母とわたしと宗教のこと④


信仰心という価値観で世の中全ての物事を見ていた母。
そんな母といつの頃からかまともに会話をしなくなりました。しなくなったというよりは、「したくなくなった」とい方が正しいかもしれません。
なぜなら、どんな内容の会話をしていても、必ず宗教や信仰に結びつけてくるからです。 
例えば、人間関係の愚痴をいえば、「それは、お導きしろって言うことだ」と言われたりするからです。
ただ、愚痴を聞いて欲しいだけなのに、「救いを求めてる」「私にこの話しをするという事は、神が導けと言っているに違いない」
と解釈していた様でした。
実際、私に黙って勝手に友人宅に手紙と教会のパンフレットを送るというある意味、暴挙とも取れる行動をした事がありました。
当初は、私に「教会のパンフレットを渡せ」「導きなさいって示されてるんだ」と言ってきましたが、私が拒否したために、母自ら手紙を送った様でした。
幸いにも、友人のご両親からは「そっとしておいて欲しい」という内容の手紙が届いただけでした。
この事やその他にもいろいろありましたが、結果的に、「この人(母)に何を言っても無駄」「話しが通じないし、聞いてもくれない」
そんな思いから、会話する事が少なくなりました。

そして、勝手に友人に手紙を出した事。
誰かを救いたい、幸せにしたい、という気持ちが強すぎた結果なのでしょうか。
確かに、皆を幸せに導きたいという気持ちはあると思いますが、
それだけではない、と私は何故か思っていました。