの神雷との悶着を千代は知らなかったのである。

「なんですってぇ~~え!」

 そういう訳であるから、当然千代はこう叫ぶというわけだ。

「あんだよ、うるせーな。お前は自分の教室に行っとけよ」

「そういう訳にはいきません! この千代、臣下としてえんとーさいさまのお傍にいないということは如何なものでしょうか!

 苑則という絶対的なルールがこの施設内に敷かれている以上、千代はそれを守らなければいけません。不本意ながら他の教室での勉学に苦汁を噛みしめ我慢しようと決めておりましたが……。

 そのような無礼を働く不届き者がいるのならばやはりこのわたくしめも……」



「千代」

「はっ!」

「お前、うるさい」

「はひゃっ!」

「こんなもんはただの世間話の延長だろうが。噂になって耳に入れるより直接話してやっただけだ」

「……なんと勿体ないお言葉、この千代、感動いたしました! えんとーさいさまはいつも千代の一歩先を見据えておられます」

 と千代は泣いた。

「あのぅ……」

 そんな二人の掛け合いに、居づらそうに声をかけるのはハーレイだった。よくよく見ると、休憩時間にも関わらず一つの椅子にまだ二人で腰を掛けている。

 窓際に座るエンジと通路側に居る千代に挟まれ、居心地が悪いようだ。

「ん、ああ悪い」

「えんとーさいさま、そちらのお方は?」

「ああ、北川ハーレイってんだ」

「……北川ハーレイ様? ですか」

「俺の友達だよ」



「えっ!?」

 驚くハーレイ。

「なんだよ、違うのか?」

 驚くハーレイに驚くエンジ。

「え、いや……僕なんかがキミのような有名人と……」

「なに言ってんだ。お前、こうやって一つの椅子に座ってんだからもう友達だろ?」

 

 ぶわわっ!

「うおっ!」

 なんの音かとエンジ達が振り向くと、千代が涙の橋を作って号泣していた。それはもう泣いていた。



「えんとーさいさまぁああ~! ついにご友人が出来たのですねぇええ~! 千代は、千代は嬉しゅうごじゃあますぇ~~~」

 もはや聞き取り不可能の言葉と鼻水を同時に吐き出す千代の顔は見れたものではなかった。

「大げさなんだよ!」

「ははは……」

「じゃ……まあ、これからもよろしくな」

「……うん。よろしく」

 ハーレイは手を差し出した。

「ん?」

「握手だよ。友達の証」

「……そうか、じゃー握手だ」

「千代も握手するですぅうう~!」

「入ってくんな!」

 ハーレイ、千代、エンジは三人の掌を一つに繋ぎ、互いのこれからを思い笑いあった。



「ゴォォルァァアア! 帆村エンジィィイイイ!」

 そんな時、小太郎の雄叫びが廊下にこだまし、その声は嫌でもエンジ達の耳に刺さった。

「な、なんだなんだ?」

「獣の声がするぞ!」

「おいあれって燕塾の……」

 教室の誰もが何が起きているのか理解できずざわつく中、エンジは立ち上がり声のする方を見た。

「あれって、完全に俺を呼んでるよな?」

「ダメですよ、えんとーさいさま。既に私どもは学苑で目立っております。揉め事を起こされてはこれからの学苑生活に響きますので……」



 三人の子分に止められながら、それでも力ずくで進撃しながら小太郎の高い背の影が見えた。

「おらァ! 出てこい帆村エンジィ!」

「あれは……確か、“燕塾”の佐々木小太郎……」

 ハーレイが小太郎の影を見て呟いた。その声が聞こえた小太郎は振り向き、ハーレイと目が合った。

「……? なんだァ? なんで外国人がこんなところにいやがる」

 小太郎はハーレイの煌びやかな金髪を見ると忌々しく口を歪めた。

「……」

 ハーレイは言葉を殺し、押し黙る。

「てめぇ、ここがどこだと思ってやがる。士(さむらい)が侍道を学び、士道に昇華させる場、崇高なる『帝國士道学苑』だぜ。つまり、日本男児しか入苑を許されていねー神聖な場所だ。まーサービスで女子の入苑も許可してるみたいだが」

