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キューバ旅行記(6)~ドローン禁止の革命広場から精悍な女性像とも出会いまで~

  ホテルに戻ると各部屋を掃除中のメイドさんに廊下で出くわし、部屋備え付けのペットボトル水二本分の請求をされ、支払った。
 汗で濡れたシャツを脱ぎ、水を飲み、ベッドに座ってしばらくボオッとする。
 今日はここに行って、明日はここに行って……と、頭の中で行程を組んでみる。「ツアー」の輪郭は自分の中で既に決まっていた。ガイドブックの地図で、目的地までの道をなぞる。途中の目印を探す。立ち上がり、再びホテルを出た。
 
 今思えば革命広場まで徒歩で行ったのは凄いことであった。
 オビスポ通りを抜けて、信号を渡り(ハバナの信号は全て発光ダイオードで、赤が近くなると緑マークの人形が走り出したりとユニークである。道路標識のデザインも個性的だ)、車道を横断し、広場を抜ける、少しすると、白くて巨大な、ドーム状の建物が見えてくる。 
 国会議事堂だ。横を通ると本当に大きく、見上げるように続く階段の一番上には警備員が立ち、~をしてはいけません、という注意書きも立っている。反対側を見れば、車道と、生活臭のする旧市街風の街並みなのがまた良い。
 ちなみに信号が赤でも車が来てなければ横断してしまう市民に影響され、同じことを何度かしてしまったが、今は反省している。
 

 国会議事堂の横を抜け、ぐるりと歩道を曲がる。車道の標識を見ると、真っすぐ行けば「サルバドールアジェンデ通り」だと分かる。標識の通りに真っすぐと歩く。
 観光客の少ない通り。中は広々としているが、どこか薄暗い店があったりして、よく見ると食べ物を置いていたりする。
 そうかと思うと立派な塔が左右に二つ、天に突き出た立派な教会があったりする。歩き続けると政治的なポスターも徐々に目立つようになってくる。最近行われた憲法改正についてのポスターが多い。
 さっきまでの旧市街よりは建物は密集しておらず、公園や緑地が目立ったりもして、大きな建物の前を通ることも多かった。木々に囲まれた緩やかな上り坂を登る。広々とした車道と歩道。車に比べて歩行者は少ない。当たり前だがハバナにも、落ち着いた場所はある。


 黙々と歩き続けて、大きな交差点に出た。真っすぐ行くか、左を下るか、よく分からず、疲れていたのもあり、右側に車道を横断して、大きな木(幹が絡み合い、枝が真っすぐたれ、どこかガジュマルを彷彿とさせた)の下に腰かけ休んだ。
 水を飲みながら、地図を確かめる。ほとんど人の通らない通りをぼおっと眺める。やがて立ち上がり、車道を横断して、緩やかな坂を下っていく。
 何となく景色が開けてくる。夕方でも、まだまだ明るい。途中巨大な看板があり、紫の背景に、何人もの、学生服の子供たちが笑顔で並んでいる。端の方に「ヘルムズバートン」の文字。悪名高き米国の対キューバ経済制裁への反対ポスター。賑やかな声が聞こえてくる体育館。その横を通った時、少年に声を掛けられた。「ヘルムズバートン」しか聞き取れなかったけど。
 
 やがて左側に大きなビルと、ビルの前方を覆う巨大なポスターが見えてくる。晴れた日の革命広場で笑顔の男女が並んでいる写真のポスター。更なる生産と革命を呼びかけている。さっきの子供たちの写真もそうだが、プロパガンダ臭のしない宣伝ポスターだ。

 車道挟んでビルの向かい側には、どこまでも続く広場があり、奥の方には巨大な白い塔が見える。ホセ・マルティ記念博物館の塔。キューバでは珍しく、「普通の共産国」に立っているような塔を彷彿とさせる。
 少し緊張しながら、広場の真ん中へ歩いていく。さすがに警備は厳重で、自転車に乗った観光客らしき人が笛を吹かれて自転車を降りた。広場の中心辺りまで歩き、振り返る。
 右側の建物にカミーロの顔が黒い線で描かれ、左側の建物にゲバラの顔が描かれているのが見える。地面に座り込んで写真を撮っているグループがいる。自転車は駄目だが座り込むのはいいらしい。
 まだ明るい夕方の空と、ただ続いていく地面と、ゲバラとカミーロ。景色の構成要素がシンプルで、その分だけ迫力があり、感慨もある。ハバナ旧市街の街並みや美術館に代表されるような、底の見えない枝分かれした力とは異なる均質性がこの広場にはある。
 とは言え黒い線で描かれた二人のデザインはどこか親しみやすく、「共産国家」のステレオタイプには収まらなかったけど。


