noteはなにか価値のあることを書かねばならないのか

 私はほとんどSNSをやらないのですが、最近まで、ツイッターをやっていました。ツイッターは、みなさん、ぐちも書かれますし、どうでもいいこともつぶやかれます。「今から寝ます」までツイートしている人とか、いました。「ツイ廃」っていうそうですね。それはともかく、それに比べると、noteって、なにか価値のあることを書かねばならないのでしょうか。書く人は「クリエイター」と呼ばれます。私、クリエイターらしいです。創造する人。創造するかたは神様だけのような気がしますが、とにかく私、クリエイターだそうです。

 そんな、毎回毎回、価値のあることを書けるわけはないでしょうと思うのですが。

 ツイッターで「いいね」と呼んでいたものが、noteでは「スキ」と呼ばれます。私が感じることは、「いいね」は価値を認めているということです。「いい」と言っているわけですから。いっぽうで、「スキ」というのは、単純に好みの問題です。どれだけ人が価値なしと認めたものでも、オレはスキだと思えば「スキ」と言ってよいのです。これは、ただでさえ価値のあることを書かねばならない雰囲気にあるnoteが、ますます価値偏重という雰囲気にならないために、あえて「いいね」ではなく「スキ」という言葉を使っているようにも思えます。深読みしすぎでしょうか。

 あと、すぐに「何日連続の投稿、すごい!」みたいなメッセージが出たり。機械にほめられてもうれしくないですよ。「人をほめる」ってすごく難しいのです。あるとき、炊き出しでカッパを十着、配布したとき、「すみません、お役に立ちませんで」と言ったら、「いいえ、すごく役に立っていますよ!」と励ましてくださったかたがあります。うれしいというよりも、うすら寒い感じがしてしまいました。私の普段の仕事の「給料どろぼうぶり」を思い出すと、カッパを十着、配ったくらいで、ほめられるようなことはあり得ないと感じたからでしょう。ほんとうに、人をほめるのは難しいのです。的を外してはいけないから。

 とにかく、noteって、価値のあることを書かなきゃいけないみたいで、それに気づいた私は、ちょっとうすら寒い。人が書いているから、当たりはずれはありますよ。自分にとってよく書けたと思うものと、なぜかスキが増えていくものも、たいがい違うし。スキがつくのはうれしいですけど、スキをねらって書いているわけでもないし。いや、ねらっているのか?少なくとも、価値のあることを書くべしというのは、なんだか、価値のないことを書くのはダメだというふうな感じを受けて、うすら寒いとしか言えません。

 ここまでお読みくださりありがとうございました。


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