「ちょ、小太郎さん! 男女差別ですよ!」

「うるっせ! 俺は古き良き男尊女卑を推奨してんだ! 文句あっか」

「……」

 ハーレイは黙ってうつむくと、ただ嵐が過ぎ去るのをじっと待つ。

「おい、ハーレイ……?」

「ごめん、帆村くん。こうやっていればすぐに終わるから……」

 俯いたまま力なく笑うハーレイにエンジはそれ以上は何も言わなかった。



 さて、ここでまた説明しなければなるまい。

 この日本帝國は、数十年に渡り『鎖国』を宣言している。

 『鎖国』とは言っても、ご存知の『鎖国』とは少し意味が違う。文化の流出を防ぐのがその主な目的である。輸入や情報などの交換は行っている為、ネガティブな意味合いはそれほど目立たないのだ。

 ではこの国が言う『鎖国』とはなにか?

 それは外国人の入国を禁ずるものである。もちろん、然るべき申請をし、許可された場合は特例として免除される場合はあるが、前例はほとんどない。

 

 よって、日本帝國には純粋な日本人が九割以上で、外国人と思わしき人間はそれだけで国民からは白い眼で見られてしまうのだ。

 更に国民レベルまで他国の情報がほぼ開示されておらず、『外国人=悪』のような風潮がこの帝國には深く根付いている。

 そういった事情もあり、他国から帝國は毛嫌いされているというわけなのだ。

 その中でも友好国の協定を結んだ国もあり、アメリカやポルトガル、台湾などは、入国に関する条件が少し緩く設定されているのだ。

 『鎖国』については過去になにかその要因になる出来事があったようだが、この『紋刀』の文化を外に出すことをなによりも危険視している帝國は、国民が他国に出ることも原則的に禁じている。

 お分かりいただけただろうか。この帝國において、ハーレイは生きていきづらい環境なのだ。



「おい、答えろ。“なんで外国人がここにいる”んだ?」

 再び視界を教室に戻すと小太郎はずけずけと教室に入ってきた所だった。

 ハーレイの傍までやってくるとハーレイの白い肌と碧い目がよほど気に入らないのかじろじろと睨む。

「僕の母はスウェーデン人ですが、父は日本人です。この国で生まれ、この国の言葉でしか話せません。戸籍上もちゃんとした日本人です……」

「っへぇ~、そうなのか。帝國のお役所様も優しいこったな。じゃーしゃあねェ、この国に住むことは許してやるよ。だがなァ」

 バン、と両手で机を叩き、ハーレイの顔へと更に近づく。

「この学苑で士道を学ぶことなんざァ、この俺が許さねェ」

 小太郎の迫力に誰も口を挟まない。状況だけを見守り、誰もが無関心を決め込んでいるのだ。

 そうなった理由は2つある。

 一つは、小太郎の迫力がそうだ。

 もう一つは、見ているギャラリー達の目もハーレイを見下しているからである。

 誰も止めに入らないのは、その二つの理由が居座っていたからである。

「俺が優しィ~く言っている内に、おうちに帰んな。坊ちゃん」



「……い、いやだ」

「あァ?」

 ハーレイは立ち上がると拳を強く握った。小さな声だが、強い意志をはらんだ眼差しで小太郎を睨み返す。

「僕は、強くなる為にここに来た……! 日本人として、士として、紋刀を振るうために!

 だからやめない! キミになにをされようが、他の生徒にどんな目で見られようとも、絶対にやめない!」

 ハーレイの決死の言葉に小太郎の表情が変わった。

「っほぉ~、外国人のくせに生意気な顔すんじゃねェか。てめぇを今ここで叩き斬ってやりてェが、……新紋刀志望か。てことはまだ紋刀を持ってねーんだな。

 丸腰の奴を斬ってもなァ? 坊ちゃん」



 先ほどまで大声で喚いていた声とは明らかに違う低い声で、小太郎はハーレイを威嚇する。彼の表情を見るに、もし仮にハーレイが紋刀を持っていたなら本当に斬っていたのではないかと見ている者の不安を与えた。

「お前が、刀を持った時、俺がお前を斬ってやるよ。光栄だろ?

