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読んでますアピール

 いま私は、住まいからかなり離れたところにある実家で、両親とともに暮らしています。ちょっと有名な人とZoomで(私も含めて)話す機会がありそうですので、いろいろなイメージがわきます。両親は、その人の著書をいくつか読んでいます(私の推薦で)。そこで、とくに母が言いそうなのが、著者を前にしての「読んでますアピール」。これは私の前でもよくやっているので、容易に想像がつきます。「私は読んでいますよ」。なぜこれが腹立たしいかというと、読んでも理解していないからです。そして、それを指摘されると、いろいろ言い訳を言う。

 私は、「理解する」とは、100%、ピッカー!と光るように理解したことを言うのであって、あとは理解していないうちだと認識しているようです。私は、99理解していても、1理解していないと、「わかりません」と言ってしまう傾向にあります。こういうことを言うと、「偉い!見習わねば」という人もいるのですが、それは違います。多くの人は、40くらい理解したら、「だいたいわかった」と言って、あとの60くらいは空気を読んで、うまく世の中を渡っているのです。私はそれができないので、なにも偉くありません。私はこの自分の傾向で、どれだけ損をしているか、わかりません。

 私の職場で、非常に仕事のできる人がいました。一昨年度の末のことになりますが、電力会社が、契約の更新(契約電力の見直し)と、お得な割引プランの提案で現れました。その人と私で臨みました。私は、電力会社の人と話すのは初めて。必死で理解しようとして、電力会社の人がその2つが言いたいということをどうにか理解して、上司に報告して叱られました。そんな、電力会社の言う通りに聞いてきても、小学生のレポートに過ぎない!と。その、仕事のできる人は、契約を2年から5年に延ばすことによって、大幅に割引をさらに引き下げるなど、非常に活躍をしました。しかし、その人は、よく聞いていると、「契約電力」のことを、ときどき「契約電力量」と言っている。どうやらその人は、「電力」と「電力量」という言葉を、区別なく使っているようなのです。私は、仕事のできない人で、さっきも叱られたばかりですし、何も言えませんが、内心、おかしいぞと思っていました。「電力」と「電力量」は、まったく違う概念であるはず。(電力×時間が電力量。)ここからわかることは、電力会社と仕事をする上で必要なのは、「電流」「電圧」「電力」「電力量」などの正確な定義を知っていることではなく、うまく空気を読んで世の中をうまくわたる能力!なにせ、仕事は電力会社とのやりとりだけではありませんから!

 教師であった時代、やたら「なんとなくわかった」というせりふを言う生徒がいました。私は、そんな「なんとなくわかった」なんて、わかったうちに入らないから、自滅するだろうと思っていたら、彼らは、なんとなくわかって、なんとなく成績を修め、なんとなくそこそこいい大学に受かっていくのです。世の中のほとんどの人は、それなんだな。

 というわけで、私は、本を「読んだ」ものの、内容を理解していないのに、やたら「読んでますアピール」する人は嫌いです。父や母は、(私は見せるのは嫌だったのですが)私の非売品の著書も読んでいます。これもやたら読んでますアピールをしてきますが、著者である私としては、ふたりがまったく理解していないことが手に取るようにわかるので、極めて不愉快です。

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