助けてもらって「ありがとう」と言える
去る1月6日、映画「野のユリ」でホーマー・スミス役を演じたシドニー・ポワチエが亡くなりました。94歳でした。
「野のユリ」は、バプテストの黒人青年ホーマー・スミスが、水を借りに、あるシスターたちのところに寄ったところから話が始まります。東ドイツから亡命してきた5人のカトリックのシスターがいました。そのリーダーであるマザー・マリアは、ホーマーを見て「神は私たちに強い男を遣わしたもう」と言い、半ば強引に教会を作らせる…と、だいたいそのようなストーリーの物語です。
このマザーの「あつかましさ」は相当なものです。「あつかましさ」という言いかたが少し不適切でしたら、彼女はものすごく「『助けて』が言える人」です。ホーマーには「助けて」と言うどころか、賃金も払おうとせず、かなり強引に教会堂を建てさせようとします。ホーマーは「なにか『これ』(たとえばでっかい「橋」など)というものが作りたかった」人であり、だんだんマザーのペースに巻き込まれて、教会堂を作り始めます。最初、ひとりで作ろうとしていたホーマーも、だんだん仲間に助けられて、みんなで教会堂を作るようになります。マザーはあちこちに寄付金をつのる手紙を書き、建設会社のアシュトンさんにも助けを求め、とにかく「助けて」と言いまくるわけです。最終的にバプテストであるホーマーは、「違う宗教」であるカトリックの教会を作り上げてしまいます。マザーは神には感謝するのですが、ホーマーには感謝しません。最後にマザーはホーマーに「ありが…(とう)」と言います(日本語吹き替え版によれば)。彼女は「助けて」の言える人でしたが、「ありがとう」がなかなか言えない人だったのかもしれませんね。(最後、少し言えましたが。)
昨年、浪人をした学生さんと、1年間、メールで文通しました。彼は車いすになったようなのです。あるときメールに書いて来ました。「ぼくは車いすになりました。たくさんの人に助けてもらい、『助けてもらうことの大切さ』を学びました。もうひとつ学んだ大切なことは『感謝の心』です。それまでのぼくは、『自分のことは自分でできる』という傲慢さが確かにありました。車いすになってみんなから助けてもらい、感謝の気持ちを学びました」と書いて来ました。彼は1浪したあと、つい先日、その大学に受かりました。いまのところ物理か数学が学びたいそうです。
助けてもらったら「ありがとう」なのです。マザーは神に「ありがとう」が言えましたけれど、人に「ありがとう」がなかなか言えませんでした。学生時代、私の男性の友人があるとき結婚しました。新婦がクリスチャンだったので本格的なキリスト教の結婚式であり、牧師が「神に感謝」と言っていました。二次会で彼は「牧師先生はああ言ったけれど、やはり、皆さんに感謝」と言っていました。今にして思えば、ほんとうにそうです。皆さん、神と同じくらい隣人が大切なのですから、助けてもらったら、人にも「ありがとう」って言いましょうね!