 お前みたいな“偽日本人”が俺のような“名門士”に斬り捨てられるなんてなァ?」

 小太郎はそこまで言うと、目線をハーレイから外へと外した。

「……で」

「そこでスゲー眼つきで俺を見ているお前はなんだァ?」

 小太郎が視線を動かした先は、ハーレイと同じ席に座っていたエンジであった。

 そう、小太郎はエンジの顔を知らなかったのである。

 入苑式での悶着の時、小太郎は離れた位置にいたため、エンジの姿をとらえていなかったのだ。

 ハーレイの隣でずっと睨み続けているエンジに反応しなかったのはそのためだ。

「ビビッてんのを隠すために睨んでたんなら、許してやるよ。ええ? チビ」

「……あのよ、気になったんだが」

 

 ようやく口を開いたエンジに周りはみんな注目している。



「紋刀があったら、斬り合いしてくれるってことだよな?」

「はぁ~ァ?」

 小太郎は大げさに言うと、耳に掌をあてて『もう一度言ってみろ』というジェスチャーをした。

「なんで俺サマがどこの誰ともわかんねーサルと斬り合いなんぞしなきゃいけねーんだ」

 ……沈黙。

「ん? なんだ?」

 普段ならば小太郎がそういえば、子分が先頭に立ち大声で笑うのだが、この時ばかりは笑い声を上げる者はいなかった。

 エンジを知るものは小太郎の目当てがそれだと知っていたし、知らないものはゆっくりと立ち上がるエンジが握る炎灯齊でエンジであると確信したからである。

「……!? そのバカでかい紋刀……お前、まさか」

 反射的になのか、小太郎の左足がずりりと音を鳴らし一歩下がった。

「千代」

 エンジが呼ぶと千代がエンジの後ろでひざまずき、小さく息を吸った。



「名門・燕塾八代目に恐れながらこの神楽が申し上げます。

 この方は、炎殲院十五代当主であり三代目炎灯齊・帆村エンジ様であります」

  千代の口上はいつもの調子とは違い静かなものだった。

「っへぇ……お前が帆村エンジか。思ってたよりチビだな」

 眼光を飛ばし口元だけを歪めた小太郎はエンジを見下す。

「挑発には乗らねーよ。それよりどうすんだ、お前に選ばせてやる」

「はァ?」

「戦う前に降参するか、戦って降参するか」

 にやりと笑うエンジ。

「上等ォ……!」

 ガガガ、ガッシャーン! と乱暴な音を立てながら周りの机や席を吹き飛ばし、教室の中心に場所を空け、あっという間にそこは死合の場となった。

「鞘を当てろォ、帆村ァ」



 紋刀を持つ者同士がお互いの鞘を当てることは、斬り合いの同意を意味する。

 死合とは、抜刀しての斬り合いを意味する。

 片方が一方的に当てる行為は『ケンカ売ります』という意思表示であり、相手が同意した場合、『死合』が許可される。(但し、資格者が立会人として同席しなければならない)

 エンジは小太郎に近づくと、ガチンという音を鳴らし鞘を鳴らした。

「帆村くん!」

 ハーレイが心配そうに叫んだ。

「お前は気にすんな。元々こいつの目当ては俺だ。けど俺が立ち会う理由はこいつみたいなクソとは違うけどな」

 ハーレイを見てニカッと笑い、表情を一変させ小太郎を睨みつける。



「おい! 誰だ死合しようとしてんのは!」

 血相を変えた角刈りの教師が現れ、二人を見るや否や状況をすぐに理解した。

「ばっかやろう……!」

 本来止めなければならない状況にも関わらず、教師は止めに入れなかった。

 これは、『両方が同意の元行われる死合は、何人たりとも止めることは許されない』という絶対的な士道規則があるからだ。

 この士道規則は帝國憲法と同様の力を持つため、一度死合が始まってしまうと教師といえども止めることは許されない。

 それどころか、有資格者である教師がその場に居た場合、立会人として見届けなくてはならないのだ。

「角田先生、この死合、僕が見届けましょう」

 うろたえる角刈り教師の肩を叩き、割って入ってきたのは神雷だった。

「立ち合いは僕がするよ。問題ないね?」

「ええ、望むところです」

「誰でもいーよ」

「うむ、じゃあ……いざ、尋常に……」

 二人の間に立つと、神雷は右手を前に出し、その手を上に振ると同時に言った。



「勝負!」

 神雷の狼煙に二人は飛び掛かるかと思われたが、場は静かなものだった。間合いを取りながらお互い、様子を窺う。じりじりと足を鳴らす音だけが聞こえ、生徒たちは黙ってそれを見詰め息をのんでいる。

