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できるときもあります
おととし、コロナの流行る直前、出席した発達障害セミナー(当事者向けではなく会社の人事向け)で、講師の先生が最初に言った言葉。「発達障害の人に、障害特性に逆らったことをさせるのは、たとえば車いすの人に、階段で二階へ上がって仕事をしろ、というようなものです。」ゆうべ、母にこれを言ったら「それは違う」と言われてしまいました。そこで、以下の説明を、改めて母にしました。
世間の人が「障害者」としてみんな認識している「車いすの人」。車いすの人は、100回中、100回とも、車いすでは階段を上れないのです。常に、車いすの人は、階段を上れません。これが、世の中の多くの人の、障害者のイメージです。一方で、私の「電気のつけっぱなし」は、100回中、100回とも、やらかすわけではありません。消すときは消すのです。また、私はよく、うろうろ、ふらふらしていますが、「止まれ!」と言われればピタッと止まることができます。そして「やればできるじゃん」と言われます。そのうちまたうろうろし始まるのですけどね。とにかく、「100回中、100回ともできません」ではなく、「できるときもあります」なのです。これは障害者としては、かなり信用されません。
エセ作曲家の佐村河内守(さむらごうち・まもる)氏をご存知でしょうか。以下の話は、佐村河内氏をどうこう言いたいわけではないことをお断りしておきます。彼は「耳が聞こえない」という話でした。しかし、記者会見のとき、記者の質問に対して、手話通訳の終わる前にしゃべり始めてしまうシーンがあり、記者から「聞こえてるじゃないですか」と突っ込まれていました。繰り返しますが、私は佐村河内氏のことをどうこう言うつもりはありません。ただ、世間一般の「障害者」の像は、「100回中、100回とも聞こえません」というものであり、「聞こえるときもあります」というのは、障害者として、途端に信用を失う、ということがここからもわかるということを言いたいだけです。
というわけで、「できるときもあります」という障害は、説明しづらいですし、理解されにくいのです。冒頭のセミナーの講師の説明も不適切であることがわかります。以上のように母には説明したのですが、わかっていないようでした。母は、私よりも、骨肉腫で10歳のときに足を切断して義足になった人のほうに同情していました。
私のほうがずっと困っているよ!実の息子でしょ!