「ちょっと持ってて」という言葉とバリアフリー
ある障害者福祉の人から聞いた話です。昔はレシピに「塩少々」という表現は普通にあったとのことですが、今はもう決してないそうです。「少々」と言っても、人によってその量はさまざまであり、「塩少々」は個人差があり過ぎて、もうだいぶ前からしなくなった表現なのだそうです。そうは言っても「塩少々」で普通の人は通じるではないか、と思われるかもしれませんが、これこそ「バリアフリー」だというのです。とくに私のような「空気の読めない」「常識のない」発達障害のような人には、「何グラム」と書いてあったほうがずっと良いのです。これは発達障害の人への配慮としてだいぶ前から言われておりますが、これが現実にはかなり実行されづらい「バリアフリー」であることを以下に見ていきます。
「『ちょっとこのかばん持ってて』と言ってだいぶ持たせる人がいるよね」と言った人がいます。「ちょっと持ってて」というのは「5秒」なのか「5分」なのか「50分」なのかが明らかでないのです。
一昔前くらいに流行った冗談で「田舎の人が言う『ちょっと歩くよ』はだいぶ歩く」というものがありました。あれは「ちょっと寒いね」と言ったらもうだいぶ寒いのと同様の「ちょっと」という言葉の用法なのですが、これも「ちょっと」「だいぶ」というのはあいまいです。
私はある地方都市に住んでいますが、ときどき「東京というところはだいぶ雪が降るのですね」と言われることがあります。私は東京に住んだこともありますから分かるのですが、そうではなく「東京で雪が降ると全国ニュースになる」というだけの話なのです。
あるとき「レシピの『適量』というのはわからない」というツイートがバズっていましたが、それは皆さんちゃんと観察なさっていない証拠です。もうだいぶ前から「塩少々」という言いかたをレシピはやめているので、いまどきのレシピに「適量」などと書いてあるわけはないのです。
「ちょっとしかないけどね」と言ってお金をくださるかたがおいでになったりしますが、それが5万円だったりします。しかしこの「5万円」というのも、車を1台、買おうと思ったら少なすぎ、牛丼を1杯、食べようと思ったら多すぎです。
このように「『塩少々』という表現を避ける」というバリアフリーは、世の中に浸透するのに時間がかかりそうです。「そんな日が来るとは思えない」というのが現実ではないでしょうか。
「これは、多くの人のために流される、私の契約の血である」(新約聖書マルコによる福音書14章24節)とイエスは言いました。「多くの人」ってどれくらいですか?これを「十四万四千人」(新約聖書ヨハネの黙示録7章4節)と具体的な数字で書いた人がおり、そうなると、いまや「十四万四千人しか救われない」という「少ない」という意味になっております。
最近、私に楽譜の作成を依頼なさったかたは、ひたすら「私はコンパクトな楽譜が欲しい」と言い続けられました。最終的に断られましたが、最後の最後まで「私はコンパクトな楽譜が欲しかったのです」と言い続けられたかたでした。あまりにも「コンパクトな」と言い続けられるので私は1回「コンパクトというのはA4の1枚くらいにおさまるという意味ですか」と聞いたところ「いやそうではなくて…」とだけおっしゃいました。もしかしたらその道では「コンパクトな楽譜」という表現で通じるのかもしれません。しかし、私には通じなかったです。このように、「空気が読めない人へのバリアフリー」は極めて難しいです。