「もっと猪突猛進なタイプだと思ってたが、……さすがは伝承使いといったところか」

「ふん、お前こそもっと高飛車な戦法なのかと思ったぜ」

 睨み合いながらお互い距離を保ち、言葉で牽制し合う。

「は、高飛車な戦法なのは間違いねェな」

 小太郎は刀の握りに手をやる。

「いいか、お前の短い人生、絶ったのはこの佐々木小太郎様だ。地獄の閻魔にでも自慢しな……」

 刀の柄を強く握ると小太郎は、言い知れぬ威圧感を放出しながらその言葉を言った。

『全てがひれ伏す』

 ガギン、という金属音が響く。これは紋刀の抜刀ロックが解除されたことを意味する音だ。

 シャリシャリという少し長めの音を走らせ、小太郎は燕尾閃を抜いた。



「なんて長い刀だ……」

「美しい……」

 ギャラリーが沸く中、小太郎は燕尾閃の刀身を披露した。

 燕尾閃の刀身は緩やかに弧を描く曲線が美しい、長尺の刀だった。

 それはまるで燕が空を大きく旋回する軌道のようであった。

 切っ先は縦に二つに割れており、それもまた燕の尾を思わせる。

 それを腰の横に構えた。

「入苑した最初の相手が伝承とは……、感謝するぜ“炎灯齊”」

「……」

 エンジは黙って、炎灯齊をぐるりと回すと片手で構えることで応えた。

「バカでかい紋刀持ってるだけあって、相応の豪腕ってわけかァ」

 空気が針の先のように張り詰める。

「リャァ!」

 先に仕掛けたのは小太郎だ。

 低く体をかがめた状態で、間合いを詰めると舞い上がるように燕尾閃を振るった。

 



 エンジはそれを炎灯齊を軸に前に飛び、その反動で宙返りしをして避ける。

「……! サルかよてめェ」

 次の攻撃に備え、向き直るエンジに襲い掛かる燕尾閃。今度は横に一太刀浴びせようと綺麗な弧を描き振りぬく。

 同時にギンという尖った金属音。炎灯齊を盾に斬撃を防いだのだ。

「帆村ァ……」

 小太郎は唇を噛みしめて、炎灯齊を盾に半身を隠すエンジを睨んだ。

「てめェ……何故“抜かねぇ”!? ……バカにしてんのか」

 構えを立て直すと、エンジはその問いに対して眉ひとつも動かさずにいう。

「は? 抜かなきゃたたかえないなんてアホだろ。これが俺のスタイルだ」

 その回答に小太郎は顔を赤くした。

「死合に抜刀せずたたかうなんて、そんなもんは士道じゃねェだろ!

