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「東大」と「東大数理」

 いまから、ちょっと、鼻つまみものの話を書きますね。私のほうに共感してくださるかた以外のかたは、お読みにならないほうがよいかと思いますね…笑

 私は、東大理科一類に入り、理学部数学科に行き、東大大学院数理科学研究科(東大数理)に行きました。自分で書いては説得力がないですが非常にすぐれた修士論文を書き、博士課程に進み、そこで発達障害の二次障害たる精神病になり、すべてを奪われて数学者の道を断たれ、それから20年がたつ今も、どうして生きていってよいかわからず、とほうにくれているわけですが。

 きょうの話は、「私は、東大生(東大卒)の人のあいだにいたほうが、高く評価される」という話です。

 「東大数理」という大学院は、とても難関であることで知られています。並みの東大生では入れないのです。まして入ってからも、そんなすぐれた修士論文を書いて博士課程に進むなど。

 ところが、ごく一般の人からすると、「東大」と「東大数理」の違いが、わかりません。多くの人は、「東大に入った」というだけで、もう、すごいことのようなので、それ以上のことは、評価してもらえません。
 私の母など典型的で、私が「東大」「慶応」に現役で受かったことしか自慢がありません。母にして、「東大数理」のすごさはわかっていないのです。親にもわかってもらえない。というか、彼女はまず、実の息子が、いま、職場では発達障害への無理解ゆえのハラスメント、これからどうやって生きていけばよいかわからない、という困窮の状況もわかってないし、そもそもその原因は、博士課程のときの二次障害で、その二次障害の原因は、私の幼少のときの、両親からの厳しい叱責にあるという、ものすごい罪の重さにもまったく気が付いていない。これは父親もそう。まったく悲しいとしか言えない。

 しかし、東大生ならわかるはず。私が東大数理の出身(博士論文を出せなかったので、博士課程単位取得退学ですが)であることを見て、びっくりしてくれるのです。私は、東大生、東大卒の人のあいだにいたほうが、より高く評価される人間だと思います。(こんなことを書くのは、いかに今の私が評価されていないか、精神障害者手帳2級以上をもらって、最低賃金で働くことも真剣に考えねばならない人生の落ちこぼれであるからこその話ですが。)

 ほんとうにもう、こんなことを書いている自分が情けないのですが(東大数理の仲間が見たらどう思うだろう)、とにかく、学歴が高いからといって、いい仕事に就けるわけではないし、しあわせな人生を歩めるわけではないことは、私のnoteをお読みのかたなら、おわかりくださると思います。奥田知志先生も著書のなかで言っておられますが、現代日本社会は、一度、レールから落ちると、際限なく落ちていく構造になっています。私は、極めて高い学歴を持っていますが(博士論文を出せていないため、東大大学院博士課程単位取得退学ですが)、ここから先は、果たして企業の障害者枠か、A型作業所の最低賃金か、それともB型作業所で工賃か、というくらいまで、落ちています。かつてツイッターをやっていました。ツイッターのアカウントでも、高学歴からいかに落ちぶれているかをウリにするアカウントがときどきありましたが、私ほど極端なのは見たことないな、と思って見ていました。
 
