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ウォルトンの交響曲第1番~戦争の悲劇というより、魂の浄化

 ウィリアム・ウォルトンという作曲家をご存じでしょうか。二十世紀イギリスの、クラシック音楽の作曲家です。

 イギリスには、おもしろい作曲家がたくさんいます。世界的に最も有名なのは、おそらくビートルズになるでしょうが、とくに二十世紀に入ってからがおもしろい。エルガー、ヴォーンウィリアムズ、ホルスト、いずれもおもしろい。(ブリテンはちょっとついていけない。正直に書きました。)このウォルトンもそんなうちのひとりで、多くのクラシック音楽ファンが、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーなどというふうに聴いてくると、まず出会わない作曲家です。でも、名曲をたくさん書いています。今日はその中でも、ウォルトンの最大の傑作かもしれない「交響曲第1番」についてです。

 クラシック音楽の最大の特徴は、長いことかもしれません。とくに、ブルックナーやマーラーの長さといったらないので、その点、このウォルトンの1番は、その時代にあって、40分強という、比較的、穏やかな長さです。ブラームスやチャイコフスキーの交響曲よりも短いかもしれない。同時代の、エルガーの長さに比べたら、だいぶ短いと言えましょう。ヴォーンウィリアムズの交響曲は、曲によっては、この曲より短いものもありますけどね。

 そして、この曲は、戦争中に書かれました。そのイメージのせいだと思いますが、よく、戦争の悲惨さを反映していると解説されます。ほんとうにそうでしょうか。プロコフィエフのピアノソナタで「戦争ソナタ」と言われるものがあります。戦争中に書かれたから戦争ソナタだと言われているのですが、それだけとは思えない。とくにピアノソナタ第7番を「戦争ソナタ」と呼ぶのですが、プロコフィエフに限らず、戦争中に書かれたソナタというのは、たくさんあるはず。なのにこの曲だけ「戦争ソナタ」と呼ばれるのには意味がある。曲じたいが、戦争っぽいからではないのか。

 その意味で、ウォルトンの交響曲第1番も、戦争っぽいといえばそうです。激しい音楽で、ちょっと映画音楽っぽい。戦争の映画みたいなのです。でも、それだと安っぽい評価を受けてしまうので、世の人は決してそうは言わないだけだと思います。うがちすぎでしょうか。でも、私には、この曲は、戦争の悲劇を反映しているだけの音楽には思えないのです。
 この曲は、もっと深い。リヒャルト・シュトラウスの交響詩よりも深いとさえ思います。人間の深い心理に迫って来て、真の心の癒やしとなる音楽だと思います。

 私がこの曲に目覚めたのは、かなり遅かったです。長かった学生時代が終わって、三十代に入ってから。プレヴィン指揮ロンドン交響楽団の伝説的な録音によって目覚めました。こんなに深い音楽があったのか!エルガーの交響曲より、深いのではないか?

 魂の浄化のように感じられる音楽。このような音楽は、めったに出会えない。かろうじて私が知っているなかでは、ヤナーチェクのグラゴルミサ、プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番、プーランクのヴァイオリンソナタ、それくらいではないか。要するに、私の琴線に触れたのです。三十代を過ぎてから、そんな音楽にはめったに出会わなくなりましたが、これはそんな音楽のひとつ。

 前にも書きましたが、人生は、支離滅裂です。その人生を、支離滅裂は支離滅裂として表現する、マーラーみたいな作曲家もいますが(拙稿「マーラーと旧約聖書」をご参照ください。リンクのはりかたがわからなくて、すみません)、たとえばシューマンの交響曲第2番のように、そして、このウォルトンの交響曲第1番のように、ストレートな形でぶつけてくる音楽がある。それは、ほんとうの心の癒やしとなるのです。また、私のように、耳だけで採譜できる人間にとっては、その限界に迫るウォルトンの第1番は、精神の前衛にいる気分です(たとえばバルトークあたりになりますと、ちょっともう採れないんじゃないかと、あきらめムードがあります。そもそも私がなぜクラシック音楽の世界に来てしまったかと言えば、やはり自分の限界を試される世界に来た、としか言いようがない気がします)。

 ウォルトンの他の曲で、ここまで共感できる曲は、いまのところ、ありません。ヴィオラ協奏曲は名曲だけどちょっと晦渋で、逆にスピットファイアやクラウン・インペリアルは軽すぎる。交響曲第2番は、まだつかみ切れていない。しかし、この曲、1曲だけでも、私にとって、ウォルトンは特別な作曲家です。

 演奏は、なんといっても、ブライデン・トムソン指揮ロンドン・フィルによるものが、鬼気迫っていて、よい。イギリスの曲だからイギリスのオケ、イギリスの指揮者がいいとかいうレヴェルではなく、ほんとうによい。2020年11月19日現在、YouTubeで鑑賞可能。ほかの演奏は、どれも大差がないように思えてしまうくらい、このトムソンの演奏はすぐれています。

 少しだけ、イギリスの他の作曲家の音楽も宣伝しておきますね。讃美歌「主の招く声が」を作曲したのは、パリーというイギリスの作曲家で、珍しく19世紀の作曲家です。20世紀に入ってからは、ヴォーンウィリアムズの作曲した「この世にあかしたてて」という讃美歌が有名ですね。
 いきなり讃美歌の話をしてしまいましたが、エルガーの「愛のあいさつ」「威風堂々第1番」などは、極めて有名と言えるでしょう。エルガーには2曲の交響曲があり、また、エニグマ変奏曲も美しく、チェロ協奏曲も美しい作品です。ヴォーンウィリアムズは、大作曲家らしく9曲の交響曲があります。じつはヴォーンウィリアムズの交響曲は、4番、6番、8番、9番といったあたりが聴きどころなのです。ヴォーンウィリアムズの弦楽合奏曲「富める人とラザロ」による五つの異版では、有名な讃美歌が出てくるほか、「グリーンスリーヴズ幻想曲」ももちろん有名な讃美歌です。ホルストの「惑星」も、「木星」に有名な讃美歌が出てきます。讃美歌というより、平原綾香の「ジュピター」で有名なメロディなのですが、とにかくイギリスの音楽のよさです。吹奏楽組曲第1番や、セント・ポール組曲など、もっとホルストの「素」が出た名曲もたくさんあります。ブリテンやティペットは難しいですが、ティペットの聴きやすい曲として、二重弦楽協奏曲を挙げます。少し時代が戻りますが、ブリス(序奏とアレグロ、メレ幻想曲)とか、モーラン(山国にて、各種ラプソディ)とか、イギリスにはいい作曲家がたくさんいます。ケテルビーみたいな作曲家もいますしね(ケテルビーは、ペルシャの人じゃないですよ!)。

 というわけで、ウォルトンの交響曲第1番。すさんだ心を癒やしてくれる、真の名曲です。

 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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