 しかしこの広場で一番存在感を示しているのは、フィデル・カストロではないのか。マルティのように像も作られず、チェやカミーロのようにユニークな描かれ方もしない。
 崇拝の意味を持って描かれてはいけない人物。個人崇拝をさせないというけじめを付けたフィデルの絶対的不在が、却って彼が巨大な存在だということを示している。
 
 元来た道へ戻ろうと引き返す中で、二つの発見があった。一つはドローン飛行禁止の標識があること。もう一つは一人の警備員が音楽を聴きながら仕事をしていたということ。音漏れがこちらまで聞こえてきたのだ。
 
 自転車やドローンは駄目で、座り込んだり音を漏れで音楽聴くのは大丈夫という、その線引きの根拠を教えて欲しい。
 
 来た道を戻っている。体育館の横から賑やかな打楽器の音が聞こえる。近づくと一人の青年が肩から打楽器をぶら下げ練習している。親指を立てて彼に向ける。彼も笑顔で応じる。 
 このまま行ってしまうのももったいなくて、彼の元に行く。「日本から来た」と言う。「スペイン語は喋れる?」と聞かれ、「ほとんど喋れない」と言い、「英語は喋れる?」とこちらから聞く。
 喋れないと少し残念そうに答える彼。それでも、スネアドラムとその先にいくつかの打楽器が付いたキューバの楽器について説明してくれた。「ありがとう」と言い、また歩き出す。異国ではこういう小さくて平穏な交流が、胸の中で残り続ける。
 
 革命広場に行く前に休んだ「がじゅまるの樹」のところまで行き、そのまま緩やかな上りになっている道を歩いていく。やがて景色も開け、下り坂になる。広めの家が並んでいたり、高いアパートが立っていたり、新市街は旧市街より熱気が無く静かな分、穏やかな雰囲気があり、遥か向こうには海も見えて心地よい。
 
 ちなみにハバナ大学を見てみたいと思い歩いていたつもりが、少しずれた道を歩いていたらしく、この日は見ることができなかった。
 交差点で右に曲がる。柵もある、新しくはないが広めの家が並ぶ(行きかう車の運転以外は)静かな道。家の前に停まっている車の周りで、親戚同士なのか、別れを惜しんでいる。もしかしたら民泊もあるのかもしれない。他にはレストランがある。
 本屋もあったので入ってみたが、スペイン語の本が主で、種類は豊富そうだがよく分からなかった。(ベネズエラに関する本があったのは覚えている)
 
 途中見上げるような巨大なビルがあり、政府機関かと思ったら、ホテル「アバナリブレ」だった。翌日この周辺が、思い出の地になる。
 
 道を適当に曲がったりしている内に、徐々に人も交通量も増えていき、やがて「Cuba」と書かれた看板が設置された崖と、その下でバス待ち等で大勢の人が集まり、後はただただ海が広がるマレコン通りに着いた。

 涼しくなっていく時間帯。海沿いの歩道の壁の上でくつろいだり、音楽を聴いたり、寄りかかって話したり、市民が憩う日常の中を歩く。広場のオブジェで遊ぶ子供たち。そして話しかけてくるおじさん。写真を見せてきて、「日本に友達がいる」と言ってくる。しかしやがて「キューバシガー」の話になり、笑顔で断り早歩きで去る。徐々に断り方もスマートになってきた気がする。
 
 大きなビルが街側に見える。ハバナの多くの建物の例に漏れず古そうだ。赤い文字の看板が見えたので目を凝らしたら「病院」とのことだったので、写真を撮った。(どうしてもキューバから医療というイメージは離せない)
 車道を横断して、街側の歩道から、徐々に旧市街へ向かい歩いていく。ちょっとした広場にもオブジェがあったりして飽きない。
(柱に赤いロープを丸めたり括りつけて作った、脳みそのような物体がいくつか吊り下げられている作品があり、制作意図は分からないが迫力はあった)
 しかし街角のオブジェで一番印象に残ったのは、女性が象られた作品だった。銅色の、女性の胸から上の部分。八メートルくらいある作品。
 胸から肩までは「消えかかっており」、儚さを感じる。しかし顔は美しく精悍で、真っすぐと海の方を見据えている。作品紹介があったので、英語は得意ではないが英訳(意訳含む)してみる。(https://artsanjuan.com/で、このアーティストの活動や作品が見れる)

 顔は人々の魂や、ジェンダーの多様性を示すことができます。私達の間の衝突や文化交流において、「美」を避けることは、私にとって不可能です。今日の国際化した世界ではなおさら。
(衝突や交流は)いかなる場所においても現れます。
何故女性を描き、作るのか? 女性はもっとも生命を表しています。私の芸術家としての関心は、この作品が街の中心を捉えることです。
通りすがりの人が作品と共存して、永遠の思い出となるために、私たちの中に(この作品が)脈打って欲しい。

(続く)

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