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牧師ムリです

 私が非常に困っていること、そして私が「宗教」には強いことを知っている(おもにキリスト教でない仲間から。たまにキリスト教の仲間からも)かたから「牧師になったらいいんじゃない?」とよく言っていただけますので、私にとってそれはいかにムリか、ということについて書きますね。

 まず、牧師って「人間力」の仕事なんですよね。この時点で、もう私にはムリであることに気づかれたかたも多いかと思います。さまざまな人の悩みを聞いたりして、しかも守秘義務がある。私みたいに「なんでも言ってしまう」人にはちょっとムリではないかな、と思います。私に「教員」は徹底的に向いていませんでした。教員は「人間力」の仕事だからです。いくら数学に強くても、数学の教員は務まりません。それと同じように、いくら聖書に詳しくても、牧師が務まるわけではありません。私の勤務していた学校でも、ほぼすべての教師は、私よりはるかに数学のできない人たちでした。生徒もそうです(東大は違いました。たくさんの優秀な人がいました)。私を上回る生徒に出会ったことはありません(私を上回る教員にも出会ったことはありません)。しかし、生徒からはなめられまくり、教師たちからは叱責され続けました。典型的な「ダメ教師」だったのです。私は地下鉄サリン事件の当日、まだそれほど大ごとでなかった時間帯に千代田線で霞が関駅を通過した経験があります。その話を生徒にしたとき、生徒から「死ねばよかったのに」と言われました。たしかに、そうなっていれば今ごろ、こんな「わかりにくい」教師のもと数学を学ぶこともなかったろう…。ていうことを言われるくらい、なめられていました。

 とにかくそれくらい牧師は向いていません。(余談です。たしかに私は牧師の7日に1度よりもハイペースで「クリスチャンプレス」(無料で読めます)に記事が載り、それらはおそらく平均的な牧師の説教よりはおもしろいものであろうという自負はあります。しかしそれでは牧師にはなれないのです。余談終わり。)資格は取れるでしょうけど。牧師に限りません。私は「資格を取ること」はかなり得意です。数年前の「司書教諭」の資格を取ったときも、(誰にも言えなくてくやしかったですけど)かなりの「優等生」で資格を取りました。その先生がたからは、あまりに私が「できる」ので、これは相当なオオモノの司書教諭になるだろうと思われたものです。しかし、私は司書教諭の資格を一度も使うことなく、その資格は紙くずとなりました。私は「資格を取る能力」はすごくあるのですけど「資格を生かして仕事をする能力」は決定的に欠けているのです。ようするに私は「勉強だけできる」すなわち「勉強しかできない」というのが障害特性ですので、牧師に限らず、どんな資格でも、どんな仕事でも向いていないのです。そこをなんとか、仕事をせねば食っていけないので仕事をしますが、極めて悩ましいです。

 いかがでしょうか。これくらい書いたら「牧師になったら?」とおっしゃるかたはいなくなるでしょうか。とにかく牧師って「人間力」の仕事ですから、私にはまったく向いていないことは明らかです。

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