 命かけてんだぞこっちゃ!」



「何言ってんだ。俺だって鞘を当てた瞬間からお前を殺すつもりでやってるぜ。

 ……ただその手段が“斬る”のか“叩き潰す”かってだけだ」

「屁理屈詠いやがって! 俺がいやでも抜かせてやるぜェ!」

 エンジの答えで更に頭に血を昇らせた小太郎は三の太刀で斬りかかった。

 それに備え、炎灯齊を両手で構えるエンジ。

「いや、帆村エンジは紋句を知らないから抜刀できないんだ」

 そんな空気を読んでか読まないでか、神雷が独り言のように言った。

「……は?」

 小太郎の太刀が止まる。

「……おい」

 エンジは呆れた様子だ。

「ちょ、待てよ神雷!」

「今日は神雷“先生”だ」

「……神雷先生!」



「死合ってのは双方が抜刀して初めて許可されるんじゃないのか!?」

「帆村は伝承所持者であるために、『特例』扱いだ。死合においてもそれは適用される」

「なんだよそれ! そんなもん死合じゃねーじゃねェか!」

「落ち着けよ、佐々木。別に抜刀できなくたって俺は戦えるし、むしろ抜刀なんかしたことないからこれが俺の士道だ。ささ、続きしようぜ」

「……っざけんな!」

 小太郎は燕尾閃を鞘に納めると、エンジに背を向けた。



「よくもこの俺サマを舐めてくれたなァ……帆村。お前が俺と士道をバカにするのなら、俺もお前をこの学苑から消すのに手段は選ばねェぜ」

 『チッ』とわかりやすく舌打ちすると子分たちを引き連れて教室から去っていった。

 去り際の小太郎がエンジに向けた目つきの色は、戦っている時とはまた変わっていた。

「……無効死合ってことで。各自、席につけ」

 神雷はそれだけ言うと、角刈り先生に後を任せた。

 角刈り先生はその結果に安堵して大きく息を吐き、顔に皺を寄せる。

(あ~あ……北川の奴、佐々木に目をつけられちまったな)

(ただでさえ外国人嫌いで有名だから、遅かれ早かれでしょー)

(あいつの机窓から捨てたのに、それがきっかけで帆村と仲良くなっちゃったね)

(なにやってんだよ、あいつを気軽にパシれなくなんじゃん)

(入苑式直後でいきなりジュースパシられるなんてすごくね?)

(いやーどうせ長くは続かないって。誰もあいつと仲良くしようなんて思わないだろ)

(性格どうこうってよりメリットがないからなー。自分の生い立ちを恨んでもらうしかねーよ)



 ガリガリガリガリガリガリ……

(おい、帆村が来たぞ)

ガリガリガリガリガリガリ……

(うわ、やっぱりとなりに北川がいやがる)

 ガリガリガリガリガリガリ……

(まーあの二人、お似合いじゃねーの? なんもしなくても敵しか作らないタイプっていうか……ははは)

