しかめっつらロマンティシズム、ラフマニノフの交響的舞曲
私が、マーラーに目覚めたのは遅かった話は書きました。しかし、ラフマニノフについては逆で、目覚めるのは早かったです。20歳のとき(いまから25年前)に、カセットテープで、ラフマニノフの「交響的舞曲」を聴いたのです(アシュケナージ指揮コンセルトヘボウ管弦楽団)。衝撃を受けました。ラフマニノフの全作品を聴いたわけではないものの、これはラフマニノフの最高傑作だと直観しました。ちょうどそのころ、仙台フィルがラフマニノフの「交響的舞曲」を持って、東京公演することを知り、迷った挙句、聴きに行きました。衝撃でした。外山雄三の指揮でした。難しい曲なのでしょう、破綻がなかったわけではありませんでしたが、外山雄三のこの曲への共感は極めて深く、私はとりこになりました。そののち、外山雄三のファンとなり、学生時代は、可能な限り、外山雄三の指揮する演奏会に足を運び続けました。
ラフマニノフの受容の歴史は、マーラー以上に浅いと思います。同じころ、つまり今から25年くらい前、デュトワ指揮モントリオール交響楽団が、ラフマニノフの交響的舞曲を持って、来日公演しました。演奏会評で、プロの評論家が、ラフマニノフのこの作品を、「ラフマニノフの駄作」と書いていました。そんなバカな!デュトワだって、名曲だと思うから、わざわざ来日公演で持ってくるのに!ラフマニノフの「交響的舞曲」を「ラフマニノフの駄作」と書く評論家は、ひとりやふたりではありませんでした。(つまり、ラフマニノフの傑作というのは、ピアノ協奏曲第2番みたいなものだと思っている評論家たちだったのでしょうな。もちろんピアノ協奏曲第2番も傑作ですが。)
いまや、ラフマニノフの交響的舞曲を駄作という人はいなくなりました。たくさんの指揮者、オーケストラが取り上げ、傑作としての名を上げています。
ひとくちに、この曲の魅力を申し上げると、「しかめっつらロマンティシズム」。ラフマニノフの肖像写真のように、しかめっつらのロマンティシズムなのです。
アマチュアオーケストラでの評価も変わって来ています。私が学生時代は、有名な交響曲第2番ですら、おもに弦楽器からの強い反発があって、なかなか選曲されなかったものです。(つまり、曲といえば、モーツァルトかベートーヴェンかブラームスしか「曲」とは呼べないと思っている連中がたくさんいたのですな。)いまは様相が変わりました。ラフマニノフの交響曲第2番は、アマチュアオーケストラでも、人気の曲のひとつになりました。比較的、小さなCD屋さんに行っても、ラフマニノフの交響曲は、第2番だけでなく、第1番や第3番も置いてあるようになりました。時代がラフマニノフに追いついてきたのです。
それにしても、外山雄三の慧眼には恐れ入ります。外山雄三は、たしか1960年前後には、「交響的舞曲」を日本初演しています。作曲から20年くらいの時期でしょう。キモとなる演奏会では、よく取り上げており、確実に、この曲を日本に紹介するのに尽力したと言えるでしょう。私は、外山雄三の指揮で聴いたラフマニノフが、あと2つ、あります。ひとつは野島稔のソロで、パガニーニ狂詩曲(神奈川フィルの東京公演)。もうひとつが、仙台フィルの東京公演で、交響曲第2番です。仙台フィルのヨーロッパ遠征の凱旋公演でした。すばらしかった。
ラフマニノフは、ピアニストとして多忙すぎて、しばらく作曲から遠ざかっていた時期があります。しかし、晩年に作曲に戻って来たのは、後世のわれわれにとって、非常によかったでしょう。作品40から45までの6曲を、私は「後期ラフマニノフ」と呼んでいます。
上にちょっと書いた、「パガニーニの主題による狂詩曲」も、後期ラフマニノフの作品です。第18変奏が、ラフマニノフもスポンサーのために書いたと言われる甘いメロディで、そこだけ有名になったりしていますが、やはり全体として、晩年の辛口のラフマニノフの作品です。この第18変奏でさえ、「まったく関係のない旋律が出てくる」と解説していた日本の評論家が、当時はいたものです。まさかね。今は、ほとんどの解説は、正しく「主題の上下転回形」と解説しています。
