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都響と寺本義明

 また、学生時代の演奏会の思い出を書きます。今回は、複数の演奏会にまたがる可能性が大きいのですが、私のなかでつながっている記憶ですので、ひとつの記事として書かせていただきたいと思います。

 二十一世紀には入っていたと思いますが、あるとき、都響(東京都交響楽団)の招待券をいただき、東京文化会館へ聴きに行ったのです。ブリテンの「4つの海の間奏曲」、ウォルトンのヴィオラ協奏曲(タベア・ツィンマーマン、ヴィオラ)、ベートーヴェンの交響曲第7番。指揮はスティーヴン・スローンという指揮者でした。私は、長いこと東京で学生生活を送っており、アマオケを中心に、いろいろな演奏会を聴きに行ったのですが、プロの演奏会で言うと、この都響などは、かなりうまいオーケストラだと思っていました。つぎつぎに若くて優秀な人が入団し、これでフルートに名古屋フィルの寺本義明(てらもと・よしあき)さんが入ったらパーフェクトなのに、と思っていたら、ほんとうに寺本さんが都響に入ってきたということがあります。そして、そのうち私は東京を去ったので、寺本さんとはわずかな出会いでしたが、何回か寺本さんが聴けたのは幸いでした。その思い出を書きたいのです。

 この演奏会の直前に、ガリー・ベルティーニの訃報が入りました。私はベルティーニの生はついに聴くことがなかったのですが、都響の音楽監督になったときは、東京のクラシック音楽ファンは大歓迎したものです。ちょうど、N響の音楽監督に、シャルル・デュトワが就任したころでした。デュトワと同じくらい、歓迎されていました(デュトワのN響の音楽監督就任は、なにしろNHKで放送されていたので、東京にお住まいでないファンのかたも、ご存じの出来事ではないかと思って書きました。ちなみに、デュトワ指揮N響は、ちょっと数えきれないくらい聴いていまして、思い出が錯綜して、ちゃんと思い出せません笑)。ベルティーニはマーラーを得意としており、マーラーチクルス(マーラーの交響曲や歌曲などの全曲演奏会シリーズ)を展開していました。石原慎太郎都知事(当時)の暴挙に抗議し、マーラーチクルスを達成させて、都響の指揮者を辞めたちょっと後の訃報でした。そして、今回の演奏会は、ベルティーニ追悼として、ブリテンの曲を変更し、マーラーの第5番の第4楽章を演奏することになりました。ブリテンに期待していた私は少し残念でしたが、招待券ですから文句はありませんし、それに、それくらいベルティーニというのは東京のファンに親しまれていたのです。(私も、ベルティーニ指揮の都響によるマーラーの交響曲第6番のCDを持っておりますが、すばらしいです。都響のうまさもすばらしい上に、ベルティーニの指揮もすばらしく、ストレートにマーラーをたんのうできます。)そして、なかなか話が進みませんが、2曲目、ウォルトンのヴィオラ協奏曲。この、ヴィオラ協奏曲界の屈指の名曲を、タベア・ツィンマーマンのソロで聴けたのは、よかったです。じつは、スローンという指揮者はツィンマーマンの夫でした。彼女の夫はシャローンという指揮者だと思っていましたが、シャローンは早く亡くなり、ツィンマーマンはスローンと再婚していたのでした。これももう20年くらい前の話になりますから、いまどうなっているのか、さっぱりわかりません。さて、後半はベートーヴェンの7番です。寺本さんもすばらしいです。この曲は、なかなかフルートの聴かせどころもあるのですよね。じつは、寺本さんのベト7は、テレビでも見ました。これよりだいぶ前、テレビで名古屋フィルが放送され、ベト7をやったのです。とにかく木管はうまかったです。ほかの楽器は知りませんけど。飯守泰次郎の指揮でしたが、あんなわかりにくい指揮でよく演奏できるなあと、へんなところで感心いたしました。それはともかく、寺本氏のベト7を、スローン指揮の都響で生で聴けたのです。