 ひそひそと二人に向けて心無い言葉が交わされる。ハーレイは自分のせいで今の状況を招いてしまったのだと思い、気まずそうにエンジを覗き見た。



「ごめん……帆村くん。僕のせいでみんなに避けられて……」

「シャラップ」

「え?」

「お前がどう思ってんのか知らねーけど、俺は慣れてんだよ。お前と会う前から、世間が俺を見る目は今とほとんど変わらねーんだ」

 周りから聞こえてきそうな、二人を的にした中傷めいた言葉にハーレイが気遣うが、エンジはそのようなことは気にしていない様子だった。

「今と変わらないって……それって」

「……つまんねー話だよ」

 そういって話そうとしないエンジとハーレイの間に、千代が割り込んできた。

「私がご説明します。北川様」

 千代がコホン、と一つ咳をするとその続きを聞きたくないのか、エンジは歩く速度を速め、二人と距離を離した。

「あ……帆村くん」

「……えんとーさいさまは、伝承使いにも関わらず紋句を引き継いでおられないということで、心無い人たちから好奇の目に晒され続けて参りました。

 更にお父様である二代目炎灯齊様は、幼い頃に生家である炎殲院を出て行かれ、それ以来行方知らず」



「そもそも継紋刀は親から子へと代々紋句を伝え引き継いでゆくもの。

ただの継紋刀ならば紋句が分からなくとも、帝國鍛冶(紋刀資格発行の場)で然るべき処理を行えば変更が出来るのですが、伝承十二本刀はそれの例外にあたります。

 伝承十二本は、希少刀種であるため特例法が施行されているため、一般の紋刀規則に当てはまらず、一子相伝。

 つまり、親から子への伝承が絶対とされている為、紋句が不明であってもそれを明らかにする方法はありません」

 千代の話を相槌を打ちながら聞いていたハーレイは、エンジの知られざる半生に眉を顰め彼を想った。

「……でも、帆村くんは三代目なんだろう? だったら初代であるお祖父さんが紋句を知っているんじゃ……」

「残念ながら初代炎灯齊様はすでにお亡くなりになっておいでです」

「そんな……」

「もうお分かりでしょう。えんとーさいさまは炎灯齊を抜けないのに、士道を学ぶことを義務づけられました。

 それは同じ士道を学ぶ者たちにとってどう映るのか。

 ……先ほどの燕塾八代目の態度を見れば明らかでしょう。 まともに真剣死合をしてくれる相手すらもいないのです」

 “まともに相手をしてくれない”。それは理由は違えどハーレイにも良く解っている事だった。



「……」

「北川様、恐れながら申し上げます。北川様とえんとーさいさまは、人柄こそ違えど、よく似ているのでございます。

 そんな自分と似た空気を、えんとーさいさまなりに感じ取られたのではないでしょうか」

「刀の抜けない士(さむらい)と、金髪の日本人、……か。

 確かに似ているのかも知れないね。だけど一つだけ絶対的に違うものがある」

「……それはなんでございましょう?」

「彼は強い。憧れるほどにね。僕はまだまだだ」

 ハーレイの言葉に千代はふわりとした優しい笑みを見せるとこう言った。

「あのお方は負けず嫌いですから。抜刀出来ないことを今ではなんとも思っていらっしゃいません。むしろ、抜刀しないことを誇りに思っていらっしゃいます。

 あの大きな紋刀を片手で振り回せるようになったのは、人並み以上の努力があったからでしょう。千代はその姿をお近くでずっと見て参りました」

「はは、やっぱり僕じゃかなわないな」

 乾いた笑いに首を横に振り、千代は続けた。

「いえ、北川様。人より劣ることなどなにもございません。えんとーさいさまは人に負けないものを手にするために、努力の上であの抜けない刀を扱うことができました。

 北川様はきっと、これからえんとーさいさまとご一緒に精進されることで、えんとーさいさまにも持っていない何かを掴むことができると思います。

 ですから……頑張りましょう!」



 千代はそういうと大きな口を大きく緩めるとにっこりと笑った。

「……ありがとう神楽さん」

肩に圧し掛かっていた重荷が少し軽くなるのを感じたハーレイは、今日の中で一番、自然に礼を言うことが出来た。

「それと、お願いがあるんだけど」

「なんでございましょう。北川様」

「僕を“様”づけで呼ばないでくれよ。ハーレイ、って呼んでくれ」

「滅相もございません! えんとーさいさまの大切なご友人を呼び捨てで呼ぼうなどと!

 ……では【ハーレイ様】でご容赦くださいませ」

「だったらな!」

 千代とハーレイの間に今度はエンジが割って入ってきた。



「な、なにかな? 帆村くん」

 強引に会話に乱入してきたエンジにハーレイは圧されるばかりだ。

「お前も、俺を“帆村くん”だなんて呼ぶんじゃねーよ! エンジでいい、エンジで!

 っつーかエンジって呼ばなきゃ、叩き潰すぞ!」

 ぐいっ、とハーレイに顔を近づけるとエンジは偉そうに威嚇した。

「ではハーレイ様。わたくしめのことは“千代”とお呼びください。“神楽さん”では堅苦しゅうございます」

 しばらくエンジと千代の顔を交互に見つめると、観念したようにハーレイは笑った。

「分かったよ、エンジ、千代。よろしくね」

 それを聞くとエンジはまた正面に向き直り、ガリガリと音を立てて炎灯齊を引き摺り先を歩いた。

「……おう」

「あーー! えんとーさいさま、照れてるぅ~! ひゅーひゅー!」

 急にからかう千代にエンジは無言で炎灯齊を振り下ろした!