 このさいだから、もうひとつ、言っておこうっと。私のことを、「東大生」と言うやつはおいておいて(「東大生」と言ったら現役の学生のことである)、私のことを「東大卒」という人がいます。私は、それを言われるたび、ほんとうは、つねに違和感を感じています。たとえば、私のことを「中卒」とは言わないでしょう?私、中学は卒業していますが。これ、中卒という言葉は、中学を卒業して、次の学校に行かず、仕事に就いた人、という意味ですよね。同様に、私を「高卒」とも普通は言わないわけです。それと同じくらい、私を「東大卒」というのはおかしい。同じ理屈で、「東大卒」と言ったら、東大の学部を卒業したのち、大学院へ進まなかった人を指すのです。では私はなんと呼んだらよいか。「東大大学院修士課程修了」か。違う。それでは博士課程に進んでいない人のことだ。では「東大大学院博士課程修了」か。違う。私は博士課程を修了していないので、それは学歴詐称になる。やはり、どれだけ短く書いても、「東大大学院博士課程単位取得退学」となる。この学歴はやっかいで、たとえばハローワークに行っても、「高卒」「大卒」とか記入するらんに、どう短く書いても、「大学院博士課程単位取得退学」と漢字13文字を書かねばならなくなるし。私の(1回目の)就職活動のとき、所属教会の牧師は、推薦状に「博士課程終了見込」と書いていた。「しゅう」の字が違うし。しかも、そのとき勤めた学校の、内外に配布する文書で、私は、「大学院博士課程修了」と書かれたし。学歴詐称ではないか。だいいち、東大大学院博士課程修了の人が、なんでそんな中高の教員として来るのか。…ようするに、みんなわかってないんだよね。「東大」と「東大数理」と「博士課程」と「単位取得退学」の区別なんて…。残念だ…。
 (ツイッターでこの話題を出したとき、つまり、「私は東大卒ではない」というツイートをしたとき、返信で、さかんに私のことを「東大卒」「東大卒」と書く御仁がいた。もう、どれだけ読解力がないんだ…。というか、やっぱり、「東大卒」と「東大大学院博士課程単位取得退学」の区別なんて、どうでもいいんだよね。悲しい…。)

 くやしいついでに、もうひとつ、書こうっと。私は、上述のとおり、極めて優秀な修士論文を書いて博士課程に進みました。あのころは斬新なアイデアが次々と頭から出て来ていて、世界の超一流の数学者とアイデアを共有していることもたびたびでした。あの修士論文は、出版されてもいないのに、引用され、本質的に他分野に応用されました。ほんとうに私は優秀な学生だったのです。博士課程で、発達障害の二次障害である精神病にかかってすべてを失うまで…。それが、どうして博士論文が書けなかったか、ひとに説明するとき、「力不足で…」と説明するしかないのだ。精神病を経験したら、急に頭が悪くなってしまったこと、数学の論文を見ただけで発作を起こすようになってしまって研究どころでなくなってしまったことなど、この今書いている文章でもそうですが、そう簡単に説明できるものではないので、博士論文が書けなかったことの説明を求められたときは、やむを得ず「力不足で…」と答えている。それが非常にくやしい。

 極めて後味の悪い、ぐちの記事になってしまいましたね。だから読まないほうがいいって言ったでしょう。でも、これでも、私、前を見て歩いているんですよ!いまからでも、できる仕事はないか、決して後ろを見るのではなく、前を向いて、ときに心が折れそうになりながらも、とにかく前を向いて歩んでいます。けなげでしょ!しかし、「自分に向いている仕事はなにか?得意なこと、不得意なことはなにか?」という問いにぶつかって真剣に考えるたび、「私の最も向いている仕事は、数学者だった」という結論に達さざるを得ず、それは20年前、25歳のときに断たれた道だ、というところにたどりつかずにはいられないのです。つらい。
 (「数学者」について詳しくない多くの人から、しばしば「今からでも数学者を目指したら?」というアドヴァイスをいただきますが、そういうときは、二十代でプロ野球選手の夢をあきらめた人が、45歳から、プロ野球選手を目指すことができますか?とお答えすることにしています。それくらい、数学の世界というのは、スポーツの世界に近いのです。数学の世界で45歳と言ったら、もうすでになにかを成し遂げた人です。実際、東大数理の大学院の当時の仲間の名前を思い出して検索すると、ほとんどは、どこか名門大学の数学科、数理科学研究科の准教授になっています。なぜ名門大学ばかりかというと、理学部数学科、数理科学研究科を置く大学は、一定レヴェル以上の大学だからです。私は、彼らよりすぐれていたなどということは言わない。言えない。しかし、彼らより劣っていたとも言えないのだ。つまり、二次障害にさえなっていなければ、つまり、幼少のころの両親の叱責さえなければ、順調に、数学者になっていたはずなのだ!)

 もう、ぐちはさんざんですね。ごめんなさいね。でも、言いたかった。みなさん、「学歴信仰」というカルト宗教を信じちゃダメですよ!

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