天の父
(これ、数年前に書いた記事で、いま読むと、未熟な気もしますが、かまわずアップしますね。私の「進歩」がうかがわれるかのようです。)
こんばんは。また極論です。よろしければお付き合いくださいませ。
今日、見かけた本で、「三島由紀夫の言葉」という本があり、三島の言葉で、たとえばつぎのような言葉が紹介されていたりします。
「あわよくば真実の姿で愛してもらおうなどと考えるのは、甘い考えで、人生をなめてかかった考えです」
これはまったくその通りです。このきたならしい我が身を、真実の姿で愛してもらえるわけがありません。人間には。
これにたいして、真実の姿でも愛してくださるかたが、ただひとり、おられます。天に。それが、天の父。
同様に、自分のことを百パーセント、わかってくれる人もいません。自分の苦しみや悩みを、全部、わかってくれる人などはいないのです。人間には。
これにたいして、自分のかかえているあのこともこのことも、ささいなことから大きなことまで、全部、わかってくださるかたが、ただひとり、おられます。天に。それが、天の父。
全面的に信頼できる人もいません。人は、うそをつきますし、裏切りますし。人は信用できないのです。
これにたいして、全面的に信頼できるかたが、ただひとり、おられます。天に。それが、天の父。
際限なく甘えられる人もいません。自分の両親でさえ。世の中は人の掟の世界で、厳しいのです。
ところが、際限なく甘えられる存在が、唯一、おられます。天に。それが、天の父。
天の父は、人間の思いをはるかに超えた全能者で、天地の造り主です。
そうであるのと同時に、天の父は、この小さな私をもつくった、私たちのイエス・キリストのおとうちゃんでもあります。
「おとうちゃん、たすけて!」といって、すぐとんできてくれるわけではないけれど、天に、いてくれるだけでありがたい、わたしたちの天の父。願わくはみ名をあがめさせたまえ。
以上で今日の極論を終わります。お読みくださりありがとうございました。
追記ですが、この内容で、生徒の聖書研究会をやったときに出た質問。「なんで『父』なんですか?」
そのときのお答えも書いておきますが、もちろん「天の母」でもいいです。ピンとくるほうでどうぞ。「天の父」「天の母」両方ともピンと来ない人もいるでしょうね。両親から虐待されていたかたなど。その場合はたんに「神様」でいいかな?
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