「子どものため」が子どもの成長の機会を奪うかもしれない、と思った話
親が「子どものため」と思って躍起になっているその行為は、本当に子どものためになるのかどうか。実は親が必死になればなるほど、子どもが伸びていく機会を奪うのではないか。
最近、そんなことを考える機会がありました。
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「立春」を過ぎたものの、まだまだ寒い日が続いています。電気代が上がっているので、あまりエアコンに頼りたくないと思うものの、やはり我が家では四六時中暖房に頼り切っています。
そんな中、高断熱・高気密の家に住むという人の話を聞きました。外気温の影響をほとんど受けないので、エアコンの稼働時間は短くても冬は暖かく夏は涼しい家を実現しているとのこと。
ただ、そういう家に住んでいる子どもの中には、家の中では快適という環境が当たり前なので、冬に昔ながらの家に行くととても寒がるし、時には文句を言うという話を聞いたのです。
その話から、快適な環境は普段の生活の質を上げるけれど、人間として我慢できる許容範囲を狭めてしまうかもしれない、と思ったのでした。
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海外在住の方の話を聞いている時にも同じような感覚になりました。
日本では、電車が時間通りに来るのが当たり前だから、日本人の中にはちょっとでも電車が遅れようものならクレームを言ったり、イライラしたりする人がいる。
でも、電車が遅れるのが当たり前の国では、だれもイライラしないし、遅延に対しておおらかだ。
この場合の日本人は、便利であることに慣れてしまって、逆に不自由になっていると思ったのです。
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ホスピタリティマインドや、かゆいところに手が届くようなサービス、さらには、きれいな街並み・トイレなど、快適な環境は当たり前のように日本に住む多くの人のそばにあります。
そして親である私は、子どもたちにできるだけいい環境を用意しようと努力し、それが子どもにとっての幸せであると信じて疑っていませんでした。
でも、いい環境を用意するとは、子どもたちから厳しい環境を乗り越える機会を奪ってしまうことなのかもしれないと思ったのでした。
結論は出ていません。
でも「いい環境を与える」ことが、必ずしも子どものためになるのではないんだろうな、そんなことをぼんやり考えた一週間でした。
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