交響的舞曲は、ラフマニノフの最後の作品ですが、もしラフマニノフがこれを作曲していなければ、以下のが代表作になっていただろうと思うくらいすぐれているのが、上にも少し書きました「交響曲第3番」です。晩年のラフマニノフの作品らしい、辛口ながら、交響的舞曲とは違う解放感も持ち合わせた曲で、非常にすぐれています。
演奏論ですが、ラフマニノフ自身、もっともすぐれた指揮者として、トスカニーニを挙げていたことでもわかるように、速めのインテンポを貫いた演奏が望ましいと思います。上述のアシュケナージ指揮コンセルトヘボウの「交響的舞曲」は、その条件を満たし、かつ、オーケストラも非常にうまく、とてもよいと思います。この作品は、つぎつぎに名演奏が生まれていると思いますので、私が知らないだけで、いい演奏はたくさんあるのでしょう。ユロフスキの演奏もよかったです。外山雄三の演奏をCD化しないのは、どうかしていると思います。最も状態のよい外山雄三のラフマニノフの「交響的舞曲」を、どこかのレコード会社が、出すべきだと思っています。
交響曲第3番は、ストコフスキー指揮ナショナルフィルがよいと思います。この曲を初演したのはストコフスキーですが、最晩年にレコーディングしてくれて、よかった。トスカニーニみたいな名演奏です。ストコフスキーは、ラフマニノフをよくわかっていると思います。
パガニーニ狂詩曲ですが、ラフマニノフの自作自演がいいと思います。ストコフスキーの指揮とともに、世界初演メンバーでの録音です。ストコフスキーはこの曲を得意とし、いろいろなピアニストと、いろいろな名演を残しました。
交響曲第2番ですが、ほとんど話題にならないものの、ストコフスキー指揮ハリウッドボウル交響楽団の1946年の録音がよいと思います。2020年11月18日現在、YouTubeで聴けます。この時代には珍しい、カットのない演奏で、しかも、トスカニーニのように速めのインテンポを貫いており、やはりストコフスキーはラフマニノフをよく理解しているということがわかる演奏になっております。鑑賞にも耐えます。信じられないのが、レコード会社が、この曲の、外山雄三のCDを出さないことで、これは、過去のNHKの録音だけでも、日本中のいろいろなオケで、録音が残されているはず。外山雄三は、ラフマニノフだけでなく、リヒャルト・シュトラウスやプーランクなど、「二十世紀ロマン派」みたいな作品に適性を見せるので(だいたい自分自身が「二十世紀ロマン派」みたいな作曲家であるし)、ぜひとも外山雄三の録音は、出すべきだと思います。
ピアノ協奏曲第3番は、ちょっといけないのは作曲者の自作自演です。カットが多すぎ!ラフマニノフは、自分の長い曲には、カット可能箇所をたくさん書き込みましたが、ちょっとこの演奏は、カットし過ぎでしょう。よいのは、ホロヴィッツのピアノ、メータ指揮ニューヨークフィルのライヴとか、あるいは、オボーリンのピアノ、ストコフスキー指揮チェコフィルのライヴでしょう。どうも、ストコフスキーばかりひいきしているようで気がひけるのですが、このオボーリンのラフマニノフ理解は非常に深く、見事です。いい意味でドライ。
ピアノ協奏曲第2番は、やはりラフマニノフの自作自演にかなう演奏はないと思われます。アコースティック録音、電気録音、いずれもすばらしい。音のよさから言うと、後者がいいですかね。ストコフスキーの指揮も、見事としか言えません。多くの後世の人は、この曲に感動を求めすぎて、押しつけがましくなってしまっていると思います。オボーリンのピアノ、渡辺暁雄指揮日本フィルの映像もすばらしい。いい意味でドライです。オケは少し頼りないですけど。
「晩祷」や「交響曲『鐘』」や、また、さまざまなピアノ曲の評価は書けませんでしたね。紙数の問題というより、私の不勉強のせいなのです。わからないものをわかったように書くことはできない。
とにかく、25年前の人たちは、まさかラフマニノフの時代が来るとは思っていなかったのです。とくに、ラフマニノフ晩年の、しかめっつらロマンティシズムの作品、もっともっと聴かれてしかるべき名曲ばかりだと思います。そして、外山雄三を正当に評価していただきたい。
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