人生の深みを見てしまうと精神病は治らない
若い頃、精神病をわずらったばかりのころの感想です。
精神病をわずらって、ずいぶん、人生の「深み」を見てしまいました。抜け出せないような深みです。
くすりを飲んで、だんだん精神病がよくなっていくときに感じたことです。自分が、鈍くなっていくように感じられる。あれほど敏感に人生の深みを見ていた自分が、自分でなくなってゆく。どんどん鈍感になってゆくのです。
それを、「回復」と言うらしい。
それで、自分が鈍感になっていくのが耐えられない人は、いつまでも敏感でいようとするので、ずっと、精神病が治らない。深みにとどまってしまう。
でも、これはジレンマなのですよ。治りたいのに、回復することとは、鈍くなること。
前から、「気づかせてください、知らずに犯した罪を」という讃美歌が嫌いでしてね。知らずに犯した罪をぜんぶ知らされたら、とても生きていけないでしょう。知らずに犯した罪に気が付かないだけの鈍さがあるから、われわれは生きていけてるのに。って思ってしまうのですよ。
おととい、きのうと、久しぶりに「深い」夢を見て、いかにも「浅い」noteの記事など書いている自分が恥ずかしくなっていたのですが、いっぽうで、以下のような言葉も思い出します。
「人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう。」(星野道夫『旅をする木』より)
これは、友人から教わった言葉ですが、私もたしかに浅さで生きていっている面はありますので、ほんとうでしょう。
もちろん、なんでもかんでも浅さで生きていけるわけではないですけれどね。
うまくまとまりませんでしたね。本日は、このへんまでです。お読みくださり、ありがとうございました。