「生まれなかった方が、その者のためによかった」
「生まれなかった方が、その者のためによかった」
聖書で、イエスがイスカリオテのユダの裏切りを予告する場面で、イエスが以下のように言う場面があります。
「だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」(マルコによる福音書14:21)
この最後のひとこと、「生まれなかった方が、その者のためによかった」(この場面にユダもいました)という言葉が、ひどい言葉だと取るかたが多いようです。しかし、必ずしもそうかな?とも思います。
イエスは、ユダが、「かわいそう」だったのじゃないかな?生まれて来ないほうがよかったくらいに、かわいそうだと思ったのじゃないかな?
「かわいそう」という言葉がまた、微妙なニュアンスを含んだ言葉で、ユダを下に見ているニュアンスがありますが…。
「あわれ」と言ってもいいのですが、これがまた、「あわれ」という言葉も、ユダを下に見ているようなニュアンスのある言葉ですね。いずれにしてもそういう意味の言葉になってしまいますが。
いずれにせよ、この言葉は、イスカリオテのユダが、生まれなかったほうがよかったと思えるくらい、イエスにはユダがかわいそう(あわれ)に思えた、という言葉ではないかと、思っているのですが、いかがでしょうか。
すみません、これ以上、深まらない話です。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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