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ちょっと寂しいけれど我が子を誇りに思った話
先日、6年生の息子にとっては、小学校最後の授業参観がありました。
3年前の長女の時も、小学校最後の授業参観は「親への感謝の言葉を伝える会」。我が子はどちらかというと、いや、確実にそんなイベントには後ろ向き派です。
「なんでわざわざみんなの前で親に感謝せなあかんの」
「はずかしい」「面倒くさい」
そうなんです。私も小学校の時は「そっち派」なので、気持ちはよくわかります。
でも、子どもたちの中には泣きながら本当に感謝する子どももいました。今回は感染症拡大防止の影響で、保護者は長時間教室には滞在できないという理由から、我が子以外は数人しか聞いていません。それでも涙で言葉を詰まらせながら感謝の言葉を述べている子がいたのです。
私も、そんなメッセージには思わず涙ぐんでしまいました。
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我が子は具体的にどうだったかというと――。
長女の時は実際のエピソードをふまえ「○○の時は××してくれたお母さん、ありがとう」。しかし一番最後に元気よく「フィクションです!」と言われました。
今回の長男は「保険をかけてこの場で言います。この感謝の言葉をネタにこの先何かをさせようとすることはやめてください」という言葉が添えられたのです。
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感謝されるように育てることができていないのか、とネガティブに考えてしまったこともあります。でも、自分だって10代のころは親に感謝できていませんでした。私の場合、大学生になって一人暮らしをしたり、親になったりしたときに初めて感謝できた気がしています。
普段感謝の言葉なんて言う機会がない。だからこれを機会に、と思っているならいいんです。
でも、そういう気持ちを持てなかった「うちの子たち」は、学校のイベントには参加しつつ自分の思うことを貫いた。考えた結果、自分なりの言葉を母である私に発信したんだと感じています。
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正直、あの場で感謝の言葉を述べられたら、大号泣してしまった気がします。そんな言葉が少しでもあったら、めっちゃうれしい!と思うでしょう。
でも、いいんです。雰囲気に流されず、自分が思うように自分の言葉を伝えた子どもたちを誇りに思います。
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1年後は末っ子の番が回ってきます。果たしてどうなることでしょう。上の2人同様、感謝していないわけではないけれど、あの場で感謝する態度を示したくないと考える気がしています。それをどういう言葉で表現するのか、今から少し楽しみです。
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