 そして、その日のプログラムを見てびっくり。その翌日、同じ東京文化会館で、お昼のロビーでの無料の室内楽ミニコンサートがあり、都響のメンバー4人によるフルート四重奏。(フルート四重奏というのは、フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの4人による室内楽の編成のことです。)フルートは寺本義明氏!これを聴きに行かないでどうするのだ。行きましたよ。オール・モーツァルトで、まずフルート四重奏曲イ長調、そして、編曲ものですが、モーツァルトのオペラの抜粋。もっとも編曲ものと言っても、モーツァルト当時の編曲で、昔から、オペラは高いので、こういう室内楽編曲のような楽譜がたくさん出ていたのだ。そして、有名なニ長調の四重奏曲で終わりました。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの3人のお名前は忘れてしまいましたが、非常にうまかったです(トークは、ヴァイオリンの女性。のこり3人は男だったので紅一点)。それにしても寺本氏のうまさは際立っており、そのころまでに、パユを2回、聴いていたので(リサイタルと室内オーケストラ)、寺本氏のことを勝手に「名古屋のパユ」とか「東京のパユ」とか呼んでいたのですが、この日から、パユのことを「ベルリンのテラモト」と呼ばざるを得なくなりました。(まあ、パユとはタイプが違うので、いちがいにそういうことは言えないのですけど。パユは、ひたすらうまくて完璧主義で、ちょっと没個性的な、ピアノで言えばポリーニみたいなタイプで、寺本さんは、もっと音楽的なセンスがあるように思えました。)そのミニコンサートは、平日の昼間ということもあり、近所の東京芸大の学生さんなどが客席に多く見かけられましたが(熱心に楽譜など読んでいる。私の隣の学生さんは、なぜかチャイコフスキーの「ロミオとジュリエット」の楽譜を読んでいました。芸大のオーケストラでやるということか)、とにかく最後のニ長調の四重奏曲はすばらしかった!わずかに、第2楽章で、前打音を、音価にしてどれくらいの長さで吹くかという解釈の違いがあるのだが(有名なCDでは、ランパルタイプと、ニコレタイプがあります)、寺本さんは、ちょっとどちらに統一するのかで一瞬、迷ったのと、それが精神的なダメージとなってちょっと音を外したというハプニングがありましたが、まず、見事でした!この曲は、生で名演奏を聴くチャンスに恵まれており、私の先生の演奏、マティアス・リュッタースとN響のメンバーによる演奏、アマチュアも高校の先輩がたや大学の同輩の演奏を聴いており、表現意欲が旺盛だったリュッタースと甲乙つけがたいのですが、こういうものは比較できまい。(ちなみに私もやるチャンスは何回かあったのだ。みすみす逃すようなことをしている。せっかくヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの仲間がいたのだから、やればよかったのだ…)


 ここで終わりにすればいいのに、ついでなので、寺本義明氏がどれほどすごいか、もうひとつの演奏会を紹介させていただきたいと思います。「京大オーケストラの東京におけるOBオーケストラ」というものが存在するのです。さすが京大ですね。そして、その意味では、寺本さんもそうなのです(寺本さんの母校は京大。京大オーケストラのOB)。このときは、指揮者として登場しました。プログラムは、モーツァルトの交響曲第1番、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハのフルート協奏曲ニ短調(独奏も寺本さん!)、そしてモーツァルトの交響曲第39番。アンコールはチャイコフスキーのモーツァルティアーナでした。仲間が賛助出演していたから聴きに行ったようなものですが、これで寺本さんが聴けることになりました。エマヌエル・バッハというのは、有名なバッハの次男で、驚いてはいけないのですが、大作曲家です。フリードリヒ大王という、フルートをたしなむ王に仕えていた関係で、フルートの曲がいろいろあるのはフルートとしてはありがたい。そして、エマヌエル・バッハの協奏曲は、楽譜を見たことはありませんが、聴いた感じでは、とっても難しそう!この難曲を、寺本氏は、見事に、音楽的に聴かせてくれました。指揮者としては、この演奏会ではないのですが、仲間が、「こんなに音楽的にすぐれた指揮者のもとで演奏ができるなんて!」と感激していたことを思い出しますので、やはり音楽的にすぐれた人なのでしょう。よく寺本義明を指揮者としたアマチュアオーケストラの演奏会のチラシを見ます。私の住む地方都市でさえ、ときどき見ます。

 というわけで、演奏会を3つも紹介してしまいましたが、寺本義明というフルーティストを知っていただきたく、書いた次第です。寺本さんは、若いころ、ニコレにほめられています。そのころからすごかったのです。ところでわが東大オケに、ぜんぜん勉強もしないで、オーボエばかり吹いている先輩がいまして、就職活動もせず、オーボエはうまいかもしれないけど、プロになるなんて厳しい道だろうとみんな思っていたのですが、風のたよりで、あるプロオケに入ったらしいことを聞き、そののち、あるきっかけでそのプロオケによくエキストラで乗っている人に聞いたら、その先輩は、大阪フィルの首席奏者になっていた!この先輩が若いころホリガーからほめられたみたいな話は…ないだろうねえ。ではまた!

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