「甘うございます!」

 それをひらりと宙返りで躱す千代。

 何事かと彼らを見る生徒たちをよそに、「えんとーさいさまともあろうお方がお照れになられるとは、千代は嬉しゅうございます」とはにかんだ。



 ざわざわとするギャラリー。

「……千代」

「はい?」

「おもっきりパンツ見えてたぞ」

「……!?」

 顔を赤くしてゆっくりとハーレイを見る千代。これは『見てないよねハーレイキュン?』の意である。

 苦笑いするハーレイ。

「……な、なにを仰いますか! 見せてやったのであります! みんなにわたくしめの入苑式仕様のパンツを見せてやったのでございます!!」

「どんな強がりだそれ」

 千代の強がりを余所に、周囲のギャラリーからは「水色」「水色のしましまだ」「ある意味ポイント高いな」などと聞こえる。

「まあーーっっ!!」

 いたたまれず千代は叫びながら走り去った。

「じゃあ、戻ろうぜハーレイ」

 ガチャン、と炎灯齊を背負い直し、エンジはハーレイに促した。

「……ああ、エンジ」



 同じ時刻、別の教室では佐々木小太郎が子分どもとよからぬ話をしていた。

「士道を舐めているなんちゃって士と、帝國舐めてるなんちゃって日本人。この二人を学苑から排除する知恵を出せェ」

 子分どもは考える振りをしながら内心は、『そんなこと知るかよ』と思っている。

「ちなみにいい案を出した奴には、燕塾グループお食事券を1万円分進呈しよう」

「はい! 小太郎さん!」

 とても良い顔で子分Aが手を挙げた。なんとも現金なものである。

「毒を盛るというのはどうでしょうか」

「お前、俺を犯罪者にする気か」

 死合で相手が死に至った場合を除き、帝國では人を死に追いやった場合は逮捕され罪を償わなければ……、言うまでもあるまい。

「却下だ。次」

「はい! 小太郎さん!」

 次は子分Bがとてもいい顔で手を挙げた。食事券の力は絶大である。



 小太郎の御家である『燕塾』はプロ士道の士を育成する道場を経営しており、その他の分野でも色々な事業を展開している。小太郎は御曹司という訳だ。

 士道の腕も去ることながら、絶対的な権力も持ち、彼の自意識過剰にも取れる態度にはそれなりの理由があったのだ。

 だからこそ、自分より目立ったというだけの理由ですら、彼には重大なことなのである。

「あのいつも横についているチビ女を攫うのはどうでしょう」

「チビ女……? ああ、あのチビ女か。どっちもチビだから紛らわしいな」

「そうです! あのチビ女を攫って、脅すのはどうでしょう? 二人ともとはいわなくとも北川くらいは責任を感じて自主退苑するかもしれないっすよ!」

「お前……それ超卑怯じゃねェか」

 小太郎の目が光る。その眼光に後ずさりする子分B。

「だが、卑怯だからこそ威力がありそうだ! いいねェ、それ! それいいよ!」

「ぅあありがとうございまっす!」

 小太郎が食事券を渡すと、子分Bは小躍りして喜んだ。

「じゃーお前ら作戦考えとけ。それでいく」

「うぃっす!」

 自分と戦う相手とはフェアさを求めるが、それ以外の邪魔な人間は手段を選ばずに排除する。

 これがボンボン士・佐々木小太郎のモットーだ。



 最後の入苑説明の授業が終わり、エンジの教室を受け持った神雷は生徒たちを見渡すと静かに話す。

「さきほども言った通り、僕が学苑に来るのは今日だけ。次に予定が決まっているのは3年後の卒苑式だ。

 毎年入苑式には来ているので、実際は来年入ってくるキミらの後輩達の入苑式になるが。

 ともかく、それ以外の日に来る時は気分次第です。

 こう見えてプロ士道の士をしているので忙しいからね」

 神雷の「こう見えてプロ士道の士をしている」というワードにまた生徒達が反応する。

 当然、心の中で皆「知っとるわ!」と叫んだ。

「そういうわけだから、しばらく会うことはないんで今のうちに言っておく」

 神雷はもう一度生徒達を見渡すと、静かに、だが力強く

「ようこそ、士の世界へ! 我らは強き修羅を欲する! 手にする刀は守るものと知れ!

 己が胸に燃ゆる士魂を守るものと知れ! 士である以上、刀に生き、刀と逝け!

 この修練の先にある決意を掴め、それが士魂を守る覚悟の言葉となる!

 それを紋句という! その紋句と共に死ね!」

 神雷の詠った文句に、その場にいた生徒達はビリビリと震えた。それはエンジやハーレイも同じである。

 それほどにその言葉は、重くあり、生徒達を奮い立たせる。



「……以上だ。諸君らの武運を祈っているよ」

 神雷がそういうのと同時にチャイムが鳴り、教室から去って行った。

「面白くなりそうだな、ハーレイ」

「僕はちょっと震えてるよ、エンジ」

 ふるふると拳を震わすハーレイを見てエンジは笑った。

「笑うなよ、止めたくても止まらないんだ」

「お前、知らないのか?」

「え?」

「それは恐怖や不安の震えじゃないんだぜ」

「それって……?」

「武者震いってんだ」


【士道ノ二へ続く】

#えんぶれむっ

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